【第一章・第九話】紺瑠璃の君


 刈り込まれた芝が溌剌とした緑に輝いている。噎せ返るような薔薇の香りに包まれながら、レンガ造りの小道を歩いていくと、どれも咲き誇るように花弁を広げた薔薇たちが出迎えた。桃、赤、橙、黄、水、紫、黒、それから希少な藍色まで、まるでさざめくように庭園を彩っている。


 足にさらりと布があたる感覚に自身の身体へ視線を落とせば、深紅の衣装が目に入った。衣装と言っても、ドレスのような動きにくいものではなく、貴族のご令嬢が乗馬の際に着るかのような服だ。


 ふと、耳朶が何かに引っ張られているように感じ、思わず手で触れば、そこには微かに音を立てる耳飾りのようなものが着けられていた。


 いったい、いつの間に。困惑しながらも足元のマントを見れば、重力によってさらりと落ちる白銀の髪。


 ____白銀の、髪?


 わたしの髪は、勿忘草の花のような明るい青色だ。だから、こんな色の髪を持っているはずがない。そう、白銀の髪を持っているのは……お師匠様、なのに。



「ティア」



 の名を呼ぶ声が、再び聞こえた。この声は、お師匠様のところで聞いたものと同じだ。


 目の前には、美しい純白のタキシードに身を纏う貴族のような男性がいた。


 真夏の日差しの強い紺碧の空を模倣したかのような藍色の髪、柔和さと聡明さを兼備した銀の瞳。品位の高さを体現したお手本のような姿勢や、均衡のとれた身体。その容姿に反することの無い、男らしくも美しい手。



「サフィア様」



 勝手に動く唇が、名も知らぬはずの彼へと呼び返せば、嬉しそうに笑ってくれる。それに、私も自然と笑みがこぼれた。


 純白に金で模様が施された美しい茶器。テーブルの上に並べられた美味しそうなスイーツ。紅茶とアップルパイもあるぜ。そう言って微笑んだ彼を見て、絵になるな、なんてことをぼんやりと思った。


 優しく私の髪に触れ、小さく揺れる耳飾りに微笑み、頬を撫でる手つきに愛おしさが募っていく。包み込まれるように抱きしめられて、幸せで仕方がなかった。






 だが、そんな空間から景色は一転し、今度は暗闇に包まれた世界に変化した。


 腕を引かれる。気付けば、彼の姿はなくなっていた。


 下を向けば、こちらを見上げてくる小さな影。



『どうして、生きてるの?』



 足に何かが這う感覚。腕だろうか、真っ黒でよく分からないけれど。



『我のことを見捨てたくせに』



 見捨てたわけじゃない。


 心が、諦観に満たされた。



『自分は助かったから、ぼくたちのこと、どうでもよくなっちゃったの?』



 そんなわけない。忘れるはずがない。


 心が、失望に満たされた。



『わたくしを置いて、一人だけ幸せになろうなんて酷いじゃない』



 呼吸が、止まった。


 見なければいいのに、この身体は言うことを聞いてくれなくて、白銀を纏う少女を視界に捉える。勝手に早まる鼓動が煩くて、止まってくれればいいのにと思った。

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