第15話 孤児院訪問(Ⅰ)
魔界『第七地獄』王都貧民窟
粗末な建物が立ち並び、道にはゴミが散乱している。そんな中を、子供たちがはしゃいで走り抜けていく。
楽しそうな彼らを見送りながら、グレースは貧民街の通りを歩いた。彼女から少し遅れて、ケヴィンがその後ろを付いて来る。目指すは、この通りの突き当り――孤児院である。
「あの、秘書長官様」
おずおずとケヴィンは、前を歩くグレースに声を掛ける。
「今日はありがとうございます」
「どうしたんだ?改まって」
「だって。今回、ボクを同行させてくれたのって、その…えっと……」
ケヴィンが言葉を迷っていると、くすりとグレースは笑いをこぼした。
実は、ケヴィンはこれから向かう孤児院の出身なのだ。彼にとっては実家も同じ、久しぶりの里帰りである。
王都にはいくつか孤児院が存在し、これらにベルンハルトは多額の献金している。もちろん、そう取り計らったのは、あのやる気のない魔王ではなく、グレースやクラークだが、名目上はベルンハルトから贈り物だ。今日のグレースは、ベルンハルトの名代として献金を持ち、孤児院を訪問するところであった。
「クラークがぜひ君を一緒に連れて行けと言ったんだ。おそらくは……そう、日々仕事を頑張る君へのねぎらいだろう」
「ほっ、本当ですか?」
パアアッと、ケヴィンが表情を明るくする。それを見て、グレースは少し罪悪感を覚えた。
クラークがケヴィンを評価していること――これはお世辞でも何でもない事実である。実際、ケヴィンは文官としては優秀だった。
ただ、クラークがケヴィンを同行させた思惑は別の所にあるのだろうと、喜んでいるケヴィンを横目に見ながら、グレースは考えている。
おそらく、クラークはケヴィンを同行させることで、この献金イベントを孤児院の子供らに印象付けたいのだ。
魔王の名代としてやって来た知らない女(この場合、グレースのことだ)が大金を持ってきたとしても、それが誰だったかなんて子供たちはすぐに忘れてしまう。しかし、そこに孤児院出身のケヴィンがいたらどうか?グレース一人よりは、子供たちの記憶に残りやすいはずだ。
そうやって、先輩との思い出と共に、魔王への感謝を記憶に刷り込ませようという
慈善活動はしっかりアピールして下さい――と、クラークはよく言っていた。せっかく金を出すのだから、より効果的に見せつけるべきです。そうやって、民衆からの好感度を上げることは実益につながるのですから、と。
クラークからすれば、匿名での寄付なんて、いったい何のメリットがあるのか。理解に苦しむ話なのだろう。
グレースは歩きながら、貧民街の様子を観察した。
意外なことに、街の雰囲気は明るかった。もちろん、そこらでゴミが散乱していて衛生的には良いと言い難いし、犯罪件数も多い。しかし、住人達には妙な活気があった。
そうこうしているうちに、二人は目的地に着いた。
目の前の薄汚れた石造りの建物――それがケヴィンの育った孤児院だ。
訪れを告げると、腰の低い園長と共に、たくさんの子供たちがわらわらと現れた。
「あっ!ケヴィンだ」
「ケヴィン兄ちゃん!!」
「兄ちゃん、おかえりっ!!」
子供たちの服装は粗末で薄汚れているが、皆元気溌剌としていて健康そうだ。
「ただいま、みんな」
子供らに抱き着かれ、満面の笑みになっているケヴィンに、グレースは声を掛ける。
「私は園長先生と話をしてくるから。君はしばらく自由にしていてくれ」
「あ、はいっ!」
グレースはケヴィンと子供たちを残し、園長室へと入って行った。
この孤児院の園長は、パトリックといって初老くらいの見た目の男性だった。グレースがベルンハルトからの献金を渡すと、彼は何度も頭を下げていた。
「助かります。これで子供らにちゃんとした食事を与えることができる」
「施設の運営は厳しいのですか?」
「楽というわけではありません。ですが、こうした魔王陛下たちからの御恵みのおかげで、どうにかやっていけています。それに……」
「それに?」
「どれだけ厳しくとも、九十年前までよりは余程良いです」
パトリックは表情を暗くさせた。
「あの頃の貧民街はまるでこの世の終わりのようだった。人々は飢え、病が蔓延し、そこらで殺人事件が起こっていた。魔犬が死体の腕を咥えて歩いているのを見るのは、日常茶飯事だった」
「……」
「それが今では、元気に駆け回る子供たちを目にすることができる。それだけで、どれほど幸福なことか……秘書長官様のご尽力に感謝いたします」
パトリックは昔から身寄りのない子供たちを保護していたらしい。魔界の住民にしては珍しいくらい奉仕の精神が強いようで、教会の聖職者を
同じ慈善活動についても、クラークとは対極の考え方をしていそうだな、とグレースは思った。
パトリックの話を一通り聞いた後、グレースは「何か困っていることはありませんか?」と彼に尋ねた。すると、パトリックは少し迷った素振りをみせる。
「何かあるんですね?」
グレースがパトリックの目を覗き込むと、「実は…」と彼は切り出した。
「最近、この孤児院にならず者たちがやってきて、金品を渡すよう脅しをかけてくるのです」
「えっ…ここにですか?」
グレースは目を丸くした。というのも、貧民街の住人ならこの孤児院が魔王に支援されていることを誰でも知っている。つまり、孤児院の後ろ盾が魔王であり、孤児院に対して何かをやらかすということは、魔王に喧嘩を売っていることに他ならない。
「そんな愚か者がいるのですか?」
「どうにも、他所からの流れ者のようでして。この街のルールを分かっていないようなんです」
「なるほど……それは大変だ。すぐにこちらで対処いたします」
取り急ぎ、魔王城の衛兵を派遣して、孤児院をそのチンピラ共から守ろうか。そんな算段をしていたところ、グレースは異変に気付く。その眼光がスッと鋭くなった。
ほどなくして、外の方が騒がしくなる。はしゃいだ声とは明らかに違う、子供たちの大声が聞こえてきた。
「ま、まさか…アイツ等が……」
パトリックが顔色を変えた。
「きゃあっ!ケヴィンっ!!」
子供らの悲鳴が聞こえたとき、ふと気付くと、パトリックの前からグレースが忽然と姿を消していた。
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