第5話:娘たちの事情

「どうって……」


 クロエは突然投げかけられた質問の意図いとをはかりかねた。


「ああ、すまない。言葉足らずだったな。おまえは自由だから、故郷の村に戻りたいというなら明日馬車を出してやる。今日はもう、日が暮れてしまったからな」

「え……」


 本当に解放してくれるらしい。

 呼びつけたのは前任者のカーターなので、当然と言えば当然だ。


(だけど……信じられない)


 死ぬ覚悟をしていたので、まだ実感がわかない。


「どうした、クロエ」


 薄青の瞳が優しくクロエを見つめる。

 穏やかな口調だが、不思議と心に深くしみていく。

 なぜだろう。王子という雲の上の存在のはずなのに、エイデンならばなんでも話せそうな気がした。


「あの、他の娘たちはどうなったのですか?」

「他の生贄の娘たちが気になるのか?」


 エイデンがカップに口をつける。


「……彼女たちはしばらくここに逗留とうりゅうしてから、王都へ行った」

「王都へ!?」


 この辺境の地はおろか、メイデンホリー村からも遙か遠い王国の中央に位置する王都。

 大陸一のきらびやかな都だと聞くが、もちろん行ったことはない。


「え、あの、どうやって、なぜ」

「落ち着け、クロエ」


 疑問が形をなしていないクロエを安心させるようにエイデンが微笑む。


「いろいろ聞きたいことがあるようだが、夕飯を食べながらにしないか?」

「え?」

「そろそろ腹が空いてきた。おまえも長旅で空腹ではないのか?」


 そう言われて自覚したのか、ぐうっとお腹が主張してきた。

 クロエは真っ赤になってうつむいた。


「は、はい……あの、いいんですか?」

「何がだ?」

「お食事をいただけると思っていなくて」


 エイデンが大きく息を吐いた。


「そうだな。おまえは殺される覚悟でここに来たのだったな……本当に申し訳ない。せめてものびにここにいる間はもてなさせてくれ。できるだけのことはする」

「いえっ、そんな!」


 エイデンはただ新しい赴任地に先月やってきただけだ。

 前任者の後始末に追われているだろうに、彼はクロエをとても気に掛けてくれている。


(すごい……こんな人が王子様だなんて……信じられない)


 貴族や王族は皆、冷酷だと思い込んでいた。

 平民の自分など歯牙しがにも掛けず、放り出してもおかしくないはずだ。

 だが、エイデンは優しくいたわってくれる。

 そんな義務はないにもかかわらず。


(私、世の中のことを全然知らないんだな……)


 生まれてこの方、村と近辺の街くらいしか行ったことがない。

 貴族など遠くから眺めたことがあるだけで、直接言葉をわしたこともない。


「足元が暗いから気をつけろ」


 ランプを手にしたエイデンが食堂へと案内してくれる。


「この城は、長年手入れもされず放っておかれたらしい。ランプや燭台も古くて使えないものが大半だ。夜は暗くてかなわん。少し残っていた使用人もほとんど逃げてしまって、生活を維持するので精一杯だ」

「た、大変ですね……」

「王城が懐かしくなるよ。まあでも、城を一から立て直すのも悪くない」


 階下にいき、食堂へと案内される。

 ドアを開けると、ぎいっと不快な音をたててきしんだ。


「このドア、立て付けが悪いな……ああ、足元に気をつけろ。じゅうたんが破れてしまっている。つまずかないように」


 エイデンがこまやかに気を配ってくれる。

 食堂は長細く、幅広のテーブルが置かれていた。二十人くらいは着席できそうだ。


「前任者は地下の部屋にこもって生活していたようでな。食堂はまったく使用されていなかったようだ」

「……」

「その端に座っていてくれ」


 クロエを席に案内すると、エイデンがどこやら行ってしまう。

 しん、と静まり返っただだっ広い食堂に一人でいると、急に心細くなってきた。

 窓の外は真っ暗で、よくわからない鳥のような声がかすかに聞こえる。


(私……すごく遠くに来たんだな……)


「待たせたな!」


 しばらくすると、食事を手にしたエイデンが戻ってきた。


「エイデン様! そんなこと、私が――!」


 仮にも王族に給仕をさせられないと、慌てて立ち上がる。


「いや、疲れているだろう。無理をするな。それにおまえは客だ」


 先程の門番の少年と一緒に、エイデンは皿を並べる。

 想像していた『王子』とはかけ離れたその姿にクロエは唖然とした。


「大したものではないが、パンとスープ、それにハムとチーズ」

「ありがとうございます」

「遠慮なく食べるといい」


 エイデンにうながされ、クロエはさっそく食べ始めた。

 エイデンも斜め前の席に座り、パンを手にする。


「料理人が残ってくれていてよかった。ここに着いたときは、本当に人がいなくてどうなることかと思ったよ」


 エイデンがおどけるように言う。

 話しやすくしようと心をくだいてくれているのが伝わってくる。


「おまえは美しい黒い髪をしているな」


 クロエはびくりとして、スプーンを取り落としそうになった。

 黒い髪はクロエにとって、コンプレックスでしかない。


「どうした?」

「いえ、気味悪がられることが多くて。闇の色だ、不吉だって……」

「はあ? そんなことを言うやからがいるのか。王都では珍しくもないし、目立っていいではないか。白いドレスによくえている」


 淡々とした口調から、大げさに誉めているのではなく本音だとわかる。


「そっか……王都ではいろんな国の人がいるんですよね」

「そうだな。色素の濃い髪や目をしている人間は南の国に多いな」

「南の国……」


 そういえば、実の両親はどんな人なのだろう。

 ふと、そのことに気づいた。

 自分の生死でいっぱいいっぱいだったが、自分が養女だったというのは、かなり衝撃的な出来事だった。


(お金を預けて託していったらしいけど……どういう事情があったのだろう)

(そもそも……この国の人間ではないのかもしれない)


「そういえば、鉢植えを持ってきていたが……あれは大事なものか?」

「あっはい。私、花を育てるのが得意で……あの鉢植えももうすぐ咲きます」

「それはいいな!」


 あまりに実感がこもった口調だった。


「この城は暗くて殺風景で気が沈む。色彩に乏しいと感じた。花があれば気分も変わりそうだ。いいな、そうか、花を植えてみるか」


 エイデンのわくわくした気分が伝染したのか、クロエも思わず微笑んでいた。


「よかったらおすすめの花をお教えしますよ。育てやすくて一年中咲いている花もあります」

「それは助かる!」


 初対面の、しかも王子と二人きりという食事だったが、クロエは気まずい思いをすることなく楽しく過ごせた。

 食後のお茶を飲んでいると、エイデンが口を開いた。


「そうそう、他の娘たちの話だったな」

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