第8話 夜会への誘い

「もうすぐ、城主催の夜会があるよね」


 ふと思い出したかのような魔王ベルンハルトの言葉に、グレースは「何をいまさら」という顔をした。なぜならここ最近ずっと、その準備のために、彼女自身忙しくしていたからである。

 くだんの夜会には、国内の貴族や有力者が集うだけではなく、他地獄からの来賓もあり、外交の場としても重要なイベントだった。


「もちろん君も参加するだろう」

「当たり前でしょう。こちらは主催者側ですよ」


 当日は、夜会の進行や会場の準備と警備、来客たちの誘導や受付などなど――裏方としてやるべきことが目白押しだ。


「陛下はお客様にきちんと挨拶をなさってくださいね」

「えっ?どうして、当日別行動するみたいに言っているの?」


 不思議そうに瞬きするベルンハルトに、グレースは眉をひそめた。


「そりゃあ、別行動するに決まっているでしょう。陛下は主催者として来賓した方々への挨拶、私はもちろん裏方です」

「ええっ~!そんなのダメに決まってるだろう。君には俺のパートナーとして参加してもらわないと」

「……は?」


 グレースは露骨に顔をしかめるが、ベルンハルトはニコニコと無邪気に笑っている。


「御冗談を。私は従者です。裏方でもなく、夜会に参加するなど……」

「何を言ってるんだ?君は爵位を持っているじゃないか」

「あ~……まぁ…」


 そう言えば、第七地獄への貢献をたたえられて、男爵の地位を授与されていたことをグレースは思い出す。ただ、貴族と言っても最下位の爵位であるし、普段グレースがその称号を使うことはない。


「ね?君が俺のパートナーとして夜会に参加しても、なんら問題はないよ」

「大いにあります。私には当日、仕事がありますし。他を当たって下さい」


 グレースの前では、全く威厳があるようには見えないベルンハルトだが、これでも第七地獄を治める魔王だ。彼のパートナーに名乗り出たい御令嬢はたくさんいる。選り取り見取りのはずだった。

 しかし、ベルンハルトは「パートナーはグレースに」と頑として譲らなかった。いつもよりしつこい上司に、グレースはうんざりした。


「いい加減にしてください」


 グレースは語気を強めて言う。これくらい言えば、さすがに諦めるだろう――そう思った彼女だったが……。


「グレース」


 ベルンハルトは低い声でその名を呼ぶと、彼女の腕をグイッと引っ張った。思いのほか強い力で引き寄せられ、グレースはたたらを踏む。眼前にベルンハルトの顔があった。

 相変わらず、笑みを浮かべているベルンハルトだったが、人好きするものから冷笑へ――そのは様変わりしていた。

 彼は目を弓なりに細め、グレースに尋ねる。


「俺との契約を覚えている?」

「……もちろんです」

「俺は君のを叶えてあげた。代わりに、君は俺にするという契約だったよね?」

「でき得る限り、私はあなたと第七地獄ここのために働いている――そのつもりですが?」

「そうだね。君は本当によくやってくれているよ。想像以上だ。でも、俺が当初思い描いていた形とは違うと、自覚しているだろう?」


 目の前の男が何を言わんとしているか、もちろんグレースには分かっていた。


 元々、ベルンハルトはグレースを愛人や情婦のような形で手元に置いておきたかったのだ。彼女に秘書官の役割を与えたのも、ベルンハルトの身の回りの世話をさせるため。

 実際、当時の魔王秘書官という官職は大した権限を持ち合わせていなかった。そんな思惑を十分知りながら、グレースはベルンハルトの的部分ではなく的部分で彼に尽くしている。


 冷たいベルンハルトの視線を、グレースは真正面から受け止め、睨み返した。


「契約上は、あなたにするという文言だけ。どういったするかは定められていませんでした」

「うん、そうだね。あれは俺も、我ながら抜かったと思ったよ。まぁ、当初の予定とは違ってしまったけれど、これはこれで面白いし、良いけれどね」

「では――」

「でもさ」


 グレースの言葉を遮って、ベルンハルトは言う。


「たまには、俺の思う通りに動いてくれても罰は当たらないんじゃない?」

「……」

「愛しているよ、グレース」


 ベルンハルトは甘く囁きながら、羽根よりも軽い……とグレースが考えるセリフを吐く。


 しばらくの間、グレースとベルンハルトは無言のまま睨み合った。

 はぁ――小さな溜息とともに、先に視線を逸らしたのはグレースの方だ。彼女は心底嫌そうな顔をして、こう言った。


「……パートナーの件、承知いたしました」


 当日の裏方の仕事は、他に任せるしかない。また、クラークや侍従長たちと打ち合わせをやり直さなくては。そう思うと、グレースはさらに気が滅入った。


 一方で、ベルンハルトの表情はたちまち明るくなる。先ほどまでの酷薄さは消えうせ、彼は屈託ない笑みを浮かべた。


「やったぁ!実はさ、君のドレスはもう決めてあるんだよ!」


 そんなことをウキウキとした調子でのたまうのだった。




 夜会当日――グレースはベルンハルトが用意した夜会用のドレスに身を包んでいた。


「うわぁ!センパイ、お似合いですっ!」


 普段のバトラー服に近い地味な装いから、華やかなドレス姿に変わったグレースを見て、ミアは歓声を上げた。


「ありがとう」


 無の表情で、グレースが答える。ドレスを着用する段階で、すでに嫌気がさしていた。


 ベルンハルトがグレースに用意したドレスは、ピンクなどの明るく色鮮やかなものではなく、比較的落ち着いたブルーグレイの色合いだった。まぁ、これはグレースの好みに合っている。

 しかし、貴族のドレスの着付けとはなんと手間のかかることか。数多の下着類――コルセットやペチコート、パニエなどなど――を身に着け、髪も結ってもらわなければいけない。コルセットの苦しさにも辟易である。


 加えて、もう一つ。グレースが気に入らないのは、このドレスのフィット感だ。

ベルンハルトが用意したドレスについて、当日までグレースは仮縫いどころか、採寸さえしていない。にもかかわらず、驚くくらいサイズがぴったりである。

 あの男、なぜ私の身体のサイズを知っているのだろうか……と、不気味に思えてならないグレースだった。



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