第30話 殺人犯(Ⅱ)

 粗末な建物と、ゴミだらけの道。貧民街の通りの突き当りにある孤児院を、グレース一人は訪れていた。

 突然の魔王秘書長官の訪問に、孤児院園長のパトリックは驚きの表情を浮かべた。


「突然、訪ねてしまって申し訳ありません。実は大切な話があるんです」

「大切なお話ですか?」

「ええ。すみませんが、お時間をとっていただけますか?」


 魔王秘書長官にこう言われては、パトリックとしては従わざるを得ない。彼はとりあえず、グレースを園長室に通そうとした。すると、彼女は「あ、そうだ」と今思いついたように声を上げる。


「今日は休暇をとって、ケヴィンが孤児院こちらに帰って来ていますよね」

「え…ええ」

「彼も同席してもらえますか?」


 グレースの意図が分からないからか、パトリックは一瞬不安そうな顔をしたが、それでもコクリと頷いた。



 グレースと向かうようにして、パトリックとケヴィンは応接用ソファに座っていた。急に呼び出されたケヴィンはキョトンとした表情でグレースを見ている。


「それで何でしょう?大事な話と言うのは……」


 おずおずとパトリックがグレースに話を切り出した。


「単刀直入に伺います。この孤児院の支援者の中にヘンネフェルト伯爵はいますか?」

「えっと…」


 パトリックはわずかに躊躇した後、首を横に振った。


「そのような方はいらっしゃらないかと…」

「そうですか」


 グレースはにこりと微笑みながら、ポケットからハンカチに包まれた何かを取り出した。包みを開くと、出てきたのは一本の葉巻である。それも貴族が好むような高級品だった。

「これに見覚えは?」とグレースが聞くと、パトリックはかぶりを振る。


「何分、貧乏暮らしなもので、そういった嗜好品には縁がなく」


 すると、グレースは意外そうな顔をした。


「おや?それはおかしいですね。だって、あなたは少し前にこれと同じ品を他人にあげているんですから」

「えっ」

「ほら、例の四人組のチンピラですよ。何でも、屋根を修理した礼に渡したとか」

「……」


 目を泳がせるパトリックを眺めながら、グレースは続けた。


「実はこれ、ヘンネフェルト伯爵が運営するタバコ農園の品で、彼の領地の名産品なんですよ。それで、伯爵とこの孤児院との間に何か繋がりがあるかと思い、調べたんです。伯爵はかなりの額を献金をしていますよね」

「……はい」


 すでに調べられていたことに観念したのか、パトリックはか細い声で肯定した。


「どうして、最初にお尋ねしたとき、嘘を吐いたのですか?」

「それは…その、気分を害されるのではないかと思って」

「気分?私がですか?」

「保守派の貴族と貴女は敵対関係にあると耳にしていたもので…」

「ああ、なるほど。なるほど」


 グレースは首を縦に振りながら笑う。


「そのようなお気遣いは結構ですよ。そんなことに、いちいち目くじらを立てるほど狭量ではありません。しかし、気になりますね」

「な、なにがでしょうか?」

「どうして、ヘンネフェルト伯爵はこの孤児院に寄付なんてしたのでしょうか?」

「どうしてって、それは慈善の心で……」

伯爵がですか?」


 グレースが薄く笑う。パトリック自身もヘンネフェルト伯爵の人柄をよく知っているのか、とっさに言い返すことができなかった。


 九十年前まで、この第七地獄をこの世の終わりのよう有り様にしていたのは、かの伯爵やシュタインマイヤー公爵らが原因だからだ。

 当たり前のように弱い者から富を吸い取っていた彼らには、地べたを這いずりながら生きる平民の存在なんて見えていない。もしかしたら、同じ生き物とすら思っていないのかもしれない。


 そのヘンネフェルト伯爵が慈善の心で、この孤児院に多額の献金をしたなんて信じられない――グレースは暗にそれを指摘していた。


「皆……変わるものですから。魔族も神使も人間も……」


 苦し紛れにパトリックがそう言う。


「なるほど、なるほど。そうかもしれません。しかし、私は何か他に理由があったのではないか……そう考えているんです」

「……」

「例えば、園長先生と伯爵が――以前からのお知り合いだったとか?」

「そっ、そんなことはありません!」


 即座に否定するパトリックに、鋭いグレースの視線が突き刺さった。ぐっと息が詰まるような威圧感にさらされて、パトリックの額からは汗が噴き出す。目玉は左右に忙しなく動いていた。


「ふむ。では、ヨルクとフーゴ……これらの名前に覚えがありませんか?」

「知りません!」

「実はこの二人とヘンネフェルト伯爵は、最近何者かによって殺されたのですよ。凶器が特殊でしてね。同一犯の犯行とみられています」

「知りません、私は何も知りません!」


 誰がどう見ても、パトリックは狼狽していた。状況が呑み込めず、これまで聞き役に徹していたケヴィンも、さすがにパトリックの様子がおかしいと感じたのだろう。


「園長先生…?」


 ケヴィンは心配そうに伺うが、当のパトリック本人はケヴィンの声など聞こえていないかのようだった。

 グレースは話を続ける。


「そして、今日。連続殺人犯が狙ったのはシュタインマイヤー公爵でした。幸い、私の部下が止めに入り公爵の命は無事でした。代わりに、部下が大怪我を負いましたが…」

「ちょっと待ってください!秘書官室の誰が怪我を!?」


 グレースの言葉に反応したのはケヴィンだった。彼は慌て、その顔は青ざめていた。


「ラルフだ」

「まさか、ラルフさんが……?あんなにお強いのに…。そ、それで怪我の具合はどうなんですか?」

「予断を許さない状況だ」

「そ、そんな……」


 ショックが強すぎたのか、ケヴィンは言葉を失ったようになる。グレースはケヴィンから視線を外し、パトリックに向き直った。


「さて、園長先生。殺された三人のうち、二人は保守派貴族陣営の者でしたが、ヨルクという老人はただの平民でした。彼らの共通点と言えば、魔族の第一世代ということだけ。ヨルクと保守派貴族らには何の接点もないように見えたのですが……実際のところ、彼はヘンネフェルト伯爵と付き合いがあったようなのです」

「…付き合い?」

「ええ。どうにも、ヘンネフェルト伯爵はヨルク老人の生活を支援していたようですね。このとき、疑問に浮かぶのは、伯爵が一介の平民の世話をしていたか、そのですね」


 伯爵のように己の利になること以外興味のないような魔族が、好き好んで平民の面倒を見るわけがない。そうしなければならない理由がどこかにあるはずだ――そう、グレースは推測していた。


「もしかしたら、ヨルクと伯爵は昔――それこそ天魔戦争からの知り合いだったのかもしれませんね」

「……っ!」


 天魔戦争というワードを聞いて、パトリックの肩がびくりと跳ねた。


「そんな遥か昔に彼らは何かしらのを共有していたのかもしれません。今、表に出たらマズい秘密です。その口止めのために、伯爵がヨルクの世話をしていたという推理はどう思われますか?」

「あ、あの…」

「そう言えば、園長先生も魔族の第一世代らしいですね。もしかして、ヘンネフェルト伯爵がこの孤児院に多額の献金をするのは、ヨルク老人と同じ理由だったりして――?」

「お、憶測で物を言うのは…や、止めてください」


 震える声で、何とかパトリックはグレースに反論する。それにグレースは「気分を害されたら申し訳ありません」とさらりと言った。


「もちろん、これはただの推測ですよ。それで、そのついでにもう一つ推量してみましょう。一連の殺人の動機は、過去のを清算するために誰かが仕掛けたとは考えらえませんかね?」


 言いながら、グレースはじろりとパトリックを睨んだ。その目は如実に、事件への彼の関与を疑っていた。


 実際、グレースは今回の連続殺人事件の首謀者がパトリックだと睨んでいる。だから、威圧感を与えつつ、自らの推理を語り、パトリックの反応を見たのだ。

 その結果、彼はあからさまに動揺していた。つまり、グレースの推理がそう間違っていないことを示していた。


 ヨルク、ヘンネフェルト伯爵、フーゴ、シュタインマイヤー公爵――そしてパトリック。

 やはり、彼らには他人に知られてはいけない秘密があるのだ。ただし、肝心の秘密が何なのか分からない。

 グレースはさらにパトリックを揺さぶって、それを明らかにしようとした――と。


「秘書長官様っ!」


 声を上げたのは、ケヴィンだった。彼はグレースとパトリックを見比べながら言う。


「ボクはイマイチ、状況を理解していないのですが……もしかして、秘書長官様はあの連続殺人事件について園長先生を疑っているのですか?」

「だったら、どうする?」

「そんなの、あり得ません!園長先生は、誰かを傷つけるような方じゃありませんし、何よりもラルフさんに大怪我を負わせるような力はないんですっ!」


 ケヴィンの必死の訴えに対して、あっさりとグレースは頷いた。

 

「それはそうだろうな」

「だったら――」

「しかし、園長が実行犯とは限らない。彼は命令していただけ、実際に手を下していた人物が他に居る可能性だってあるだろう」

「えっ…」


 グレースは真っすぐにケヴィンを見つめた。ただただ、目を丸くしている彼に、グレースはこう口にする。


「例えば、そう――君とか」


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