九、ひとり、夕やみ

 ひとり、自分の部屋にいれば、ひとり、夕やみが訪れる。足元に、蛾があたって死ぬ。

 窓の外から黄金のカーテンが降りて、今日の舞台は終わり。でもこれは現実だから、楽屋はない。戻るところはない。


 誰も階段を降りてこない。




 たったひとり、真夜中がきて、ほかのみんなが夜明けをむかえても、気にしない。無駄なことはしない性格になったから。

 部屋の窓ガラスに、誰がびっしり生えても、あまり気にならなくなった。あくまで「あまり」だが。


 階段には影も形もない。気配も、きしみもない。




 ぼくは何も待っているわけではない。何も待ち望んで、あけはなしたドアから廊下に見える階段を、こんなにもじっと見つめているんじゃない。


 なぜなら――


 ぼくはあなたが主役を張る舞台の、ほんの端役にもならないから。





 しかし。

 雨つづきで町の大川があふれて、ぼくが渡るアーチの隅々までが、刃物のような鋭い泡に覆われたときは。

 ぼくは橋のうえで歴史上の人物ぶって、長いサーベルを目の前におどる殺人的泡どもに向け、勇気と力の限り、突進しなくてはならない。


 なぜなら、そこに入り口があったのだ。ひらいたのだ。未知なる血の色の気泡に洗われた、まっくろなこの世の裂け目が、ついにその姿を、まるで怪物のように。


 心の奥の連隊長の声が、世界にこだまする。

「行けええええ!」

「突っ込めえええ!」


 泡の群れ、目の前に迫り、


 ヂ・エンド。





 映画にはエンディングがある。

 小説には最後のページがある。

 音楽CDも、いつかはストップする。


 けれど、これは現実だから、終わりはないのだ。

「死が終わり」だと言うけれど、本当に終わったことのある奴って、おそらくは――


 いない。



 誰も階段を降りてこない。

 変わらず。





 真夜中。

 ひとり、布団をしいて、眠ろうとすれば、海が訪れる。

 泳げなかろうが、船も買えない貧乏人だろうが、誰にでも海が訪れるという。それは、たった一人でやってくるのだ。



 そういえば前に、そんなときめんどくさいからって魚になった、という奴の話を聞いたことがあるな。まあ都市伝説だろう。

 その根も葉も引き抜き、庭で落ち葉と一緒にサツマイモのように焼いてみた。かじってみたら黒こげだ。ぺっ、ぺっ、甘いところなんか全然ない。



 ひとり、自分の部屋に戻れば、ひとり、夕やみが訪れる。たったひとり訪れてくれた夕やみ君。

「ちょうどよかった。君に、この都市伝説をあげよう。なに、遠慮するな」

 彼は人間じゃないからか、受け取って喜んでいた。ちょっと罪悪感。





 そんな茶番を、うつつで見た。

 飛び起きて、窓をあけた。


 外は、まるで夢みたいな夜になっていた。

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