第35話 共犯者

 世間一般や歴史的には、グレースは稀代の悪女とされている。


 グレースはグローディア王国の名君ウィルフレッド1世に仕えていたが、その裏で彼の家族を殺害。

 その罪を告発しようとしたアッカー侯爵を殺害し、口止めを図ったが、すでにその悪行はウィルフレッドに知らされていたため、彼女は謀反を起こした。

 しかし、グレースの謀反はあっさりと鎮圧され、彼女は処刑台送りとなる。


 こうして、グレースは忠臣の仮面を被りながら、主君を裏切った悪女として、汚名を歴史に残した。

 けれども、その真実はことを他でもないウィルフレッド自身が知っていた。

 少なくともは裏切りではなかった――と。


 確かに、グレースはウィルフレッドの父親と異母兄を殺害した。そして、その罪をアッカー侯爵に告発されそうになったのも事実だ。

 世間の見解と違うのは、グレースに家族の殺害を命じたのがウィルフレッドであるといこと。


 二人は共犯者だったのだ。



 ウィルフレッドの父親である国王は、民を圧政で苦しめる悪王だった。そして残念なことに、ウィルフレッドの異母兄たちも同類の人種である。

 湯水のごとく税金を使い、贅沢の限りを尽くし、民が飢えや疫病に苦しんでいても何ら対策しない。彼らにとって、平民は同じ人間ですらなかったのだろう。


 この国を何とかしなければならない。父や兄らに任せていてはダメだ。

 国民らの不満はもう限界に近く、このままでは直に内乱が起こる。それに乗じて、隣国のゴドウィンが戦争を仕掛けてくる可能性もあった。


 もはや、時間的猶予もないと――ウィルフレッドはそれを痛切に感じていた。


 しかし、ウィルフレッドの王位継承順位は第三位。加えて、彼の母親の身分はそう高くなく、後ろ盾も心もとない。いくら神童と称されるくらいの才子だろうと、すぐにまつりごとに携わるのは不可能だ。


 ウィルフレッドが政治参画するためには、地道に功績を立てて、自身の発言権を獲得していくしかない――が、そんな時間的猶予はなかった。すぐにでも国を改革しなければならない局面に、グローディア王国は陥っていたのだ。このままでは、飢饉や疫病、争いで多くの国民の命が失われるだろう


 ならば、どうするか?

 その答えは簡単で、ウィルフレッドは手段をとった。

 父親と二人の異母兄がいなくなれば――王座はウィルフレッドのもの。彼はそれを実行したのだった。




 実際に、国王と王子たちに手を下したのはグレースだった。


 事が事だから、信頼できる者にしか命じられない。また、国王らは手厚い警護で守られているため、それを突破できるだけの実力を伴わなければならない。

 この二つの条件を満たすのがグレースしかいなかったため、ウィルフレッドは彼女に家族の暗殺を命じたのだ。


 そして、グレースは見事この難しい任務をやり遂げた。


 父と兄らが死んだとき、ウィルフレッドはつくづく己を冷酷な男だと実感した。血のつながった家族を殺したというのに、全く心が揺れなかったからだ。

 ウィルフレッドは悲しくもなんともなかったし、自らの行いが間違いだとも考えなかった。


 むしろ、この暗殺についてグレースの方が動揺していた。

 大人の王はともかく、まだ成人していない兄たちを手に掛けたことに、彼女は心を痛めている様子だった。


 普段は気丈にふるまっているが、グレースが優しい性格であることをウィルフレッドはよく知っていた。そうでなければ、刺客から見ず知らずのウィルフレッドを助けたりしなかっただろう。


 自らの行いについて、ウィルフレッドは後悔していない。父兄らの暗殺は必要だったと割り切っている。

 だから、殺してしまった家族や、グローディア王国の国教である二柱教の神たちに対しても、彼は何ら罪悪感を抱いていなかった。


 唯一、ウィルフレッドがすまないと思うのは、グレースに対してだ。

 己の命令で彼女は手を汚し、苦しんでいる――その事実がウィルフレッドを苦しめた。

 グレース以外に王らの暗殺を実行できる者がいなかったとはいえ、本当は彼女にそんな任務を命じたくなかった。だが、がウィルフレッドにそうさせた。



 ウィルフレッドは少しでもグレースの気持ちを軽くしてやりたくて、こう口にした。


「悪いのは僕だ。君じゃない。君は僕に命じられたことを実行しただけ。罪は僕にあるんだよ」


 それはウィルフレッドの本心からの言葉だったが、グレースは軽くかぶりを振って「いいえ」と答えた。


「それは無理があるでしょう。なぜなら、私はあなたの命令を実行したんですから」


 ここで全ての責任をウィルフレッドに押し付ければ楽になれると言うのに、グレースはそうしなかった。彼女は己の罪から逃げない。


 ふと、ウィルフレッドは自らの手に視線を落とした。

 そこには傷一つない、男にしては妙に綺麗な手がある。彼のその手を血で汚したことはない。

 片やグレースの手は血みどろだ。王たちの暗殺だけではなく、ウィルフレッドを刺客から守る過程で、彼女は何人もの人間を殺めてきた。


 けれども、自分なんかより彼女の方がずっと高潔だ――そう思いながら、ウィルフレッドは言った。


「じゃあ、僕らは共犯者だ」

「共犯者…ですか?」

「ああ、いずれ地獄に堕ちる。そこで共に裁きを受けるんだ」


 二柱教の教えでは、人間は死後に『審判』を受けると言われている。そこで、生きていた時の善行と悪行が天秤にかけられ、ひどい罪を犯した者は地獄に堕ちるのだ。


 この二柱教において、主君、聖職者、そして親の殺害は最も重い罪として挙げられるため、もし死後の審判があるのならば、ウィルフレッドもグレースも地獄行きだろう。


 そのことを、ウィルフレッドはちっとも怖いとは思わなかった。

 二柱教の教えを信じていないからではない。グレースと一緒に裁かれるのなら、地獄に堕ちるのも悪くはないと考えたのだ。


 最期は、共犯者として己も断罪されること。

 それは、ウィルフレッドにとっての贖罪と矜持だった。




 このように、ウィルフレッドとグレースは共犯者だった。

 だから、アッカー侯爵の告発と、グレースによる謀反も史実と真実は違っていた。


 史実では、アッカー侯爵は王族殺しの罪でグレースを告発しようとしたことになっているが、それは部分的にしか正しくない。

 アッカー侯爵はグレースの罪を訴えようとしたが、あくまでもそれは副次的なこと。侯爵の狙いの本命は、ウィルフレッドだったのだ。


 アッカー侯爵はウィルフレッドの父兄殺しを国民に知らしめることで、彼を王座から引きずり下ろし、自らが国王になろうとしていた。

 それを一早く察知したグレースが、侯爵とその側近――ウィルフレッドの真実を知る者たち――を始末し、証拠も全て焼き払ったのだ。

 ただ、これらのことを秘密裏に行うことはできず、全てが終わったところで、現場に衛兵たちが踏み込んで来たのである。


 衛兵らによりグレースは捕らえられたが、どうしてアッカー侯爵らを殺害したのか、その動機を話すわけにはいかなかった。そんなことをしては、侯爵らの口を封じた意味がなくなってしまう。


 故に、グレースは嘘の供述をした。


 アッカー侯爵がの罪を告発しようとしたので、殺害した。

 ウィルフレッドの家族の殺害はで行ったことであり、いずれはウィルフレッドも殺して己が王座につくつもりであった――と。


 そうして、グレースは全ての罪を自らかぶることで、ウィルフレッドに不都合な真実を闇に葬った。


 もちろん、ウィルフレッドはグレースを止めたかった。

 今すぐにでも、己もなのだと名乗り上げたい。

 グレース一人に罪を押し付けるなんて、とんでもない。絶対に嫌だ。


 しかし、そんな個人の感情とは裏腹に、ウィルフレッドの理性は静かに訴えかけていた。


 ウィルフレッドが感情のまま突っ走れば、が水の泡になる。

 ウィルフレッドとグレースが思い描いた夢――誰も飢えない、幸せな国を作ること。そのために、成してきた努力と犠牲が徒労に終わる。

 何より、グレースがそんなことを望んでいない。


 結局、ウィルフレッドは全てを受け入れた。

 グレースが一人罪を背負って、処刑されることも。後世に稀代の悪女として、悪名を残すことも。



 グレースが処刑台に上る時、ウィルフレッドは一瞬彼女と目が合った。

 グレースは満足そうに微笑んでいた。

 そんな彼女に、ウィルフレッドは心の中で告げる。


 地獄で待っていてくれ――と。



 グレースの死後、ウィルフレッドは国の改革に尽力した。

 その結果、グローディア王国は以前よりもずっと豊かな国になり、彼は国民皆から愛され、尊敬された名君となった。


 こうして、ウィルフレッドはグレースとの約束を果たしたのである。


 死に際、ウィルフレッドはこう考えた。

 やっと、君の下へ……地獄へ行ける――と。


 けれども、実際はそうはならなかった。



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