第26話 魔法講習(Ⅱ)
妙なことになっちまった――そう、憤怒の魔王ザシャは胸中で独り言ちた。
ひょんなことから、ベルンハルトの部下の魔法練習に付き合うハメになってしまったのだ。いや、言い出したのは俺自身だが、何故あんなことを口走った……と、ザシャは己の行動を疑問に思いつつ、『黒ノ魔弾』を教えることにした。
二人は森の中を移動し、川辺までやって来た。
グレースに尋ねれば、『黒ノ魔弾』の魔法について彼女は魔導書で学んだものの、実際の魔法を見たことがないらしい。ぜひ実物を見たいという彼女たっての希望で、とりあえずザシャが目の前で手本を見せることにした。
まぁ、見ただけで何かが変わるもんじゃねぇだろうが――というのが、ザシャの正直な感想である。
そもそも『黒ノ魔弾』はかなりハイレベルな魔法で、普通なら相当な修練が必要、魔界でも使える者はごくごく限られている。それを実際に見たからと言って、急に使えるようになるとは思えなかった。
それでも、練習に付き合うと言った手前、ザシャは実践してみせることにする。
河原には幾つも巨大な岩があった。その中の一つに狙いを定め、ザシャは『黒ノ魔弾』の魔法式を頭の中で構築し、それを展開する。彼の手元に、真っ黒い球体が生まれたかと思うと、それは音速を越えるスピードで発射された。
高度に圧縮された魔力の塊が大岩を射抜く。気が付けば、岩には拳大の穴が開いており、それは貫通していた。
「こんなものだが…」
「……」
ザシャが後ろを振り返ると、グレースは彼のことを食い入るように見ていた。それから、彼女は姿勢を正し、頭を下げた。
「ありがとうございます。とても、参考になりました」
「参考になった…のか?」
首を捻りつつ、ザシャが尋ねる。
今の実演を見ただけで『黒ノ魔弾』が使えるのなら、そもそも魔導書を読んだ時点で習得できていそうな気がした。それとも、己に気を遣って適当なことを言っているのか……。
「じゃあ、とりあえずアンタもやってみろ」
「はい」
気合十分といった様子で、グレースは一歩前に出た。
軽く目をつむったグレースは意識を魔法構築の方へ集中させる。彼女の周りの空気がピリピリと震えた……と、その手のひらに黒い球体が出現する。それを見て、ザシャは「ほぉ」と唸った。
次の瞬間、黒の魔弾が高速でもの凄い速さで発射され、見事大岩を射抜いたのだった。
分厚い岩が綺麗に貫通しているのを確認し、ザシャは感心したように言った。
「まさか、一発で成功させるとは思わなかった。さすがだな」
「いえ、閣下のご協力があったからこそです。あれで実際の魔力の流れ方を確認できましたから。魔導書ではどうにも、そのあたりが分からなくて」
「……そうか」
グレースの話を聞きながら、ザシャは思う。どうやら、彼女は魔力への感受性が飛びぬけて高いようだと。常人は、見ただけで詳細な魔力の流れなんて分からない。
一方で、魔導書の読解は苦手らしい。もしかしたらグレースは、理論ではなく感覚で魔法を学ぶタイプなのかもしれなかった。
そのとき、ふとザシャの中で疑問が浮かぶ。
「一度見ただけで使えるようになるなら、何もこんなところで一人鍛練する必要はなかったんじゃねぇか?」
「……と、いいますと?」
「ベルンハルト。アイツに実践してもらえば良かっただろう。アンタの頼みなら、二つ返事で応じるはずだ」
「……」
それが純粋な愛情とは言えないものの、ベルンハルトがグレースを溺愛しているのは、ザシャの目からも明らかである。彼女が『黒ノ魔弾』を教えて欲しいと請えば、あの怠惰な男だって嬉々として了承するだろうと、ザシャは考えていたのだが…………。
「……」
何故だか、グレースは渋い顔をしていた。
「どうした?」
「……いえ。確かに、閣下とおっしゃる通りなのですが……陛下に魔法の教えを請うと、ベタベタくっつかれて……その……」
「あ~、スマン。皆まで言わなくていい」
ザシャは額に手を当て、溜息を吐いた。
アイツは何をやっているんだ――と呆れつつ、人好きのする笑みを浮かべたままで、ここぞとばかりに部下にセクハラを働く旧友の姿が瞼に浮かぶようだった。よくあんな男の下で、真面目にコツコツ働いているものだ。ザシャは、改めてグレースに感心した。
そもそも、あのベルンハルトに仕事をさせ、ああまで第七地獄を変えたのだ。グレースが来る前の
一方、こうやって自己の鍛錬までやっていて……果たして、彼女にはプライベートな時間があるのだろうか。ザシャは少し心配になった。
「アンタ、今日は休日か?」
そう訊くと、グレースはすんなり頷く。
「はい」
「休日も鍛錬か。殊勝な心掛けだが、あまり無理をすると潰れるぞ。休めるときは休め。そして、趣味などで適度に息抜きをして……」
「閣下もご趣味があるのですか?」
「ん……?まぁな」
実は今日、この『
この日も、気配を殺して、魔物たちのありのままの姿を観察していたザシャだったが、思いがけずグレースの魔法練習の場に鉢合わせてしまった――そうして、今に至るわけである。
「趣味……それは素敵ですね」
グレースはそう相槌を打った。単なる社交辞令かと思いきや、その眼は妙にキラキラしとしている。まるで、趣味のあるザシャが羨ましい――とでもいう風だった。
「アンタだって、趣味くらいあるだろう?」
「えっと、まぁ……はい」
「へぇ、どんな」
「……」
何気なくザシャが尋ねると、どういうわけかグレースは押し黙った。
ややあって、「嘘です」と白状する。
「……あ?」
「申し訳ございません。見栄を張りました」
「ンなことで見栄張ってどうするんだ?」
ザシャは呆れ顔をし、グレースは面目なさそうに頬を掻いていた。
「じゃあ、休日は何をしているんだ?」
「そうですね。こうして鍛練や、後は仕事とか……」
休日に仕事をしていたら、もはやそれは休みになっていないんじゃなかろうか。そう思ってザシャは眉をひそめたのだが、グレースは違う風に解釈したようだ。
「すみません。面白味がなくて」
「いや、別に謝ることじゃねぇだろう。ただ、仕事が趣味のようになっていると、気が休まらないんじゃねぇか?」
「どうでしょう?生前から、ずっとこうでしたから」
「生前から?」
「ええ。ウィルフレッド様に仕えてから、ずっと……」
そう話すグレースの眼は、ひどく優し気だった。
ウィルフレッドというのが、グレースの生前の主君だということをザシャは知っている。グレースはあまり自覚がないかもしれないが、あのベルンハルトに仕事をさせ、第七地獄を改革した人物として、彼女は他地獄の魔王たちからも注目されていた。故に、彼女がどうして魔界へやって来たのかも、皆の知るところになっている。
名君と知られるウィルフレッド1世を裏切った稀代の悪女――それがグレースだ。
生前の彼女は、ウィルフレッドの忠臣として振舞っていたが、その裏で彼の家族を亡き者にしていた。そして、謀反まで起こし、処刑台へ。
死後の審判では、いずれはウィルフレッドも殺して、自ら王になるつもりだったと証言している。
魔界に堕とされるべくして堕とされた重罪人だ。しかし、ザシャの知るグレースはそんな悪党には見えなかった。もし、彼女が己の欲望のために権力を欲するような人間なら、第七地獄はああも変わっていないだろう。
前々から疑問に思っていたこと。ザシャはそれを口に出してみた。
「アンタは本当に、主君を裏切ったのか?」
グレースは目を見張った。だが、その驚きの表情は、すぐに変化する。彼女は口角を吊り上げると、どこか挑戦的な笑みでザシャを見据えた。
「ええ。その通りです」
グレースは大きく頷く。そうして、はっきりとこう言った。
「私は確かに、ウィルフレッド様を裏切ったのですよ」
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