【第一章・第四話】ミラージュ・ドゥ・シュヴァルツ



 ミラージュ・ドゥ・シュヴァルツとは、お師匠様が開いた魔導具店の名だ。


 皇都でも、『心を守る魔導具屋』として有名な場所。


 『心を守る』とは、いったいどういう意味なのだろうか。


 店主であるお師匠様にも、なにか守りたいものがあって、もしくはあったのに守れなかったからこそ始めた店なのかもしれない、と。


 お師匠様と話すたび、言葉の端々からそんな気配を感じる。自分は守れなかったから守る手伝いをするだなんて、普通は到底できない選択だ。


 それは「守りたかったのに守れなかった自分」を永遠に突きつけ続けられているのと同義だ。……そんな辛い選択、生半可な覚悟ではできない。そんなものは酷い自傷行為と同じだ。


 お師匠様は、頭の回転が早い。投げかけた言葉に的確な、時には面白い返答が返ってくる。だから、自分の選択がどういうことか分からないはずがない。


 『心を守る魔導具屋』と呼ばれているのに、お師匠様自身が自分の心を守れていない。それがなんなのか分からないはずがないのに、それでも店を開くことを選んだということは、お師匠様にはそれほどまでの後悔があるということだろうか。


 お師匠様がわたしにミラージュ・ドゥ・シュヴァルツについて教えてくれたのは、たった一度だけだ。









「此処に真実は存在せぬ。されど、この世の全ては此処にある。


 無から有を生み出すことは出来ぬ。されど、有限変化は現世の領分。


 ありとあらゆるものを断ち、削り、除き、繋げる。


 創造幻想、それはまさに型を模倣したもの。


 主は、何を以って其れを真か偽か見做す?」




 威厳と落ち着きが加わった声は、波が広がるような妙な緊張感をもって店内へ広がった。


 言葉を放った当の本人はまっすぐに客人を見つめている。そんなお師匠様の見つめる先、フードを被ったままのその方は、その視線に戸惑うように少しだけ体を震わせた。


 そのまま数秒が過ぎる。どうするのだろう、と伺っていたら、フードの人物は覚悟を決めたようにしっかりと立ち、お師匠様の視線を真正面から受けたようだった。


 お師匠様のもとで暮らすようになってから、初めてお客様が来店するところに出くわした。


 いつものように吹き抜けの二階の本棚の隅、すっかり定位置になりつつある丸椅子に座って本を読んでいたときだった。慣れた手つきで珈琲を淹れてくれたお師匠様が、テーブルへカップを置いてふと入り口を見た。


 それにつられるように視線を落とすと、謀ったようなタイミングでドアが開いた。ちらりとこちらに視線を寄越したお師匠様が前触れもなく指を振る。


 きらり、と魔法がかかる独特の気配がした。


 扉を開けたお客様は、本棚の前に立つお師匠様の姿を見上げて深々とお辞儀をした。そして、わたしを見て小さく微笑む。


 わたしの姿は見えているのに、まるで人間と認識していないようだ。だとしたら、お師匠様に掛けられた魔法は隠蔽ではなく___認識阻害?


 認識阻害は、扱いの難しい魔法の一つだ。かなり使い手も限られる。それを無詠唱でやってのけたお師匠様は、乱雑にわたしの髪を撫で、音もなく階段を降りた。


 それから、歌っているかのように滑らかな口調で話し始めた。



「さて、お客様。貴方の求める本物は、ここには存在しません」



 それでも、貴方は救われたいですか?


 続けられたその言葉に、フードを脱いだ客人がゆっくりと頷くのが見えた。

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