第17話 鍛錬

 第七地獄と第四地獄の国境に広がる災禍さいかノ大密林、そこから西に数キロ離れた所に両国をつなげる街道がはしっていた。

 今、その上空が何やら騒がしい。ギャアギャァスとけたたましい、鳥の鳴くような声が響き渡っていた――と。


 ボトリ。空から落ちてきたのは翼竜ワイバーンの頭である。続いて、その体も地面に落下してきた。

 地上で待機していた役人たちは、翼竜ワイバーンの死体に悲鳴を上げる。そして、その遥か上――そこには、数十匹の翼竜ワイバーンの群れと戦う一人の女性の姿があった。



 グレースは縦横無尽に空を駆けていた。

 これは自身の魔力で、斥力せきりょくとして作用する重力場を作り出し、飛行しているわけだが、彼女自身はあまりその理屈についてよく理解していなかった。元々、グレースは小難しいことを考えるのが得意ではない。理屈よりも、感覚で覚えてしまうタイプだった。


 翼竜ワイバーンは飛行能力に長けた魔物だが、グレースの飛行速度はそれよりも速かった。自分の背丈ほどもある漆黒の大剣を携えながら、彼女は高速で飛翔した。

 グレースは一匹の翼竜ワイバーンとすれ違う。数秒後、翼竜ワイバーンの首から鮮血が溢れ出した。頭と体が切り離され、翼竜ワイバーンは地面に落下していく。すれ違いざまに、グレースが目にもとまらぬ速さで魔物の首を一刀両断したのだった。


 そうやって、グレースは空を駆け抜けながら、一匹また一匹と…着実に翼竜ワイバーンを仕留めていく。いつの間にか、地上には山のような翼竜ワイバーンの死体が築かれていた。




「では、魔物の死体を町まで持って行って下さい」


 グレースは街道に控えていた役人たちに指示をした。翼竜ワイバーンの死体は荷車に積まれ、それを人間界ではまず見ないような巨大な牛が引いていく。

 実はこの翼竜ワイバーンたち、街道の通行人を襲う魔物として問題になっていて、それを今回グレースが一掃したのだった。


 さて、翼竜ワイバーンは無事討伐できたわけだが、その死体を放置していては、それを食らう新たな魔物がやって来る危険性がある。片づけも万全にしなければならない。そもそも、翼竜ワイバーンの肉や骨、革は、食料や武器の材料として高値で取引されるため、このまま腐らせるのは惜しかった。

 そういった理由で、グレースは最寄りの町から役人たちを招集し、こうして翼竜ワイバーンの死体を持ち帰らせているわけである。


 グレースは町に帰る役人たちを見送ってから、その場で振り返った。辺りは何もない草原、遠くに災禍さいかノ大密林が見える。そんな誰もいない空間に向かって彼女は声を掛けた。


「何か御用でしょうか、閣下」


 ぐにゃりと、その場の風景が歪む。次の瞬間、突如身長二メートルを超す強面の大男が現れた。第四地獄を統括する憤怒の魔王、ザシャである。


「なんだ。気付いていたのか」


 そう口にするザシャに、グレースはぺこりと頭を下げた。

 わざと、完全には気配を絶っていなかったくせに……と、彼女は思う。もし、ザシャがその気なら完全に気配を消して、グレースも気付かれぬまま、その場を去っていただろう。

 では、どうしてそうしなかったかと言うと、彼がグレースに用があったからに他ならない。だから、彼女は「何か御用でしょうか」と尋ねたのだ。


「いや、ベルンハルトの側近がわざわざ魔物の討伐とは……そう不思議に思ってな。部下をよこさないのかと」


 そう言うザシャ自身こそ、此処にいる理由は、通行人を襲う魔物の討伐に自らやって来たからではないのか?そんな疑問を胸に抱きながら、グレースは答えた。


「部下を派遣するよりも、私が相手した方が話が早いと思ったのです、閣下。空を飛ぶ翼竜ワイバーンは厄介ですから」

「確かに。アンタほど、自由に空を飛べる魔族はそういないだろうな」

「それに私の鍛錬にもなりますし」

「鍛錬?」


 意外そうにザシャは目を見開いた。


「アンタが?そんなことをしなくても、魔界でアンタが敵わないのは魔王連中だけだろうに」


 それなのにどうして鍛錬なんてするのか。ザシャには不思議なようである。


「閣下もご存じでしょうが、私の今の力の多くはベルンハルト陛下より賜ったもの。本来私の物ではない、言わば借りものです」


 寵愛と称して、ベルンハルトはグレースに自身の魔力を分け与えている。


「そして、借りものは、いずれ返さなくてはならない。そうなったとき、困らないように鍛錬は必須と考えています」

「つまり、アンタはベルンの寵愛がいつかなくなる――そう思っているのか?」

「物事には、始まりがあれば終わりがある。それが道理です、閣下」


 涼しい顔でグレースは言った。


 ベルンハルトはしばしばグレースに愛の言葉を囁き、溺愛しているかのように振舞う。だが、グレースはそれを本気にはしていなかった。

 ベルンハルトの言葉は軽い。それこそ彼からすれば、毛色の違う猫を飼っているような感覚だろう。己に執着しているのも一時のことだ、と分析していた。


 グレースがベルンハルトに仕えておよそ九十年、むしろよくここまで持ったほうだと彼女は思う。同時に、いつベルンハルトが自分に飽きてもおかしくないだろうとも。


「ベルンの寵愛がついえたら、アンタはどうする気だ?」

「別にどうもしません。私は今と同じく、仕事をするだけです。ただし、仕事の難易度は上がるでしょう。だから、陛下の興味が私にあるうちに、でき得る限りのことはするつもりです」

「でき得る限りのこと?それはなんだ?」

「そうですね。例えば、陛下が介入せずとも、まつりごとが滞りなく行われる。そんな体制システムを整えられれば行幸でしょうか」


 グレースの言葉には、この第七地獄を九十年前のような惨状に戻したくない――そういう強い思いがあった。だからこそ彼女は、いずれあの怠惰の魔王が政を行わなくなっても問題ないように体制を整え、必要な人員を着実に増やしていっている。

 あとは、邪魔な保守派の貴族連中を一掃できれば、その計画はより確かなものになるはずだった。


「……どうして、そこまでする?」


 まるで眩しいものを見るような目で、ザシャはグレースに問いかけた。


「アンタは元々、人間界の者だ。それなのに、どうして魔界のことにそこまで心を砕く?」


 それを訊かれて、確かに…とグレースは自分でも思った。どうして、私は第七地獄のためにこんなにも必死に働いているのだろうか、と。

 ベルンハルトとの契約のためか?いいや、違う。おそらく、きっかけは――第七地獄ここに来てすぐ目にした光景で……。


 グレースの瞼に今でもありありと浮かぶのは、汚い路地で横たえる二人の子供の亡骸だった。姉と弟だろうか。互いを抱きかかえるようにして二人はこと切れていた。しかし、周囲の者たちはそんな姉弟に目もくれていなかった。


 そのことを思い出して、グレースは苦笑する。結局、己の原動力はいつでもにあるのだと、改めて実感した。


「人間界でも、魔界でも――子供が苦しむ世界はイヤなんです」


 自然と口から出た言葉だったが、言ってから、少々偽善的かな…とグレースは考えた。しかし、ザシャは珍しく微笑んでこう言った。


「そうだな。俺もその意見には同意だ」



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