第9話 嵐の前(Ⅰ)

 魔王ベルンハルトのエスコートで、グレースが広間ホールに入ると、周囲の視線が一気に二人に集中した。


 ベルンハルトの隣にいる女性は誰かと、会場の魔族たちはざわめき立ったが、割とすぐにそれがグレースだと分かったようだ。敬意や敵意、憧れや嘲笑――さまざまな視線に彼女は晒された。

 ただし、面と向かってグレースに喧嘩を売る者はいない。ならば良い、と彼女は思う。こちらの沽券こけんにかかわるようなことをしなければ、他人が影で己のことを何と言おうが、グレースは構わなかった。


 ベルンハルトに皆がうやうやしくお辞儀をし、挨拶の機会を伺っている。

 グレースはその傍らで、広間の様子を伺った。参加者たちは歓談と舞踏に興じていて、夜会はつつがなく進行しているようである。


 そんなとき、


「ごきげんよう」


 高い女性の声が聞こえてきた。

 この声は確か……。グレースが声の方に視線をやると、ベルンハルトに近づく若い娘が目に入った。

 やはり、ヘンネフェルト伯爵の娘マルガレータだと、グレースは気付く。


 マルガレータは美しいドレスと煌びやかな宝石で自らを飾り立てていた。伯爵は領地で大規模農園を経営し、ずいぶん懐が潤っているともっぱらの噂だ。マルガレータの装いは、それを裏付けるような豪華さだった。


 娘が此処にいるならば、その父親の伯爵もすでに会場入りしているのだろうか。そう思って、グレースは辺りを見回した。しかし、肝心の伯爵の姿はない。


 ヘンネフェルト伯爵は、S-2地区を占拠していたテロリストの黒幕として名前が挙がっている人物だ。その後の捜査により、伯爵から金銭がテロリストたちに流れていたことが判明しており、近いうちにその身柄を押さえる手筈が進んでいる。

 伯爵はグレースの政敵である保守派貴族の最大勢力、シュタインマイヤー公爵派の中心人物であるため、上手くいけば保守派に決定的な一撃をお見舞いすることができるはずだった。


 逃亡防止のため、グレースはヘンネフェルト伯爵に見張りをつけていた。今のところ、そちらからの連絡はない。どうしてこの場に伯爵がおらず、娘だけがいるのかが、グレースには気になるところだった。


 ちらりとグレースはマルガレータを見るが、彼女の方は少しもグレースを見ようともしなかった。グレースを視界から完全に排除し、頬を紅潮させてベルンハルトと会話するマルガレータ。彼女からは、断固としてグレースの存在を無視しようとする意志を感じられた。


 それとなく、父親の所在を聞きたいのだが……困ったな。ここで私が話しかけても、素直に応じてくれるとは思えないし……さてはて、どうしようか。

 グレースがそう思案していると、ふと思いついたような様子でベルンハルトがこう言った。


「そう言えば、ヘンネフェルト伯爵は?」


 自然な流れでマルガレータに質問するベルンハルトに、グレースは胸の内で彼を賞賛する。

 S-2地区のテロリストの一件は、逐一ベルンハルトに報告していた。故に、彼は伯爵が黒幕であることも承知している。その上でのマルガレータへの問いかけだろう。

 ベルンハルトはサボり癖のひどい上司だが、無能ではない。それどころか、能力的にはとても有能だ。ただし、彼の辞書には「勤勉」という二文字がないだけだった。


「父は所用で少し遅れて来るようです。是非とも、陛下にもお目にかかりたいと申しておりました」

「そっか、それは楽しみだな」


 そのとは何か、それが気になるグレースだが、これ以上の詮索は相手に疑われるだけだろう。

 もし、ヘンネフェルト伯爵が何か行動を起こそうとすれば、部下から連絡があるはずだ。今は様子見しよう――そう、グレースは判断した。



 マルガレータと別れた後も、次から次にベルンハルトの前へ挨拶に来る魔族は後を絶たなかった。

 男性もいるが、それ以上に女性に声を掛けられることが多い。彼女らは虎視眈々こしたんたんとベルンハルトの恋人――ひいては妻の座を狙っている様子だった。


 そんな御令嬢方にとって、グレースは目の上のたん瘤的な存在に他ならない。だからか、グレースに対する御令嬢方の態度は冷淡だった。明らかにグレースを敵視している。

 けれども、彼女らがグレースに面と向かって何か言ってくることは無かった。やはりというか、なんというか。さすがは貴族。その辺りの分水嶺ぶんすいれいはわきまえているのだ。


 そうやって、貴族の御令嬢方に囲まれていたベルンハルトだったが、


「あっ!あれ、ザシャだ!」


 ホールでとある人物を見つけ、声を上げた。そして、そちらの方へ足を向けると、ベルンハルトの周りにいた令嬢たちはサーっと潮が引くように少し距離をとった。


 ベルンハルトの視線の先には、見上げるような身長の大男がいた。外見上の年齢はベルンハルトと同じ、二十代後半くらいに見える。


 彼は憤怒の魔王、ザシャ。第四地獄を統括する魔族の王であった。


 第七地獄ここと第四地獄は地理的に隣接しているため、両国間でのやり取りは多い。実は二日後、ザシャはベルンハルトとの会談を控えている。そういう背景もあって、ザシャはこの夜会に参加したのだった。


 強面で不機嫌そうな表情のザシャの周りには、ほとんど誰もいなかった。同じ魔族でさえ、ザシャには近寄りがたい雰囲気や威圧感を感じているようだ。

 いつもにこやかで、誰かしらが寄って来るベルンハルトとは対照的である。

 ザシャの隣には、彼の腹心であるエッカルトだけが影のように佇んでいた。


「やぁ、ザシャ。久しぶり」


 ベルンハルトが片手を挙げて近づくと、ザシャの眉間に一つ皺が刻まれた。


「……ああ」

「夜会は楽しんでいる?というか、パートナーの女性は?」

「ンなもんいねぇ」

「なんだよ。相変わらず、女っ気がないなぁ」

「用がねぇなら他所へ行け。会談は二日後だろう」

「つれないなぁ」


 フレンドリーなベルンハルトに対して、ザシャは明らかに迷惑そうだ……と、彼の視線がこちらに向いた。


「誰かと思えば……なんだ。アンタか」

「ご無沙汰しております、閣下」


 ベルンハルトの少し後ろに控えていたグレースは、ザシャに対して頭を下げる。ベルンハルトの秘書長官をしている彼女は、他地獄の魔王と面識があった。


「珍しいな。アンタがそういう格好をしているのは」


 ザシャはグレースに言う。いつもは男のような恰好をしているグレースのドレス姿は、彼の眼に物珍しく映るようだ。途端に、彼女は遠い目になった。


「そこは見て見ぬふりをしていただけると……」

「美しいだろう」


 虚無の表情になったグレース。一方、ベルンハルトは満面の笑みで彼女の腰に手を回し、引き寄せた。グレースはその手をつねり上げるが、ベルンハルトは涼しい顔をしている。

 そんな二人の様子を見て、ザシャは呆れ顔をした。


「……お前、自分の部下に無理強いしたのか?」

「まさか。丁重にお願いしただけだよ。俺のパートナーになって――と」


 言いながら、ベルンハルトはグレースの方へさらに体を密着させる。彼女は露骨に顔をしかめたが、ベルンハルトはおかまいなしだ。

 見かねた様子で、ザシャはベルンハルトに苦言を口にした。


「……おい。あまり、見苦しい真似はよせ」

「え~、見苦しくなんかないよ。それにこうやって、グレースが誰のかアピールしておかないとね」

「……」

「彼女は俺のもの、そういう契約だから」


 ザシャは小さく溜息を吐くと、同情的な眼でグレースを見た。


「アンタも大変だな」


 そう言い残し、腹心と共にその場を去って行った。




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