【第一章・第二十一話】宵闇の過去



「宵闇は、実は人喰いの魔物だったんだ」



 あの不思議な古書店、『ススピーリウム』を後にしたわたしたちは、他の買い物を済ませるために城下町へと向かっていた。その最中、お師匠様はそんなことを言う。



「人喰いって……え!?」


「安心しろ、随分と昔の話だ」



 お師匠様の話によると、過去に彼は、蒼獅子族であった魔族の一人に呪いを掛けられたようだ。理由は分からないが、いわゆるのようなものだと本人は考えているらしい。


 そして、その呪いの内容が、『人の一部を食さなくてはいけない』というものだった。アストノズヴォルド皇国から遠く離れた大陸には吸血鬼というものが存在するらしいが、彼らにとって血が摂取できないような飢餓感とそれは似ているようだ。


 どうやら、呪いには何かの『対価』としてではないと、それを食することができないという条件まであったらしく、人を襲い、傷付けることを拒んだ店主は、あの店を開くことにしたようなのだと、お師匠様は語った。



「ミラージュ・ドゥ・シュヴァルツを開く前に、私もあの店を訪れたことがあってな。……少し恩ができてしまったため、その礼に呪いを解いてやったんだ」



 今も店を続けているのは彼の自由であり、人喰いの魔物であったとしても基本的には大人しく生活しているため、お師匠様は許容しているらしい。



「私は、そう警戒しなくてもいいと思うが。人語も流暢ではあるし、一般人では、魔族とすら気付くことはないだろう」


「……しかし、被害者は存在するのでしょう?」


「自業自得だ。欲しいものを得るのになんでも差し出せると言うかどうかは、客次第だからな」


「それはそう……かもしれませんね?」


「それに、ミセリア地区に皇城から調査が入られると、困るのは彼だけではない。ティアだって、そうだろう?」



 その言葉に、確かにその通りだ、と考えたわたしはそれ以上追求するのをやめた。



「では、あの店は営業していなかったとでも思っておきます」


「ふふっ、賢明な判断だな。……ああ、そうだ。言いそびれていたが____」



 ____私の頼んだ本を買いに行ってくれてありがとう、ティア。


 とても静かな神経を慰撫するかのような柔らかい声で、精細な硝子細工にでも触れるかのように、わたしの頭をそっと撫でた。



「いえ、お師匠様のお役に立てたのなら、何よりです!」



 お師匠様は、本当に博識な御方だと思う。遥か遠方の国にいる未知の生物のことなど、この国で知る者は、お師匠様以外、他にいないのではないだろうか。



「宵闇のように、当たり前だと思っていた日常が一瞬で崩れ落ちる日が、ティアにもくるかもしれない。金なんてものでは買うことのできないような大切なものを奪われてしまうときがくるかもしれない。そんなときは、この言葉を思い出してくれ」



 優しい含み声で言葉の終わりをかき消すように、お師匠様は上品にそう言った。



「たとえ、神から与えられた贖罪の証がその身を巣食うことになろうとも。たとえ、最愛の人たちが自分の存在を忘れてしまおうとも。お前の力は、お前の守りたいもののために使え。それを妨げようとする者は……私を、殺すほどの覚悟で挑め」



 やけに具体的だと感じたお師匠様の挙げた事例は、冗談なのかどうかも分からない。けれど、それは体温を感じさせないような……冷気が含まれているような、声だった。

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