第5話 わりとよくある話
魔王城に帰ると、グレースはクラークにエレオノーラ・バルツァー伯爵との一件を話して聞かせた。
「死体の傷痕に、聖魔法の
クラークは怪訝そうな面持ちで、眼鏡の角度を正す。
「他にもこういった事例が報告されてないか、調べてくれるか」
「分かりました。ですが、そういった報告は私の知る限り届けられていないかと。まぁ、聖魔法の痕跡自体に気付けていない可能性もありますが…」
グレースとクラークがそんな会話をしているところへ、ちょうどケヴィンが通りかかった。彼は上司二人を見て「こんにちは」と会釈する。
「ああ、ケヴィンか。どうだ?仕事には慣れたか?」
「はい、秘書長官様……と言いたいところですが、まだまだです。クラークさんにはご迷惑をかけ通しで……」
気弱そうな目でケヴィンはクラークを見る。
「まぁ、彼はよくやってますよ。少なくとも、居眠りで大事な書類をよだれでべしょべしょにしたり、ミスでワンオーダー多く物品を発注したり、会話中に馬鹿力で背中を叩いてこちらを吹っ飛ばしたり……しませんから」
「しませんよ!というか、そんなコトする人いるんですか?」
「ラルフ君とミア君だ」
「……え」
ポカンと大口を開けるケヴィンに対して、ラルフとミアを直々訓練・教育してきたグレースは明後日の方向に視線を泳がせる。
あの二人、強いことは強いのだが、戦闘以外の面がからきしだ。少し前に、ミアに書かせた始末書も酷い内容で、グレースが付きっきりで書き方を教えたぐらいである。
もっとも、グレースだって事務仕事が得意というわけではない。机に向かうなら、戦っていた方が気楽である。
生前の彼女は兵士としての訓練を受けて育ち、ウィルフレッドの近衛隊長をやっていた。今は秘書官という立場上、書類仕事は避けて通れないが、机に向かっているよりも体を動かしている方がグレースの性には合っているのだ。
「何にせよ、ケヴィンが上手くやっているようで良かっ……」
「秘書長官様?」
急に口をつぐんだグレースを、不思議そうにケヴィンが伺う。グレースのアイスブルーの瞳に剣呑な光が帯びたかと思うと、彼女は声を上げた。
「クラーク、ケヴィン!机の裏へ回れっ!」
「ふぇ!?」
その瞬間、バンッと秘書官室の扉が開くと、攻撃魔法が雨あられのように降り注いだ。
「ひぃいいいいいっ!?」
悲鳴を上げて、ケヴィンはその場に尻もちをつく。腰を抜かしながら、這う這うの体で逃げていると、横から手が伸びていて、そちらに引き込まれた。
「あっ、クラークさん」
そこに居たのはクラークだった。彼がケヴィンを大きな執務机の下のスペースに引っ張り込んだのだ。
クラークは軽く机を叩きながら言う。
「コレ、特別製で頑丈なんです。並みの攻撃魔法なら問題なくしのげます。しばらく、此処で身を潜めましょう」
「に、逃げなくて良いんですか?ていうか、コレはいったい…?」
「見ての通り敵の襲撃ですね」
さらりと、とんでもない発言をするクラークは、とても落ち着いている。なぜ、そうも冷静でいられるのか、ケヴィンには信じられなかった。
「どうして、そんなに冷静なんですか!?」
「どうしてって…まぁ、慣れですかね」
「慣れ!?」
「襲撃なんてわりとよくあることですから」
「わりとよくあるんですか!?」
サーッと、ケヴィンの顔から血の気が引いていく。
やはり、自分はとんでもない職場に来てしまったのだと改めて実感した。文官だからと言って、安全でも何でもないのだ。
「最近は、静かだったんですけれどねぇ。ヘンネフェルト伯爵の件で、保守派が焦って強硬手段にでたのかな?」
「あ、あの襲撃している人たちの目的って何なのでしょうか?」
「そりゃあ、口封じじゃないですかね。ヘンネフェルト伯爵の件が公になる前に、秘書長官もろとも葬ってやろう――そう、短気を起こしたのかも」
「に、逃げなきゃ」
こんな所に居たら、殺されてしまう。敵が扉からやって来ているのなら、窓から飛び降りて脱出を……。そう考えたケヴィンが、机の下から這い出ようとしたところ――
バシュ――ッ!!
鼻先を火の玉がかすめていった。
「……」
すごすごとケヴィンは机の下に戻って行く。
「ダメです!クラークさん!逃げられませんっ!」
「そうでしょうね」
「そうでしょうねって、このままじゃボクたち、殺されますよ!?」
「グレース様がいるから大丈夫でしょう。私たちはここで待機、それが最善です。知ってます?守られる方がウロチョロしていると、守る方はやりにくいそうですよ」
「いやぁ、でも!」
「もし、グレース様が敵わないような敵が相手なら、どの道、私たちに逃げられないでしょう。諦めるしかないです」
「そんなぁ……」
潔いと言うか、何と言うか。クラークには逃げようとする意志がまるでないようだ。
さすがに、そんな風にケヴィンは覚悟を決められない――が、この攻撃魔法の弾幕の中を通って逃げるのは、現実的に無理そうである。
そうこうしている間にも、絶え間なく攻撃魔法の爆発音は聞こえてきていた。察するに、敵は相当な数だろう。それに対して、こちらで戦っているのはグレース一人。いくらグレースが強くても多勢に無勢ではないか、とケヴィンは思うのだった。
一方、クラークはというと、こんな状況にもかかわらず、手に持った書類を読み始めている。
いったい、どういう神経をしているのだろう。この人も普通に見えて、絶対普通じゃないと、ケヴィンは確信した。
ケヴィンはガタガタ震えつつ、恐怖の時間が過ぎるのをジッと待つ。
すると、徐々に攻撃魔法の連射音がまばらになっていった。そして、攻撃音のヴォリュームが小さくなったせいか、今まで聞こえなかった声が聞こえてくる。
「ぎゃあっ」
「た、助け――ぐぁ」
「ヒイィッ!」
それは悲鳴だったり、金切り声だったり様々だ。
そして、とうとう何の音も聞こえなくなって、ケヴィンは恐る恐る机の下から顔を出した。
「――っ!!?」
ケヴィンは目の前の光景に、絶句する。
飛び込んできたのは、まず赤だった。
物が破壊され、めちゃくちゃになった室内は赤に染まっている。床も壁も真っ赤、血の色だ。
加えて、辺りには人体の一部とおぼしきモノがあちこち転がっていた。
想像を絶するスプラッターで猟奇的な光景を前に、ケヴィンは卒倒しそうになる。
そんな目を背けたくなるような惨状の中、女性が一人佇んでいた――グレースだ。
「……」
グレース自身は返り血一つ浴びておらず、身綺麗なままだった。そんな彼女が血の海の中に立っている姿に、ケヴィンは非現実的な美しさを覚えた。
ふと、グレースと目が合う。
ぞくり……ケヴィンは皮膚が泡立つのを覚えた。それが恐怖によるものなのか、何なのかは分からない。だが……。
「ちょっ!?ケヴィン君!」
くらりとケヴィンが眩暈を覚えた時、遠くでクラークの声が聞こえたような気がした。しかし、それに答えることができないまま、ケヴィンは後ろに倒れ込む。
そうしてケヴィンは、完全に意識を手放した。
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