第15話 読んではいけない紙芝居

 秋田県のとある小学校には、読んではいけない紙芝居が存在する。

 それを読んでしまうと、不幸が訪れるというのだ。

 紙芝居は小学校の図書準備室に厳重に保管されていて、現在では確認することができないという。


 小学校は幼稚園・保育園と比べて、紙芝居を読む時間というのはそれほど多くない。

 むしろ皆無に近い場合もある。もとより小学校で紙芝居を聞いた記憶は無い児童もほとんどだ。あったとしても、学校側が行事として呼ぶ劇団や、警察の交通安全指導などで使われる場合が多い。

 しかし紙芝居は教材として図書室に一定数存在している。そのため学校によっては望めば児童でも図書の時間に借りることもできる。一方で小学生が借りる本はほとんどが絵本や児童文学、漫画学習シリーズといった本が中心で、誰かに読んでもらうことを前提とする紙芝居に興味を示すのは稀である。

 それゆえ、紙芝居が読まれるのは1、2年生など低学年が対象で、それも紙芝居をやろうという教師がいた場合に限られているだろう。


 だがその学校では違った。

 いつ頃からか「年に一度やらなければならない」という認識があり、1年生を担当する教師が自分のクラスで何かの時間に必ず紙芝居の時間を入れていた。

 それも必ず、当該の紙芝居をだ。


 紙芝居のタイトルや内容については詳しい事はわからないが、「面白かった」という印象を持っている児童は多い。内容自体に問題は無く、むしろ子供たちには好評だという。

 実際に読んでもらった児童がいた年度は、こどもだよりなどでのアンケートで「もう一度聞きたい話」「読んでもらいたい話」にも選出されるほど。とにかく面白かったという印象だけが残っていて、卒業してからも覚えている生徒がいるくらいだった。

 だが子供たちに好評な一方で、問題になるのは教師の方だった。

 その紙芝居を読んでからしばらく、読んだ教師は悪夢に苛まれることになる。中には悪夢に耐えきれず自ら命を絶った教師もいるほど。生きていたとしても「内容を思い出したくない」「あまり愉快な思い出じゃない」「話したことはあるような気がするが忘れてしまった」とも語っている。

 かろうじて伝わっているのは、自殺した教師によると「古典的で、なんの変哲も無い、昔話で語られるような話だったと思う」という言葉だけである。

 そのため教師たちには今年はだれが1年生の担当になるのか、非常に恐れていたという。

 この紙芝居は2007年に小学校の校長が変わるまで毎年の恒例行事だった。校長の「そんなに恐ろしいならやらなければいいじゃないですか」という一言により封印。この校長は外部からやってきた新任の校長だった。


 なお、子供たちに内容を聞いてみても「わからない」「細かい話は忘れてしまったけど面白かった」という意見が大半で、なぜ面白かったのかを覚えている者はひとりもいない。

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