第9話:ここにいたいです

「エイデン様は朝が苦手なのかしら……」


 朝寝坊をするなど、クロエには考えられないことだった。

 村では朝から屋敷中を駆け回り、水をくんで洗濯をし、暖炉に火を付けて回った。

 寝過ごすようなことがあれば、激しい叱責しっせきを受けた。


 だからこそ、クロエはこの城ののんびりした空気に戸惑っていた。

 こんなまどろむような朝があっていいのだろうか。

 夢見心地で階段を下り、クロエは食堂へ向かった。

 ケランの言うとおり、長テーブルの上には二人分の朝食が置かれている。


(ありがたいな……ちゃんと私の分もある)


 椅子に座って待っていると、エイデンが入ってきた。

 きちんと貴族服を着ており、髪も整えられている。

 さきほどの寝ぼけた姿が嘘のような貴公子ぶりだ。


「おはよう、クロエ」


 少し澄ましたような声に、クロエはふきだしそうになった。


「お、おはようございます」

「さっきはすまなかったな。てっきりいつものようにケランが来たのかと」


 気まずそうにエイデンが椅子に座る。

 半裸だった自分の姿を思い出したのか照れくさそうだ。


「ケランは馬の世話をしに行きました」

「ああ。馬もあいつに任せっきりだ……。早く馬係も雇わなければな」


 ふたりは食事を始めた。


「使用人はケランだけなのですか?」

「住み込みはそうだな。もうすぐ通いの使用人が来る。掃除などをしてくれる」

「……」

「前任者がほとんどの使用人を解雇してしまったようでな。再雇用しようにも、悪評が広がっていて難航している」

「大変ですね……」


 カーターの恐ろしい噂は領地に轟いている。

 好き好んでカーターの城で働く者などいないだろう。

 代替わりしたところで、希望者が出るとは思えない。


「使用人は揃っていると思って、王都からは連れてこなかったんだ。新しい赴任先に馴染もうと思ってな」


 エイデンがため息をつく。

 城の話などをしながら食事を終えると、エイデンがクロエに向き直った。


「さて、クロエ。しばらくここに住むのでいいな?」

「はい」


 しばらく、という言葉がちくん、と胸に刺さる。

 自分は招かれざる客なのだ。

 やはりいつかは出て行かなくてはならないのだろう。


(だとしても……できるだけ長くここにいたい)


 こんなになごやかに食事をしたのはいつぶりだろう。

 ただぽつぽつ話しながら食事をしているだけなのに、すごく心が落ち着く。


「ここで暮らすにあたって何か必要なものはあるか? もしくは買いしたいものとか」

「……お部屋には充分必要なものが揃っています」

「ああ」


 エイデンがくすっと笑う。


「ここに来る娘たちは皆、着の身着のままだったからな。慌てて町で買い揃えたのだ。なかなか充実した品揃えだろう?」

「私が使ってもいいのでしょうか?」


 やはり元々は他の娘たちの持ち物だったようだ。


「心配するな。出て行った娘たちには、ちゃんと新しい服や身の回りのものを与えている。おまえのときもそうする」


 ありがたい言葉だったはずだが、クロエが出て行くことを前提に話しているのが引っかかった。


「……私、出て行かないといけないですか?」

「ん? 何か言ったか?」


 聞き取れなかったのか、エイデンが首を傾げている。


「い、いいえ……何も……」


 きっと、ここにいるためには何か役に立たなければいけないだろう。

 好意に甘えて、いつまでもお客様気分ではお荷物になってしまう。

 ケランのように用事をこなせば、ずっと置いてもらえるだろうか。


「あの、私に何かできることはありますか?」

「気を遣わなくていい。ここにいる間はゆっくり休め。……といっても、何もないからつまらないかもしれないな。娯楽といえば、図書室に本があるくらいで。他の娘たちも手持ち無沙汰にしていた」


 エイデンが苦笑する。


「私、お役に立ちたいんです! あの、お城をこれから立て直していくんですよね? 手伝います! お掃除でも洗濯でも何でもやります!」

「クロエ、そんなに気負うな。おまえは大変な目に遭ったんだから」


 エイデンが困ったように微笑む。


「私、大したことはできませんが、花を育てるのは得意なんです。よかったら、お庭を少しでも綺麗にしたいのですが……」

「庭?」


 エイデンが少し驚いたように目を見開いた。


「ダメでしょうか?」

「いや、庭まで全然手が回ってなくてな。今どんな状態かわからないのだ」

「では、庭仕事の道具や花の種などは……」

「どこかにあるのかもしれないが把握していない。納屋なやや小屋も中を見ていないんだ」

「じゃ、じゃあ、私が調べてみてもいいですか?」


 クロエは必死だった。

 これが自分にできる手伝いだとしたら、やってみたい。


「それが気分転換になるのなら構わないが……。無理はするな。おまえはのんびり過ごせばいいんだ」

「やってみたいです……! 許可をお願いします!」


 前のめりなクロエにエイデンが苦笑する。


「許可など……昨日も言ったが、おまえは自由なんだ。この城で好きなことをしていい」


 クロエが一歩も引かないと、エイデンはようやく気づいたらしい。


「では、適当に庭を見てきてくれ。気になることがあったら書き記してくれると助かる。あとでノートとペンを渡す」

「はい……!」


 仕事を任された嬉しさに頬が紅潮する。


「今、城内を把握するために記録するようにしている。ケランと手分けをしているんだが、なかなか進まなくてな」

「庭は任せてください!」

「いい返事だな」


 エイデンが微笑む。


(少しでも役に立つなら――おそばに置いてくれるかもしれない)


 クロエは俄然がぜんやる気がわいてきた。

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