第6話 御前試合の記録(Ⅰ)

 顔面にかかる水の冷たさに、ケヴィンは文字通り飛び起きた。

 起きてすぐ、いったい何事かと辺りを確認すると、すぐ近くに満面の笑みの可愛らしい少女の顔があった。ミアである。


「あっ!起きたぁ!」


 ミアの手にはバケツが一つ。どうやら気を失っていたケヴィンは、これで水をぶっかけられたらしい。

 何とも酷い起こし方だが、当の本人には全く悪気がないようで「おはよう!」と屈託ない笑みを向けてくる。


「お、おはようございます」


 おずおずとケヴィンがそう答えると、横からラルフが会話に入ってきた。


「ミア。お前、もう少し優しく起こしてあげろよなぁ」

「ええ~?アタシ、十分優しいよ?」

「どこがだよ」


 そんな二人の言い合いを聞きながら、ケヴィンは頭の中を整理する。それで、敵の襲撃に遭ったことを思い出した。

 いつの間にか、ケヴィンは秘書官室の前の廊下の壁にもたれかかっていた。彼が気を失ったのは秘書官室の中のはずだから、誰かが運んでくれたのだろう。


 ケヴィンは首を伸ばし、室内を見ると、掃除用具を持った魔王城のメイドたちが忙しく出入りしているのが見えた。彼女らは、スプラッターな有り様になった部屋を片付けてくれている。


 そこで、ケヴィンはハッとする。


「あ、あの後っ!ど、どうなったのでしょうか?」


 あの襲撃後、グレースやクラークはどうなったのか。二人の安否が分からなかった。どちらも無事だったような気がするが、気絶する前の記憶が曖昧あいまいなケヴィンである。


 グレースとクラークのことが心配で、どもりながらも、ケヴィンはミアとラルフに尋ねた。

 けれども、言葉が足りなかったせいか、「どうなったって、何が?」とミアは小首をかしげていた。


「えっと、あの…」

「ああ、心配するな!」


 ラルフがバンバンとケヴィンの背中を叩く。

 

「安心しろ、書類は無事だぞ。隊長が死守してくれたから、返り血も付いていない」

「いやっ!そうじゃなくて!!」


 ミアもそうだが、ラルフも大概ズレているとケヴィンは思った。


「書類なんかより!秘書長官様とクラークさんはご無事ですか?」

「へ?隊長とクラーク?」


 ラルフとミアは互いに顔を見合わせる。それから、フルフルと肩を震わせると、腹を抱えて笑い出した。


「隊長が無事かなんて、無事に決まってんじゃん!」

「そうそう!あんなの、センパイの敵じゃないよ。もちろん、クラークも無傷。なんたって、センパイが付いていたんだから」


 ラルフとミアの反応は、グレースの心配をするなんておかしいというものだった。それくらい、グレースが強いということなのだろうが……それでも、身近な人が襲われれば、普通は心配するんじゃないか。ケヴィンは納得のいかない顔をした。

 それに気付いたのか、ぴくりとラルフが片方の眉を上げた。


「何だよ、ケヴィン。お前、隊長の強さを知らないのか?例えば、御前試合の逸話エピソードとか」

「えっ…御前試合の?」


 何のことだろう。そう頭上に、疑問符を浮かべるケヴィンに対して、ラルフとミアは信じられないというような表情をする。


「マジで!?あの伝説の御前試合を知らずに、魔王城うちに入って来たの?」

「信じられない!絶対に、あの試合は見ておくべきだよ!センパイ、すっごく、かっこ良かったんだから!アタシ、当時の映像を魔道具に保存しているから、今度貸すよ!」

「おう!そうしろ、そうしろ!」


 ミアとラルフがあまりにも熱心に薦めるので、ケヴィンは少々面食らう。彼らにとって、その御前試合というのはかなり重要なイベントだったようだ。


「アタシ、あの試合を見て魔王城ここに就職したんだもん!絶対、センパイの下で働きたいって思ったんだぁ」

「俺も、俺も!あのときの隊長、マジかっこよかったよなぁ!あの強さといい、容赦のなさといい、これぞ魔族って感じで!」

「うん!皆に魔王の秘書長官サマを知らしめたよね~」


 当時の試合内容を思い出したのか、にわかにミアとラルフが興奮しだす。そこまで言われれば、その試合がどういったものなのか、ケヴィンも俄然興味が出てきた。


「じゃあ、お言葉に甘えて…。ミアさん、ボクにもその試合の記録を貸してもらえますか?」

「もちろんだよ!アレを見たら、ケヴィンもセンパイのファンになっちゃうよっ!!」

「すごく楽しみです」


 そして翌日、ミアは約束通りに御前試合を記録した魔道具をケヴィンに貸してくれた。




 午前と午後の間の休憩時間の秘書官室。

 ケヴィンは早々に昼食を食べ終えると、わくわくとした様子で魔道具を取り出した。今朝、ミアに借りたばかりのもの。御前試合の様子が記録されているという魔道具だ。


 魔道具はこぶりな水晶の形をしていて、そこに映像が映る仕掛けになっている。ケヴィンは魔道具に魔力をこめた。途端に、水晶が淡く光り出し、そこに映像が浮かび上がる。


「あ、映った!」


 それは、円形闘技場の光景だった。客席には所狭しと魔族が座り、会場はすでに大盛り上がりだ。

 中央の試合場では、司会進行を務める中年男性がこの御前試合のルールを説明していた。


 武器も魔法も何でもあり。

 勝利条件は、相手に「負けました」と敗北宣言させるか、もしくは相手を戦闘不能にすること。ちなみに、この戦闘不能状態には気絶の他に、死亡も含まれるらしい。

 何とも魔界らしい残酷なルールだ。唯一の救いは、負けを認めれば、勝負から降りられることだろう。


 御前試合の参加者の多くは、屈強な体を持つ魔族の男だった。そんな中で、目を引くのが魔王ベルンハルトの秘書長官グレースである。

 周りの参加者たちに比べて、グレースはとてもか弱そうに見えた。こんなデカブツたちを相手にして本当に大丈夫なのかと、ケヴィンは心配になる。


 ややあって、水晶はグレースの第一試合を映し出す。彼女の対戦相手は、二メートルを超える大男だった。


【おいおい。こんなお嬢ちゃんが俺様の相手かぁ?そんな細腕でいったいどうやって俺様とやり合おうって言うんだ?あぁ?】

【……】


 対戦相手はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら、グレースを見下ろす。

 片や、グレースは黙したままだ。


【まさかブルっちまって声も出ねぇのか?この売女がっ】


 すると、客席からもグレースに対する心無い罵声が飛び始めた。

 しまいには、「殺せ、殺せ、あのアマを殺せ」と大合唱が起こる。

 それでも、グレースは顔色一つ変えなかった。


 やがて、試合開始の鐘が鳴り響く。対戦相手の男は大槌ハンマーを振りかぶり、グレースを叩き潰そうとした。

 それを目の当たりにして、「ひえっ」とケヴィンが小さく悲鳴を上げる。しかし、次に水晶に映った光景を見て、ポカンと口を開けた。


 大槌がズシンと音を立て、男のすぐ傍に落ちてしまったのだ。 

 しかも、男の手首で。


【ぎゃあああああっ!】


 自分の無くなってしまった右の手首。そして、その断面から吹き上げる血液を見て、対戦相手の男は絶叫した。

 いったい、何が起こったのか。男も、客席たちも理解できていなかった。

 そんな中、グレースは一人静かに佇んでいる。


 いつの間にか、グレースの手には彼女の背丈ほどもある漆黒の大剣が握られていた。



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