第10話 嵐の前(Ⅱ)

「あの、いい加減離れてもらえますか」


 ザシャがいなくなると、グレースはベルンハルトに抗議した。相変わらず、くっついているベルンハルトに対して実に鬱陶しそうな顔をしている。


 そのとき、音楽隊が舞踏の音楽を変えた。それを耳にして、パァっとベルンハルトが表情を明るくする。


「せっかくなんだから踊ろうよ」

「えっ」


 勘弁してくれと言いたげなグレースだが、それを無視してベルンハルトはぐいぐいと広間の中央に彼女を引っ張って行く。


 魔王ベルンハルトとそのパートナーが踊るのかと、周囲の貴族たちは二人に注目した。その中には、元人間の従者ごときがダンスを踊れるのか。よもや、魔王陛下の足を踏んづける失態を起こさないだろうな――と、グレースのミスを期待し、それを見逃さんとする意地の悪い視線も含まれていた。


 当のグレースはというと、全く気乗りがしなかったが、広間の中央にまで連れてこられては踊らずに帰るわけにもいかない。そう諦めの心境になる。

 結局、グレースはベルンハルトの手を取ると踊り始めた。ワルツに合わせて、滑るように、優雅に舞うベルンハルトとグレースの二人を見て、会場から感嘆のため息が聞こえてくる。


「へぇ、上手いじゃないか」


 ベルンハルトは嬉しそうに言った。


「ありがとうございます」

「どこかで社交ダンスを習ったの?」

「いいえ。ただ、ずっと見てきましたので」


 生前も死後も立場上、裏方や護衛の仕事として舞踏会に参加することが多かったグレースだ。講師にレッスンを受けなくとも、見ている内に覚えてしまったのである。

 もっとも、何の練習もなしに見たままを再現できるのは、彼女の異常なまでの身体能力があってこそだが……。


「君はともこうやって踊っていたの?」

「まさか。私はあくまで彼の、ただの護衛でしたので」

「ふぅん。の護衛ねぇ…」

「……何か?」

「いいや。の護衛がまでしたのかなぁ…と思って」

「……」


 軽やかにステップを踏みながら、皆が見入ってしまうようなダンスを踊るベルンハルトとグレース。しかし、二人の間には不穏な空気が流れ始めていた。

 グレースは元主君のことを持ち出されることが好きではないのだ。もう終わった事だ、と彼女は言う。


「そう……まぁ、そういうことにしておいてあげるよ。ただ、肝に銘じておけ。今の君の主は誰かということを」

「御意」


 曲が終わると共に拍手が巻き起り、ベルンハルトの元へ貴族の令嬢たちが殺到する。


「陛下、素晴らしかったですわ」

「ええ、思わず見惚れてしまいました」


 きゃあきゃあ甲高い声が響く中、スッとグレースの近くに寄って来る者がいた。それは秘書官室配属の部下だ。


「グレース様、お話が」


 部下の様子から、問題事の気配を察したグレースは、ベルンハルトに「行ってもいいか?」と目で問いかける。令嬢たちに囲まれながら、ベルンハルトは諦めたかのように頷いた。

 上司の許可を得て、グレースは静かに広間を離れる。そして、周囲に誰もいないことを確認したのち、部下に問いかけた。


「いったい、何があった?」

「それが……」


 部下が口にしたのは、衝撃的な内容だった。


「ヘンネフェルト伯爵が殺されました。魔王城へ至る道中、彼の馬車が何者かに襲われたのです」




 伯爵の一報を聞き、グレースはドレス姿のまま秘書官室に戻った。室内には、クラークとラルフの二人がいた。

 グレースが部屋に入ってすぐ、ラルフがその場にひれ伏した。


「隊長!申し訳ありません」


 平伏しながらラルフは謝罪の言葉を口にする。今夜、ラルフはヘンネフェルト伯爵監視の任務に当たっていたのだ。


「謝罪は後だ。それよりも何があったのか、報告を――」

「はい…」



 ラルフはグレースの命令通り、第七地獄王都内にあるヘンネフェルト伯爵の屋敷で彼の行動を監視していた。娘のマルガレータが屋敷を発ってしばらくした後、伯爵自身も馬車で魔王城の夜会へ向かい、それをラルフは尾行していた。

 道中、これといったトラブルもなく、伯爵もそのまま魔王城へ辿り着くと思われた。しかし――


「霧が出たんです」


 ラルフが言う。

 

 当初のラルフは、目の前の霧を特別怪しんではいなかった。だが、霧はどんどん深くなり、やがて数メートル先ですら視界が危うくなると、彼も慌て始めた。すでに、ヘンネフェルト伯爵の馬車も霧に呑まれて見えなくなっていた。


「おそらく、アレは魔力で作られた濃霧だったんです」

 

 不意に、伯爵の馬車の方から悲鳴が聞こえてきた。すぐさまラルフは馬車へ向かう。

 そこには、御者が腰を抜かして地面に座り込んでいた。そして、彼の視線の先――馬車の中にあったのは……


「ヘンネフェルト伯爵の死体でした。彼は何者かに斬り殺されていたんです。その場にいた護衛は気絶させられていて……後で確認したところ、犯人について何も覚えていないと」

「――っ」


 グレースは唇を噛んだ。


 ヘンネフェルト伯爵を殺したのは、もちろんグレース配下の者ではない。伯爵と敵対していた彼女だったが、彼には生きていてもらわなければならなかった。生きたまま伯爵の取り調べをし、シュタインマイヤー公爵らの悪行を吐かせることで、保守派貴族に決定的な一撃を加える……それがグレースの目論みだったのだ。


 しかし、今それがご破算となってしまった。


「――チッ。いったい、誰が…っ」

「分かりません。でも、目の前でみすみすヤツを殺されたのは、俺のミスです。隊長、俺はどんな罰でも……」


 悲壮な顔のラルフに、グレースは内心溜息を吐く。

 確かに、これはラルフの失態だ。しかし、見張りが彼以外の誰かだったならば、今回の事態を回避できたかというと、それは無理だろうと彼女は結論付ける。お調子者の気はあるが、ラルフの腕は確かで、そこはグレースも評価していた。


「君の処分も後回しだ。すぐに、私も事件現場へ向かう。今なら、残留魔力から何か分かるかもしれないからな」


 そう言って、きびすを返そうとするグレースに、これまで静かだったクラークが声を掛けた。


「グレース様」

「なんだ?私は急いでいるんだ」

「急いでいるのは分かります。しかし、で現場へ?」

「格好……あっ」


 そこで、グレースは自身が夜会用のドレスに身を包んでいることに気付いた。こんなものを着て現場へ出向けば、目立って仕方ない。

 忌々し気に舌打ちしつつ、彼女は「すぐ着替える」と言った。


 同時に思う。今日は厄日だと。



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