第17話 鍛錬
第七地獄と第四地獄の国境に広がる
今、その上空が何やら騒がしい。ギャアギャァスとけたたましい、鳥の鳴くような声が響き渡っていた――と。
ボトリ。空から落ちてきたのは
地上で待機していた役人たちは、
グレースは縦横無尽に空を駆けていた。
これは自身の魔力で、
グレースは一匹の
そうやって、グレースは空を駆け抜けながら、一匹また一匹と…着実に
「では、魔物の死体を町まで持って行って下さい」
グレースは街道に控えていた役人たちに指示をした。
実はこの
さて、
そういった理由で、グレースは最寄りの町から役人たちを招集し、こうして
グレースは町に帰る役人たちを見送ってから、その場で振り返った。辺りは何もない草原、遠くに
「何か御用でしょうか、閣下」
ぐにゃりと、その場の風景が歪む。次の瞬間、突如身長二メートルを超す強面の大男が現れた。第四地獄を統括する憤怒の魔王、ザシャである。
「なんだ。気付いていたのか」
そう口にするザシャに、グレースはぺこりと頭を下げた。
わざと、完全には気配を絶っていなかったくせに……と、彼女は思う。もし、ザシャがその気なら完全に気配を消して、グレースも気付かれぬまま、その場を去っていただろう。
では、どうしてそうしなかったかと言うと、彼がグレースに用があったからに他ならない。だから、彼女は「何か御用でしょうか」と尋ねたのだ。
「いや、ベルンハルトの側近がわざわざ魔物の討伐とは……そう不思議に思ってな。部下をよこさないのかと」
そう言うザシャ自身こそ、此処にいる理由は、通行人を襲う魔物の討伐に自らやって来たからではないのか?そんな疑問を胸に抱きながら、グレースは答えた。
「部下を派遣するよりも、私が相手した方が話が早いと思ったのです、閣下。空を飛ぶ
「確かに。アンタほど、自由に空を飛べる魔族はそういないだろうな」
「それに私の鍛錬にもなりますし」
「鍛錬?」
意外そうにザシャは目を見開いた。
「アンタが?そんなことをしなくても、魔界でアンタが敵わないのは魔王連中だけだろうに」
それなのにどうして鍛錬なんてするのか。ザシャには不思議なようである。
「閣下もご存じでしょうが、私の今の力の多くはベルンハルト陛下より賜ったもの。本来私の物ではない、言わば借りものです」
寵愛と称して、ベルンハルトはグレースに自身の魔力を分け与えている。
「そして、借りものは、いずれ返さなくてはならない。そうなったとき、困らないように鍛錬は必須と考えています」
「つまり、アンタはベルンの寵愛がいつかなくなる――そう思っているのか?」
「物事には、始まりがあれば終わりがある。それが道理です、閣下」
涼しい顔でグレースは言った。
ベルンハルトはしばしばグレースに愛の言葉を囁き、溺愛しているかのように振舞う。だが、グレースはそれを本気にはしていなかった。
ベルンハルトの言葉は軽い。それこそ彼からすれば、毛色の違う猫を飼っているような感覚だろう。己に執着しているのも一時のことだ、と分析していた。
グレースがベルンハルトに仕えておよそ九十年、むしろよくここまで持ったほうだと彼女は思う。同時に、いつベルンハルトが自分に飽きてもおかしくないだろうとも。
「ベルンの寵愛が
「別にどうもしません。私は今と同じく、仕事をするだけです。ただし、仕事の難易度は上がるでしょう。だから、陛下の興味が私にあるうちに、でき得る限りのことはするつもりです」
「でき得る限りのこと?それはなんだ?」
「そうですね。例えば、陛下が介入せずとも、
グレースの言葉には、この第七地獄を九十年前のような惨状に戻したくない――そういう強い思いがあった。だからこそ彼女は、いずれあの怠惰の魔王が政を行わなくなっても問題ないように体制を整え、必要な人員を着実に増やしていっている。
あとは、邪魔な保守派の貴族連中を一掃できれば、その計画はより確かなものになるはずだった。
「……どうして、そこまでする?」
まるで眩しいものを見るような目で、ザシャはグレースに問いかけた。
「アンタは元々、人間界の者だ。それなのに、どうして魔界のことにそこまで心を砕く?」
それを訊かれて、確かに…とグレースは自分でも思った。どうして、私は第七地獄のためにこんなにも必死に働いているのだろうか、と。
ベルンハルトとの契約のためか?いいや、違う。おそらく、きっかけは――
グレースの瞼に今でもありありと浮かぶのは、汚い路地で横たえる二人の子供の亡骸だった。姉と弟だろうか。互いを抱きかかえるようにして二人はこと切れていた。しかし、周囲の者たちはそんな姉弟に目もくれていなかった。
そのことを思い出して、グレースは苦笑する。結局、己の原動力はいつでもソコにあるのだと、改めて実感した。
「人間界でも、魔界でも――子供が苦しむ世界はイヤなんです」
自然と口から出た言葉だったが、言ってから、少々偽善的かな…とグレースは考えた。しかし、ザシャは珍しく微笑んでこう言った。
「そうだな。俺もその意見には同意だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます