【第一章・第十四話】鏡に映るその感情は



「あまり大したことではないのですが……少し、考え込んでしまって」


「……ふむ。考え事、か」



 お師匠様が部屋の隅にある椅子へと座るのを見ながら、ベッドに腰を降ろす。わたしはそう言いながら、お師匠様から渡されたマグカップを口元へ運んだ。ミルクをたっぷりと注いだ紅茶のまろやかな味が口の中に広がる。


 わたしは、昔からミルクティーが大好きだ。ティーポットで淹れてもらった紅茶に自分でミルクを注ぐと、どこか気取った感じのする紅茶が、急に優しい薄茶の色合いになる。その瞬間がとても好きで、幼い頃は毎朝ミルクティーを飲んでいたものだ。


 青藍の薔薇が描かれた華奢なカップをサイドテーブルの上に置くと、コトリと音を立てる。お師匠様の方を見れば、どうやら同じタイミングでカップを置いたようだ。だが、音が鳴ったのは、一つだけだった。



「本当に、お師匠様は所作の美しい方ですね」



 身のこなしに無駄がないというか、動作が綺麗というか。


 お師匠様の『違和感』に気が付いたのは、つい最近のことだ。


 壁一面に本が敷き詰められているミラージュ・ドゥ・シュヴァルツの二階から階段で降りるとき。手すりと同じく黒檀の階段には、絨毯などは一切敷かれていないのにも関わらず、お師匠様はコツリとも足音も立てない。


 普通なら、ブーツの踵が音を立てるはずなのに。



「……やはり、気になるか?」


「一度気が付けば、少し気になってしまうかもしれません。なんというか……只者ではない、と言いますか」


「私はただの、しがない魔導具店の店主なのだがな」



 呆れたように笑ったお師匠様の声には、少し寂しそうな響きが含まれていた。



「しがない、は謙遜が過ぎると思いますけどね。皇都でも随分と噂になっているようですよ?」


「ああ、そうみたいだな。……皮肉にも程がある」



 苦虫を噛み潰したかのような口調に、人の心を冷え冷えとさせるような嘲笑。冷笑に似た奇妙な笑みが、お師匠様の唇の端に浮かんでいた。頬には、微かに刺々しい表情が流れている。



「生涯を懸けて守ると決めたものすら守り通せなかった者が、『心を守る魔導具店』の店主など、冗談にしても出来が悪すぎると思わないか?」



 呆れ果てた軽蔑の目をしたお師匠様は、わたしの部屋の隅に立て掛けられた鏡を見つめていた。



「ティア、よく覚えておくといい」



 お師匠様は深呼吸するように緩やかに息を吐きながら、掠れた声で喋る。その深い息の底に吸い込まれてしまうのではないかと心配になるくらい、儚げな声だ。



「受け入れなければならない痛みもあるんだ。肉体的な痛みは避けた方が良いのかもしれないが、精神的な痛みから目を逸らしてはいけない。それは、自分の一部が血を流しているということだから。自分が罰を受けているという証だから」



 _____豪華な明かりはいらない。足元を照らす灯火、一つだけでいい。見るべきものから目を逸らさないための光が、一筋あればそれでいい。



 お師匠様は、いつもの温和な顔を厳粛に曇らせ、悲劇を独りで背負ったような深く沈んだ顔色をしていた。

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