第4話:新しい辺境伯

「悪く思わないでください、クロエ様」


 馬車から降りると、ようやく足の縄だけ外された。

 手は縛られたまま、クロエは城へと連れて行かれる。

 城へと続く道はいたレンガが割れ、雑草がえ放題だ。

 手入れをされていない荒れ果てた道は歩きづらく、いかに人が来ないか物語ものがたっている。


「では、私たちはこれで」


 城の門番にクロエを預けると、村民たちはそそくさと帰って行った。

 クロエの今後など考えたくもないのだろう。


「ああ……ここが辺境伯のお城……」


 城は見上げるほど大きく、外壁にはツタが這っていた。

 灰色の雲の隙間から、かすかに見える夕陽が音もなく沈んでいく。


(私は……朝陽が見られるのだろうか)


 ぶるりと体を震わせ、クロエは足を進めた。

 門番はまだ若い栗色の髪をした少年で、無言でクロエを案内した。

 その暗い表情から、案内役などしたくないのが痛いほど伝わってくる。


 城は薄暗く、まったく人気ひとけがなかった。

 これほどの規模の城であれば、本来何十人もの使用人がいるはずだ。


(人嫌いという噂は本当ね……)


 おそらく城を維持できる最低限の人間しか置いていないのだろう。

 カツン、カツン、と階段を上がる自分たちの足音だけが響く。

 まるで廃城のような冷たい空気は、どこかカビくさい。

 天井の隅には蜘蛛の巣が張っていて、床に敷かれた絨毯じゅうたん毛羽けばだって汚れが目立つ。


 どんどん気持ちが沈んでいく。

 だが、歩みを止めるわけにはいかなかった。

 クロエはぎゅっと鉢植えを持つ手に力を込めた。

 奥の部屋の前に来ると、門番の少年は足を止めた。


「こちらの部屋です」


 それだけ言うと、門番の少年はさっときびすを返し、廊下を戻っていった。

 この部屋に恐ろしい辺境伯がいる――そう考えるだけで足がすくむ。

 だが、もう逃げ場はなかった。

 クロエは思い切って声をかけた。


「メイデンホリー村から来ましたクロエです」

「入れ」


 思ったより若い声が返ってきて、クロエは内心驚いた。

 長くノースフェルドに君臨しているカーター辺境伯は、六十歳前後の老人のはずだ。

 思い切ってドアを開けると、温かい空気がクロエを包んだ。


「よく来たな、クロエ」

「は……」


 クロエは目を疑った。

 赤々と燃える暖炉の前に立っていたのは、貴族服を着た金髪の青年だった。

 すらりとした長身で、端整な顔立ちをしている。

 穏やかにこちらを見る薄青の目は優しかった。


「寒かっただろう。こっちに来て暖まるといい」

「……」


 状況が理解できずにクロエが呆然と立ち尽くしていると、青年はふっと息を吐いた。


「やはり、驚くか」

「あ、あの、あなたは……?」

「私はエイデン。レストラード王国の第8王子だ」

「お、王子!?」


 クロエは慌ててひざまずこうか、頭を下げようかとおろおろしたが縄で手を縛られているうえに鉢植えを持っているのでうまく動けない。

 そんなクロエの様子に、エイデンがくすりと笑った。


「いいから、気にするな。それよりもこっちに来い。縄を切ってやる」


 テーブルの上からペーパーナイフを取ると、エイデンがさっと縄を切ってくれた。


「あ、ありがとうございます……」


 ようやくきつく縛った縄から自由になり、クロエはホッと息をつけた。


「ソファに座れ。紅茶をいれる。その鉢植えは棚の上にでも置いておけ」


 まったく事態が理解できないままクロエは鉢植えを置き、おそるおそるソファに腰掛けた。

 王子が手ずから紅茶をいれてくれる。

 信じられない光景だった。


「王都から持ってきたお茶だ。美味いぞ」

「あ、ありがとうございます」


 勧めてくれた紅茶は、確かに香りがよかった。

 温かいお茶を口にし、クロエはようやく落ち着いてきた。


「あの、エイデン王子……」

「王子はいらない。このとおり、辺境伯をぐことになった身だ」

「え……?」

「カーター・ノースフェルド前辺境伯は先月急死したんだ。私は二十歳と若く、王位継承権も遠い。急遽、辺境伯を拝命することとなった」

「ええ……?」


 辺境伯が代替わりしたなど寝耳に水だった。

 つまり、目の前にいるのは第8王子にして、新しいノースフェルド辺境伯ということだ。


「あ、新しいって、あの……」


 クロエの狼狽ろうばいぶりに、エイデンが再びため息をつく。


「辺境伯の代替わりについては事情があって、まだ周知させていない。おまえたちには心労をかけたな。おまえも『花嫁』として捧げられたのだろう?」


 うなずくクロエを安心させるように、エイデンは微笑んだ。


「もう心配しなくていい。おまえは自由だ」

「え……?」

「前任者がひどい悪習をいていたのをこちらに来て初めて知り、ようやく事態を把握したところだ。国王に代わって謝罪する。このような暴挙を放置していたのは国の怠慢だ」


 王子に頭を下げられ、クロエは慌てた。


「あのっ……では……」

「おぞましい『花嫁の儀』などもうないし、おまえは好きにしていい」

「……っ」


 気づくと、クロエはボロボロと大粒の涙をこぼしていた。


(自由……私、死ななくていいんだ……)


 そっとハンカチが差し出された。

 エイデンが心配げにクロエを見つめている。


「ずいぶん怖い思いをさせてしまったな」

「あ、ありがとうございます」


 受け取ったハンカチはいい香りがした。


「気にするな。相当の覚悟で来たのだろう。動揺して当然だ」


(優しい人だな……)


 クロエはひそかに驚いていた。

 貴族や王族というのは、庶民を下に見ていると思っていた。


「おまえで6人目か。これで最後だといいが……」

「えっ? 6人って……」


 エイデンが小さくため息をつく。


「先月赴任してから、おまえと同じく生贄の娘たちが送られてきてな。こちらとしてはなぜ若い娘が次々来るのかわけもわからず、ほとほと参った」

「あ……」


 メイデンホリー村では生贄選びに苦慮し、期日を大幅に過ぎての到着となった。

 他の村の娘たちは一足早く、先月にはこの城に着いていたのだろう。

 エイデンが椅子に腰かけ、クロエを見つめた。


「で、おまえはどうしたい?」

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