第28話 浮気者(Ⅱ)
魔王執務室から出て行くケヴィンを見送って、ベルンハルトと二人きりになると、彼女は抱えていた書類の束をどさりと置いた。
「陛下、これらは明後日までに目を通してください」
「はぁ~い」
「では、私はこれで」
そう言って、そのまま立ち去ろうとするグレースの背中に「待って」とベルンハルトは声を掛けた。彼女は振り返る。
「さっきも言ったけれど、俺って浮気はダメなタイプだったみたい」
「そういうのって、ダメじゃない方が少数派なんじゃないんですか?」
「そうかもね。でも、以前の俺は平気だったの。浮気をするのもされるのも」
来るもの拒まず、去る者追わず――ずいぶんと問題のありそうなベルンハルトの倫理観だが、それについてグレースは何も言わなかった。
人間界でも魔界でも、貴族にとって
「でも、今は平気じゃないみたい。だから、グレース。浮気しちゃダメだよ。もちろん、本気もダメだけれど」
「……」
だから、自分はベルンハルトの恋人でも愛人でもない――とグレースは言い返そうかと思ったが、余計に話がややこしくなりそうだと察して、黙った。
それに、恋人でも愛人でもないが、『契約』により魂はベルンハルトに縛られているのだから、最終的には彼の命令を聞くしかない。
「軽い遊びもだめだよ。君が誰を想おうと知った事ではないけれど、行動に移すのはアウト。君だって、好意を抱いた相手の
とんでもなく物騒なことを言うなぁ……と思いつつ、グレースは「おや?」と疑問に思った。それをそのまま口に出す。
「好意を抱くのは良いのですか?」
それは浮気に当てはまらないのだろうかと、グレースは不思議がる。
「心なんて不確かなものだからね。それを縛ろうとするのは無意味だろう。心の中で誰を思おうと、俺を一番に尽くしてくれればいいよ」
「そういうものですか」
「現に、君の心の中には未だ彼がいるんだろう。その現状を俺は許しているじゃないか」
彼というのが誰を指すのか、それを言葉にしなくともグレースにも十分伝わった。同時に「その通りだ」と彼女は思う。
グレースにとって彼は敬い仕えるべき相手であり、恋愛対象ではない。しかし、それでも恋愛感情以上の敬愛の念を抱いている。
「……わかりました」
グレースは頷いた。
実際の行動に問題がなければ、心の中で何を思っても構わない。それも一つの考え方だろう。むしろ、そういうベルンハルトの価値観は彼女に都合が良かった。
そのとき、ふとベルンハルトの執務机に置かれた物がグレースの視界に入る。
それは何の変哲もない木箱だったが、彼女には既視感があった。最近、これと同じものをどこかで見たことがある気がする。
「陛下、それは?」
グレースが木箱を指して尋ねると、ベルンハルトは「ああ」と言って、蓋を開けた。中には、ずらりと葉巻が並んでいる。
グレースは驚き、目を見開いた。
いかにも高級そうなそれは、例の連続殺人事件の一人目の被害者――ヨルク老人の家で見た代物と同じだった。質素に暮らす孤独な老人には似つかわしくないものだ。
「これをどこでっ!?」
焦って、グレースはベルンハルトに訊く。すると、彼はけろりとこう答えた。
「マルガレータ嬢だよ」
「え?ヘンネフェルト伯爵の……?」
マルガレータはヘンネフェルト伯爵の娘である。彼女はベルンハルトに好意を抱いているようで、積極的にアピールしていることはグレースも知っていた。
「そうそう。死んだヘンネフェルト伯爵は領地で大規模農園を経営していただろう。そこにタバコ畑があるみたいなんだ。この高級葉巻はヘンネフェルト伯爵の領地の銘品で、それをご機嫌伺いにマルガリータ嬢が持ってきたんだよ」
「……」
そうだ、ヘンネフェルト伯爵は大規模農園を運営していたことは知っていた。それを知っていたのに、どうして葉巻を見たときに彼の農園のものだと気付かなかったのだろう。
グレースは押し黙り、唇を噛んだ。
日々、無意識にストイックな生活を送っているグレースは、葉巻や酒などの嗜好品の知識や情報に疎い。それが今回、裏目に出たようだった。
そのことを苦々しく思いつつ、「それでも」と彼女は気を取り直す。
それでも、これでヨルクとヘンネフェルト伯爵との間に繋がりが見えた。
庶民と貴族という立場の違いがありながら、二人には交流があった可能性がある。なんらかの理由で、伯爵はヨルクを経済的に支援していたのかもしれない。
例の連続殺人事件の、聖魔法をまとった凶器で殺された被害者三人。彼らにはグレースの知らない繋がりが必ずあるはずだ。その繋がりを明らかにできれば、犯人にもたどり着けるだろうと、彼女は確信した。
まずは、ヨルクとヘンネフェルト伯爵の繋がり――これを徹敵的に調べ直そう。何か新たな情報が出てくるかもしれない。
グレースは頭の中で、これからについての算段を巡らせた。
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