第11話:魔女来々
イフリが俺に弟子入り? して一ヶ月。
ようやく俺の日々はなんとなく安定しはじめて、〝日常〟という言葉が馴染むような生活を送れるようになった。
朝。
二度寝の魔物を激闘の末に討伐し、起床。
昨晩はクオンに付き合わされて数軒酒場を連れ回されたので、ほのかに酒が残っていて頭が痛い。
「俺も年だな」
昔はあの程度の酒、なんともなかったのになあ……なんて悲しくなりながら着替えて、廊下の先の店舗スペースへと入る。
炊事場で顔を洗ってさっぱりしたあとに、水を一杯飲んで乾きを癒やす。
寝起きと二日酔いのせいで喉と口が砂漠化していたので、水がやけに美味く感じる。
「朝飯は……まだいいか」
まだ胃が重いので、とりあえず掃除をして腹を減らそう。
掃除道具を取り出し、店内の掃除を始める。
ピカピカにする必要はないのだが、清潔感というのは大事であるとクオンに口酸っぱく言われている。なので毎朝渋々やっているのだが、習慣にさえなってしまえばさして苦痛ではなかった。
店内には相変わらず、黒耀武器といくつかの魔剣しか置いていない。
イフリの一件から、俺と俺の店の知名度が上がり大繁盛……ということには残念ながらならなかった。
イフリの活躍はあくまで彼女の活躍であり、彼女が注目されることはあっても、その武器とそれの作成者まではなかなか皆も興味が湧かないようだ。
なんせあの斧はイフリ専用なので、〝自分も同じ武器が欲しい!〟というシンプルな欲求を客が持たないのが原因だろう。
とはいえクオンやジンの口添えで、何人かの冒険者がこの店に足を運び、魔剣を購入してくれたのでそれなりの収入にはなった。
「とはいえなあ……安定収入とは言えないんだよなあ」
そんな風に愚痴りながら、店の外の階段を箒で掃いていると、亜麻色の髪の女性が上の宿屋から出てくる。エプロン姿がよく似合う綺麗な女性だ。
「おはようございます、ミレーさん」
俺はそう挨拶して、笑みを浮かべる。
「リギルさん、おはようございます。今日は晴れそうですねえ」
その女性――俺の店の上にある宿屋、〝踊る小鬼館〟の女主人であるミレーさんが空を見上げながら、挨拶を返してくれた。
彼女はうちの店の大家さんでもあるのだが、風呂は貸してくれるし、食事も格安で提供してくれているので、全く頭が上がらない。
それからしばらく彼女と雑談したあとに俺は店の表にある看板を上げてから中へと戻り、帳簿を確認する。最初は適当に付けていたのだが、クオンに何度も怒られたのでそれからはちゃんと付けるようになった。
なんでも商人ギルドに入るのに、そういう帳簿をしっかりつけておくことが必須なんだとか。
商人ギルドは冒険者ギルドと違い、所属したところで仕事を回してくれるわけではないのだが、クオン曰く〝トラブルになった際に入っているか否かで色々変わってくる〟、らしいので、もう少し売上が上がれば加入する予定ではある。
「そう思えば、冒険者は気楽だったよなあ。とりあえずギルドに行けば仕事斡旋してくれるし」
なんてぼやきながら、俺は煙草に火をつけた。
まあ今更言ったところで仕方ないし、危険がない分こっちの方が良いという気持ちもある。
「さてと……」
どうせすぐに客は来ない。
なのでいつもこの時間を、魔剣化とその実験に費やしている。
俺が倉庫からいくつか武具を持ってきてカウンターの上に並べていると、店の扉が開いた。
「お、やってるねえ」
「おはよう、クオン。最近毎日来ているが商売の方は大丈夫なのか?」
クオンは俺の問いに答えず、いつものようにカウンターの中に入り、お茶を沸かしはじめた。
彼女はイフリが弟子入りしてからなぜか毎日のようにここに顔を出していた。
よほどここが気に入っているのか?
「ま、私は上客をいくつも持っているからね。彼らとの取引だけでかなり売上があるから、昔みたいにダンジョン内で行商なんてしなくていいんだよ」
「そりゃ結構。ダンジョン行商は大変だからなあ」
「あれはあれで楽しかったけどね――はい、お茶」
クオンが淹れてくれたお茶を受け取る。このお茶は何度か自分で淹れたことがあるが、何かコツがあるのか俺が淹れるよりクオンが淹れたものの方が数倍美味い。
「ありがとう」
礼を言いながら、お茶の入ったマグカップを受け取り、熱々のお茶を啜った。
爽やかな香りとほのかな苦みが、思考をクリアにしてくれる。
「そういえば、どう? 武器以外の魔剣化は」
クオンがお茶を飲みながら、カウンターの上へと視線を移した。
そこには武器だけではなく籠手や脚甲、胸甲、小盾といった武器以外のものも並んでいる。
武器の魔剣化については、まだ把握できていない部分もあるが、概ねイメージ通りに作れるようにはなってきた。
懸念していた〝同じ魔剣は作れない〟という部分も、武器の種類を変える、素材を変えるなどの工夫すると、解消できたのでこれは大きな前進だった。
だが、そこで俺はふと考えたのだ。
右手で武器を触ると魔剣化するなら、武器以外を触るとどうなるのか。
「残念ながら芳しくはない」
俺はそう言わざるを得なかった。
「ほう?」
「成功する時としない時の条件がイマイチ分からないんだ。これを見てくれ」
俺は赤く染まった籠手をクオンへと差し出した。それは俺が昨日、右手で触れた、元々はどこにでも売っているありふれた金属製の籠手だ。
「ふむふむ……へえ、いいじゃない。〝ある程度の魔術を弾くが、使用者の魔力を吸収する〟って効果ね。魔術を使わない前衛職なら使えるんじゃないの?」
「ああ、それは成功例なんだ。ただこっちは失敗した」
次に脚甲をクオンへと渡す。それは籠手と全く同じ素材なのだが、ただ元の色に比べると少し黒ずんでいる。
「……なんじゃこりゃ。〝使用者の精神を蝕む〟だけって、全然使えないな。まさに呪いって感じ」
「だろ? こっちも同じだ」
俺が胸甲を指差して、ため息をついた。
「うげ、〝使用者は他者を殺したくなる〟効果か。これ、すぐに処分した方がいいと思う」
クオンが露骨に嫌そうな顔をした。そう言いたくのも気持ちは分かる。
「ところが、こっちはいけてるんだ」
俺の視線の先にある小盾をクオンが手に取ると、目を輝かせた。
「おお、〝炎に対する高い耐性を得られるが、魔術に対して弱くなる〟って効果ね……これなら確かに場面によっては使えそう」
「あと、こういうのもある」
俺はカウンターの中の引き出しから、青い指輪と黒ずんだネックレスを取り出した。
「装飾品?」
「ああ、これも試してみたんだ。で、結果は――」
クオンが鑑定すると、指輪はやはり俺の想定通り、〝精神系魔術の効果を防ぐが、空腹を感じやすくなる〟という効果が付与されていた。
しかしネックレスについては、〝装着すると一定間隔で昏倒する〟なんていうクソみたいな効果しかない。
「ふうむ。つまり武器以外については、メリットがつく場合とつかない場合があると」
クオンが俺の実験結果をそうまとめてくれた。
「そうなんだよ。その条件が分からなくてな」
「なるほど……なんだろうね。もう少し色々やってみないことにはなんとも言えないかな」
「ああ、今日は別のものも試す予定だ」
それから俺はクオンの協力で(しっかり金は取られたが)、武器以外のものの魔剣化をあれこれやっていると、昼頃にイフリがやってくる。
「師匠! 広場で美味しそうなサンドがあったので買ってきました! 一緒に食べましょう!」
彼女の手には紙袋があり、どうやら昼食を買ってきてくれたようだ。
「ありがとう、イフリ」
「いえいえ、これも勉強代ですから」
ニコニコと笑いながら、イフリがカウンターへと座る。
「はい、クオンさんにはこれ、兎肉のサンド」
「あら、気が利くね」
クオンの分まである辺り、やはりイフリは人が良い。しかもちゃんと好みまで把握していて、俺のは揚げた魚のフライが挟んであるサンドだ。
ほんと出来た弟子だよ……。
「それで最近どうだ、訓練の方は」
俺がフィッシュサンドを食べながら、イフリへとそう聞いた。
「順調です! ジンさんは師匠と違ってめちゃくちゃ厳しいんですけど、自分でも分かるぐらいに成長していますよ。それになんと昨日、〝レッドブロッサム〟のリーダーにも手ほどきしてもらったんです!」
イフリが嬉しそうにそう報告したのを聞いて、俺は思わずドキリとして、クオンの方を見てしまう。
案の定、クオンはまるで間違って虫でも噛み潰してしまったような苦い顔になっている。
「あいつと会ったのか」
クオンが鬼気迫る様子でそうイフリへと問うた。
「へ? あ、はい。なんか久々にダンジョンから帰ってきたとかで……」
「まさか、私達のことは話していないだろうな?」
「いや、えっと……その……」
ああ……イフリの反応からすると多分喋ったな。
それはマズい。非常にマズい。
クソ、これは俺のミスだ。
〝レッドブロッサム〟には加入せず、あくまでジンとの特訓だけだからと油断して、あいつと接触する機会があることを想定していなかった。
あの魔女が――そんな話を聞いて何もしないわけがない。
「リギル、すぐに店を閉めよう。なんなら街を出てもいい」
クオンが本気でそんな事を言い出すのだが――時既に遅し。
「やっほおおおおおおおお! なんだなんだ、何ここ!? なんか面白そうな匂いがプンプンしているんだけどもおおお!? あ、リギルちゃんとクソ狐じゃーん! 久しぶり! なにここ、お前らの愛の巣なの!? あはははははは!」
扉が勢いよく開くと同時に、笑い声が店内どころか、表の通りにまで響き渡る。
そこに立っていたのは、ドレスと金属鎧を融合させたような漆黒の防具を纏った黒髪の美女だった。その大きく開いた胸元には赤い華のタトゥーが入っている。
腰には刀身が節くれ立ち、まるでノコギリのような細かい刃が並ぶ独特の剣がぶら下がっていて、まるで貴族令嬢が履くヒールのような金属製のブーツで、カツカツと音を響かせながら、こちらへと歩いてきた。
こんな派手な特徴を持つ知り合いは一人しかいない。
「ああ、最悪だ」
クオンがそう嘆くのも仕方ない。
数少ないSランク冒険者にして、Aランクパーティ〝レッドブロッサム〟のリーダー。
このラザどころか大陸全土においても五指に入るレベルの剣士かつ、高位魔術も使いこなす、
そんな彼女の名は――ユナ・ハルジカワ。
彼女は冒険者に、畏怖と尊敬の念を持ってこう呼ばれていた――
〝黒き混沌の魔女〟、と。
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