第25話:求婚

 今や、エイデンは自分が勘違いをしていたことに気づいていた。


 ――あなたのそばにいたいです。

 ――ここにいたいんです。


 クロエは何度となくそう言っていた。

 だが、エイデンはクロエの必死の眼差まなざしを、絞り出すような言葉を、一時の気の迷いだと考えていた。


(俺は……馬鹿だな)


 クロエは本気で辺境で暮らすことを考えていたのだ。

 エイデンはようやく自分の本心に気づいた。


(今ならはっきりわかる……)


 辺境にやってきた気の毒な生贄の娘たちは6人。

 全員を平等に扱ったつもりだった。

 だが、気づけばクロエだけ特別扱いしていた。


 あまつさえ、便宜上べんぎじょうとはいえ”婚約者”と名乗らせ、王宮にまで連れてきた。

 挙げ句に王族のみが使用できる王石を使った指輪までクロエに与えた。

 その方が便利だから、と自分に言い訳をして。


(構わない、とどこかで思っていたのだ……)

(このまま彼女が婚約者でいても――)

(俺はずっと彼女のことが好きだったのだ……意識しないようにしていただけで……)


 ようやく自分の気持ちに気づいたエイデンは、どう振る舞っていいかわからずに石像のように固まった。

 無言のままのエイデンに、クロエが思い切ったように口を開いた。


「そ、それでその……やっぱりエイデン様のおそばに置いていただけませんか? あっ、婚約とか高望みはしないので……今までのように暮らしたいのです」


 クロエはたどたどしくも明確に自分の望みを口にしていた。

 心を大きく揺さぶられて声も出せないでいるのは、エイデンの方だった。


「ど、どうでしょうか……?」


 心配そうに見つめるクロエに答えなくてはならない。

 エイデンはようやくかすれた声を出した。


「……いいのか。王都にいれば不要な苦労をせずとも、素晴らしい環境がそのまま手に入るのに」


 やはりまだエイデンは半信半疑だった。

 王都のような賑やかで便利な町で暮らしたいのであれば、このまま残ればいい。

 あっさりと辺境から出ていった他の娘たちのことが思い浮かぶ。

 だが、クロエは首を傾げた。


「でも、王都にはエイデン様がいらっしゃらないですから」

「え……?」


 まじまじと見つめると、クロエが顔を紅潮させた。


「……別に住むのはどこでもいいんです。辺境でも王都でも。エイデン様がいらっしゃる所にいたいんです」


 率直な言葉にエイデンは胸をつかれた。


「……大変だぞ、辺境に住むのは。何もない寂しい場所だ。知っているだろう」


 そう、ノースフェルドは寂寞とした暗い土地だ。

 クロエがいなくなれば、きっと火が消えたようにさらに城は寒々とするだろう。


(クロエがいない……?)


 ケランに起こされ、一人で食事の席につく。

 執務室でひとり書類仕事に追わ過ぎていく過ぎていく――想像しただけで手足の先が冷たくなっていった。

 にこにこと笑いながらご飯を食べ、目を離せば庭仕事をして、馬に乗ってみたいのだと言う少女の姿がなくなってしまう。


(ああ……俺はきっと耐えられない。クロエのいない生活に、もう戻れないのだ)


 エイデンはきつく目を閉じ、腹をくくった。


「俺と辺境で暮らす覚悟はできているのだな?」

「はい!」

「ならクロエ、結婚してくれ」

「え?」


 クロエが呆気に取られたように口を開けた。

 心を決めれば、躊躇ちゅうちょなど必要ない。

 エイデンは思いのたけを誰にはばかることなく口にした。


「一時的なものではなく、俺の婚約者になってくれ」

「エイデン様……」

「おまえにそばにいてほしいんだ。俺は全力でおまえを守るし、辺境伯として領地を栄えさせるようつとめる」


 クロエは困惑したように見つめるだけだ。


「ああ、返事は急いでいない。おまえはまだノースフェルドに来て間もないし、やっていけるか考えて――」


 いきなりクロエが立ち上がると、がばっとエイデンを抱きしめてきた。


「ク、クロエ?」

「お忘れですか? 私、ずっと最初から言っていました! おそばにいたいです!」

「そうか……」


 温かい感触に幸せがこみあげてくる。

 そっとクロエの顔を両手で包み、顔を合わせる。

 エイデンはクロエの潤んだ目をまっすぐ見つめた。


「……俺と結婚してくれるか?」

「はい! で、でも私でいいんでしょうか……? ただの田舎の村娘です。王族の方との結婚なんてお許しいただけるのでしょうか」


 心配げなクロエに微笑んでみせる。


「俺は幸い第8王子だ。結婚相手に地位や財力、権力も必要ない。しがらみもない。しかも今は辺境伯だ。誰にも余計な口出しをさせない」


 だが、クロエは不安そうな表情のままだ。


「でも……貴族ですらない私が王族の一員になるなんて、やっぱり――」

「そんなに心配なら、ちゃんと両親に紹介しよう」

「王と王妃にですか!?」


 クロエが悲鳴のような声を上げる。


「そうだ。国を統治する二人のお墨付きがあれば問題なかろう」

「う……はい……」


 おろおろしているとただの村娘に見えるクロエだが、芯が強いのはもうわかっているのでエイデンは心配していなかった。


(クロエはずっと一貫していた)

(俺のそばにいたい、という揺るぎない気持ちは変わらなかった)


「エ、エイデン様!?」


 エイデンは腕のなかのクロエを強く抱きしめた。


(俺は彼女を守っていく。俺を選んでくれた彼女を絶対に幸せにする)

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