第7話 御前試合の記録(Ⅱ)

 グレースが黒の大剣で、対戦相手の男の手首を切り落としたのだと皆が気付いたとき、彼女はすでに次の行動に映っていた。

 大声で泣きわめく男の喉に、グレースの蹴りが炸裂する。すると、先ほどまでうるさかった男が途端に静かになった。


【――っっっ!?】


 対戦相手の男は残った左手を自身の喉にやり、苦悶の表情を浮かべているが、声がほとんど出ていない。彼はグレースに喉を潰されたのである。

 のたうちまわる男。その腹に、またグレースが蹴りを入れた。彼は口からごぼっと血を吐く。それを何度も繰り返した。

 男は声にはならない声で必死に何かを訴えていたが、グレースは攻撃の手を緩めない。次は彼に馬乗りになり、その顔面を殴りつける。


 あまりにも一方的な試合運びに、会場はシンと静まり返っていた。

 実質的にもはや勝負はついているが、男は敗北を宣言していないし、意識もまだある。故に、グレースの勝利条件はまだ満たされておらず、試合は続行された。


 グレースによる対戦相手の蹂躙じゅうりんを目の当たりにして、ケヴィンはやっと彼女の意図に気付いた。

 わざと対戦相手の喉を潰し、敗北宣言できないようにしてなぶる――それがグレースの目的だ。



「ひ、ひどい…」


 青ざめたケヴィンがそう呟いたとき、横から声がした。


「懐かしいものを見ていますね」


 ケヴィンが顔を上げると、そこにクラークが立っている。クラークはしげしげと水晶玉を覗き込んでいた。


「これ、随分前の御前試合の映像でしょう。まだ、私も地獄に来ていなかった頃の」

「あ、えっと…ミアさんに貸してもらったんですけれど……」

「ああ、あの人なら喜々としてあなたに貸しそうですね。センパイのかっこ良いお姿だとか、何とか言って」

「かっこいい……ですか?」


 恐ろしいの間違いではないのか、とケヴィンは思う。

 ミアはこの御前試合のグレースを絶賛していたが、ケヴィンにはとてもそんな気持ちにはなれなかった。それどころか、グレースにはがっかりした。こんな風に意味もなく相手を痛めつける人だったなんて……。


 ケヴィンが表情を暗くしていると、クラークは小さく溜息を吐いた。


「言っておきますが、グレース様は不要な暴力を働く人ではありませんよ」

「えっ、でも…」


 ケヴィンは水晶玉に視線を移す。

 そこには、審判に勝利を言い渡されているグレースがいた。どうやら、対戦相手の男は気絶してしまったようで、戦闘不能と見なされたらしい。

 映像には横たわる男も映し出されていた。まだ生きてはいるが、虫の息のように思える。


「なにもここまでしなくても…」

「それがな状況だったのです。おそらくな暴力だったんですよ」

「それはどういう意味ですか?」


 ケヴィンが尋ねると、クラークは中指で眼鏡を押し上げた。

 当時のことは、私も伝聞や資料でしか知りません――そう断ったうえで、クラークは話し始めた。


「例の御前試合当時、魔王秘書官というのは、あくまで陛下の私的な庶務を請け負う官職で、今のような権限がありませんでした。グレース様も周りの貴族たちからは侮られ、見くびられていた。どうせ、大した力もない陛下の愛人だろうと」


 今では信じられない話だが、面と向かってグレースに嫌みを言ったり、喧嘩を売ったりする魔族も大勢いた。そして、グレースを襲撃する刺客の数も現在よりずっと多かった。


「弱肉強食の魔界において、敵に侮られる、見くびられる――ということは、由々しき問題です。格下と見られると、周りから体のいい獲物だと標的ターゲットにされ、余計な面倒ごとに巻き込まれる」


 グレースは周囲の魔族から見下され、トラブル続きだったようだ。

 そこで、彼女は一計を案じた。それが件の御前試合だったわけである。


「この第一試合以降のグレース様の対戦も、私は観戦したことがありますが、彼女は初回と同じことをしました。対戦相手の喉を潰し、敗北を宣言できないようにした後、ひたすら相手を痛めつけていたのです」

「ひっ、そんなっ!どうして、そこまで相手を痛めつけるんです?もう勝負はついているのに」

「相手に……いいえ。この御前試合を観戦している魔族たち全員に知らしめるためですよ。言わば、見せしめです」


 クラーク曰く、有力貴族たちは彼らご自慢の手駒を選手として御前試合にエントリーさせていたらしい。選手たちは、その背景バックにいる貴族の力を誇示するためのステータスの一つであり、この御前試合はいわば貴族らの力関係の縮図になっていた。


 そんな選手たちを圧倒的な力でねじ伏せ、痛めつけることで、グレースは彼らの主である貴族たちに暗に示したのだ。

 自分に逆らえば、どうなるかということを――。


 ゴクリとケヴィンは唾を飲み込んだ。


「お前たちが喧嘩を売っている相手がどんな人物か知っておけ――そういうことでしょうね。実際、御前試合以降、真正面から挑みかかって来るような相手は激減したみたいです。御前試合での一方的な暴力は、グレース様にとって己の強さと意思を示す暴力だったと思われます」

「……そうですか」

「また、見せしめや脅しの効果以外にも、強さを誇示することでグレース様を支持する魔族が増えました。ミア君やラルフ君がその最たる例ですよ」

「そう言えば、この御前試合でファンになったと言ってたなぁ…」

「それだけ、魔界では強さを示すことが重要というわけですね」


 クラークの説明を聞いて、ケヴィンは頷いた。まだグレースの暴力を嫌悪する気持ちはあるものの、少なくともその行動理念は理解できた。


 ケヴィンは水晶玉に視線を落とす。

 映像の中で、その圧倒的な力でグレースがまた一人、対戦相手を打ち負かしていた。



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