第35話:クロエの星空

 エイデンは疲れた様子のクロエを見やった。

 王都での用事をすべて終えたときにはもう夜になっていた。

 慌ただしく鍵を使って辺境の城に一瞬で戻ってきたが、クロエはふさぎこんだままだ。


「大丈夫か、クロエ」

「はい」


 返事とは裏腹に、クロエは沈んだ表情で目も合わせない。

 妹のマデリーンと面会してからずっと様子がおかしい。

 時間がないのでろくに話もできないまま、ノースフェルドに戻ることになってしまった。


(やはり俺が一緒に行くべきだったか……)


 使用人の面接があったので仕方なかったせいもあるが、仮にも姉妹だった二人なので水入らずで話したいこともあるかと気を回したのが仇になった。

 クロエに何があったかと聞いても、事情を説明しただけとの一点張りだ。

 なんらかの軋轢あつれきがあったのだろうが、クロエは決して答えようとしない。


「クロエ……」


 エイデンはそっとクロエの手を取った。


「なあ、バルコニーに出てみないか?」

「?」


 クロエが少し驚いたように顔を上げた。

 エイデンがいざなうと、クロエは大人しくついてくる。

 城の正面にある中央バルコニーに出ると、さわやかな夜風が髪を揺らせた。


「今日はいい天気だったようだな。星空が綺麗に見える」


 見上げると、数え切れないほどの星が白くまたた群青ぐんじょうの夜空がまるく広がる。


「わ……あ……」


 クロエが口を開け、頭上の星空を見上げる。


「こんなにすごい星空が見られるなんて。知らなかった……」

「ここに来てからずっと忙しかったからな。夜空など見上げるまでもなく寝ていただろう」

「はい」


 クロエの表情が若干じゃっかんやわらかくなった。

 美しい自然は人の心をほぐしてくれる。

 エイデンは眼下がんかを指差した。


「クロエ、下を見てみろ。そこにも星がある」

「えっ」


 クロエが驚いたように、バルコニーから体を乗り出して地上を見下ろした。

 バルコニーの真下には城の玄関がある。

 その前に続くレンガを敷いた道の脇には、クロエが植えた白い花が小さい星のように広がっていた。


「綺麗だな。おまえが作ってくれた星空だ」

「……!」


 エイデンはそっとクロエの髪を優しく撫でた。

 しばしの沈黙ののち、クロエがゆっくり口を開いた。


「エイデン様……私が養女だった、ってお話ししましたよね?」

「ああ」

「でも、私は18年間家族だと信じて生きてきました。両親はきっと迷惑だったでしょう。でも、一緒に双子として育った妹は――少しは家族のように感じていてくれているかと思っていたんです」


 クロエが自嘲するように微笑むのを、エイデンは痛ましい思いで見つめた。


「でも、幻想でした。あの子にとって私は利用できるだけの便利な道具で、今は邪魔者です……」

「何があった、クロエ」

「……カーター辺境伯は亡くなっていて、第8王子のエイデン様が新たに辺境伯になって生贄の娘たちを救ってくれた、と。そして私は今、エイデン様の婚約者だと話したら――」


 堪えきれないように、クロエの目から涙がこぼれ落ちた。


「マデリーンは、私はエイデン様にふさわしくない、と」

「馬鹿な! そんなこと誰にも言わせない」


 なぜ会ったこともないクロエの妹がそんなふうに言うのか理解できない。


「おまえの妹は何を考えているのだ。死んだと思っていた姉が生きていて、嬉しいはずではないのか?」


 ふるふるとクロエが首を横に振った。


「わかりません。ただ、妹は激高していました。私は憎まれていたのかもしれません」

「……っ」


 エイデンは思わずクロエを抱きしめていた。


「怖いんです、私……」


 クロエがぽつぽつと口にする。


「花嫁としてこの城に来たときも、ひどい孤独を感じていました。誰も私のことを助けてくれる人はいない、私は死ぬのだと……」


 エイデンはクロエを抱く腕に力を込める。

 悲痛な言葉を止めたかったが、クロエはすべてを吐き出したがっている気がした。


「なのにエイデン様が迎えてくれて……私を救ってくださって……世界がひっくり返るほど嬉しかった。おそばにいたくて、必死で願っていたら、婚約者にしてくださって……」


 クロエが小さく身震いする。


「エイデン様のおそばにいるだけで幸せで……王都でも楽しいことばかりで、こんなに幸せでいいんだろうか、って。急に何もかも変わってしまって……また、ひとりぼっちになってしまうんじゃないかって」

「なぜだ、なぜそう思う。俺はここにいるだろう?」

「だって、私たちはまだ出会ったばっかりで、お互いのことをよく知らなくて……」


 エイデンはもう堪えきれなかった。

そっとクロエの唇に唇を押し当てる。


「……っ」


 クロエが驚いたように、緑色の目を大きく見開く。


「クロエ、愛している」


 しっかり心の奥に届くよう、静かにだが強く口にする。


「おまえにとってここ数日は嵐の海に投げ出されたようなものだっただろう。自分では制御できない荒波に翻弄され、天地がひっくり返り、心細い思いをしていただろう。心が弱り揺らいで当然だ」


 そっとクロエの顔を両手で挟み、正面から見つめる。


(クロエはどんなに恐ろしかっただろう……)


 蒼白な顔をして鉢植えを手に立っていたクロエを思い出す。

 もっとクロエの思いに寄り添ってやるべきだった。

 辺境伯としての仕事が忙しかったなど、ただの言い訳だ。

 エイデンはクロエのひたいに自分の額をつけた。


「それなのにすまない。俺はいきなりおまえを王宮に連れていって親や友人に会わせたり、更なる混乱を与えてしまった……」

「いいえ!」


 クロエがそっと顔を上げる。


「ドキドキしましたけど、嬉しかったんです。ご両親に婚約者と言ってくれたり、指輪をくださったり、パーティーでエスコートしてくださったり」


 健気にも微笑むクロエの額に口づける。

 急に目の前にいるクロエがはかなげに見えたのだ。


「なあ、クロエ。俺も怖いんだ。おまえがいなくなったら、と思うだけで心が凍りつく」


 クロエが口にした不安は、エイデンも同じように抱えていた。

 まだ出会って間もなく、二人の間にまだ何も積み上がっていない。

 だから、何か小さな出来事一つで消え去ってしまうのではないかと不安になる。


「俺は……もうおまえなしの人生は考えられない。絶対におまえを離さないから、何も心配するな」


 わき上がる不安をねじ伏せ、エイデンは強い口調で言った。


「ありがとうございます」


 クロエはようやく安心したのか、ふっと肩の力が抜けた。

 顔にも少し赤みが差している。


「本当にわかったのか?」

「はい……」

「ならいいが。俺は……いや、私は王子だ。王族の私が触れているのだ。こんなに無防備に。それはおまえを信用しているからだ」


 大事に思う気持ちをなんとか伝えたくて、エイデンは必死だった。

 だが、抱きしめることしかできない。


「はい……」


 クロエがそっと体を預けてくる。

 愛おしさが込み上げ、エイデンは強く抱きしめた。


「では、そろそろ城内に戻るか。王都から戻って疲れているだろう。早く安め」


 もっと何か気のいたことを言いたいのにと思いながら、エイデンはいたわるようにクロエの背に手を置いた。


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