【第一章・第三十五話】閑散とした雨の中



「本当かい!?いや〜、あの人には一度会ってみたいんだよね〜!」


「ド、ドクトリナ様……?」


「いつものことだから気にしなくていいよ、ティア。っていうか、やっぱりそっち系の人なんだ」



 やれやれといった仕草で肩を竦めるフィノファール様は、呆れたような表情をその顔に浮かべている。そっち系の人、とはどういう意味だろうか。確かにお師匠様はどこか人とは違う雰囲気を纏ってはいるが、そこまで言うほどではないはずだ。


 まあ、それはともかく。そんなにもお師匠様に会いたいのなら店を訪れればいい話なのだが、しばし休息の時間もないほどに皇国四大騎士団の内の一つ、皇国ウィンクルム医療騎士団の団長は忙しいのだろうか。



「なら、会いに行けばいいじゃないか。なにか行きたくない理由でもあるのか?」



 わたしの気持ちを、第二皇子がそう代弁した。その問いに対して、ドクトリナ様が随分としょんぼりした様子で顔を陰鬱に沈み込ませた。



「実は、休日に何度も店へ足を運んだんだけどね……留守にしているのか、扉が開かなくて訪ねることができなかったんだ」


「えっ……?」



 彼の言葉に、思わず間の抜けた声が出てしまった。


 お師匠様が、留守で店を空けることなどあるわけがないのだ。絶対に。









 _______その日は朝からよく雨の降る日だった。


 ここ連日雨が続いていて、ミラージュ・ドゥ・シュヴァルツの二階にある本の一つを昨日読み終わってしまっていたから、今日は何をして過ごそうか考えていたとき。



「少し、おつかいを頼まれてはくれないだろうか」



 そう言葉を紡いだお師匠様は、雨の日に申し訳ないが……と眉を下げていた。今まではなんとなく雨の日の外出を控えていたけれど、別に問題があるわけじゃない。


 そういうわけで、久しく使っていなかったレインコートとレインブーツを引っ張り出して、お師匠様から預かったメモを胸に抱えると、雨に濡れる街へと足を踏み出した。


 すっかり見慣れるようになったミセリア地区の路地は、雨のせいで白く烟っていた。いつも頼りない街灯が、より一層頼りなく見える。どの店も閉まっているのか……いや、そもそも開店中の看板も札も出さないような店ばかりのせいか、ひどく閑散とした雰囲気だ。


 雨が屋根を叩く音、雨樋を水が伝い落ちる音、自分のレインブーツが水たまりを踏む音。雰囲気はひっそりとしているのに、暗い路地は雨が奏でる音で溢れていた。


 その数時間後、無事にお師匠様から頼まれていたものを購入できたわたしは、薄暗い路地の角を曲がった。被ったフード越しに、見慣れた青銅が現れる。ドームから滑り落ちた水滴が、汚れのない灰白色の外壁を流れている。


 なんとなく、抜けてきた路地とは屋根を叩く雨音が少し違う気がする。よく聞けば、きん、と微かに金属音が混じっている。店を出たときよりも雨足が強くなっているし、もしかしたらこれは、店内ですごく響いているのではだろうか。


 お師匠様の大事な人のために集められた本と、人の心を救うための魔道具が敷き詰められた店内で、世界から空間を切り取ってしまうかのように、ひたすら響く雨音を聞くのはどういう気分なのだろう。


 ……なんというか、それは少し、気分が塞いでしまうような気がした。

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