二、きのう僕は、父親を殺したかった

 それは両目をえぐり出しても見せられ続ける、悪臭のような光景だ。だから鼻を消し去っても消し去っても、記憶のようにクサくて踊るんだ。


 それはまるでコンペイトウの火だるま。「くるみ割りお前」の前歯は、台風になってガタガタだ。それはあたかも、チャイコフスキーもト音記号で首を吊るような、消失ばっかの二十世紀を、果てしのない果てすらとうにない本当の果てへと、僕は足を踏み入れてしまった。


 見つめる白い川。その存在自体デタラメな主が、不法投棄の真後ろからヌッと出現上等!

「殺せ! ただし、」

 人間は、ソースと竜田揚げに限る。


 などと言われ、俺たちは、とっとと厚底鍋に圧力鍋と割れ鍋のように額も息もなく、目をむいてカラッと死ぬしかなかった。



 お母さんと違う女が、そんなにイイのか。

 俺と違う息子が、そんなに好きなのか。



 その晩、僕のお父さんは裏切ったので、裏切り返した僕のお返しは、ただの時計の針のように、まっすぐに死滅もせずにデジタル・ケツの穴。がまんできずに発射した。だがその排泄物は、ピエロの拳銃自殺よりも、あまりにサーカスすぎた。


 それはそれこそ、テントの全ての客が、どいつもこいつも腐っているのに拍手かっさいし、骨まで溶けきってしまったてめえらを棚に上げて、ボタモチになることを夢みて、ひたすら毎日を言いたいだけ言ったあとは、一生がまるで昨日のことのようで、なかったようだった。



 また父の話をする。ある日悪魔が、間違って飲み干した薬で、病気が治ってあの世行き。化け物だから普通の里帰りだが、待っていた母親は人間なので、そいつをひそかに嫌っている。

 悪魔はついにテンパってしまい、声を限りに叫んだ。

「田舎の太陽を犬のようにくびり殺す?! そんな死体を言葉でバラし、コチュジャンで晩飯にしてしまった好き嫌いは、いったい誰だ?!」


 すると茶の間の父は、まずそうな顔で言った。

「そうです、僕はアナタのことが好き嫌いです」


 そこまで言いながら、そのうえ無関心を猿に食わせ、このうえまだ蝿に食わせようと、内閣総理大臣に丸呑みにさせたような、このしつこい恨みは、末代もない俺でも忘れない。忘れられない。


「なら、どうすんだ」と母が聞く。「ウダウダ言ってるが、お前はなんだ」

「さっき目撃したんです」と僕。

「ホー、ソレデ、どうなりました?」

「俺が、天満宮のあたりを、俺の目も耳も盗んで、横切っていった日本列島の最期でした」

「ほーかえ、ほーかえ」と笑う母。「なら誰も助からないけど、お前もな!」

「それはいいけど、」と顔をしかめる僕。「死ぬのは、好きくねえ」



 そこへ父が帰ってきた。お土産の手提げ袋を畳みにおくと、俺の顔をじっと見つめて言った。

「贅沢は天使の羽根と輪っかと首で、スゴロクの果てに上がりだってな」

「そうか、だから今まで地獄だったのか」とうなずく俺。「よくわかった」

「まあ人生、いろいろだ」


 お父さんはいい人だ。いい人だ。ほんとにいい人だ。

 だけど。



 お母さんと違う女が、そんなにイイのか(母がどんなに平気でも俺は俺は)。

 俺と違う息子が、そんなに好きなのか(そっちはわりかしどうでもいい)。



 僕はいそいそと台所に行くと、すぐ戻ってきた。

「お父さん、あんたはイイ奴だ。だからブッ殺す!」

 絶叫し、包丁で父を滅多刺しにした。



 残ったのは吐く息だった、ダイヤモンド級の。這うように逃げだす母を尻目に、僕はそれで指輪を作ろうと、父の仕事場である裏の離れに持っていった。

 どうしても削れない。削れない。削れない。削れない。削れ。ない。削。れない。削れな。い。け。

 ず。

 ま、吐く息じゃな。



 パトカーのサイレンが来る。天国から降りてくるような音で、警察が我が家をやかましく取り囲む。そしてきのう僕は、父親を殺したかった。

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