6 ファーストミッション
そして次の日。
「カリン様、あのニナさん、クラスの皆様を懐柔なさっているようですわ」
朝一番でマリアンがそんなことを言う。
どこから情報を仕入れてくるのだろう。昨日の今日で。しかも懐柔って……そんな子には見えないけど。普通にみんなと仲良くなっているだけだろう。ヒロインなんだし。
まあそれでも僕はニナへ意地悪を働かなくてはいけない。
「まあ、レディのなさることではありませんわね。カリン様、クラスの輪を乱すようなことをなさるニナさんには少しお仕置きが必要ではありませんか?」
ボエルが続く。捏造が酷いと思うけど。
「そうですわね、ボエル様。カリン様、私良いことを思いつきましたわ。今日提出の課題がありましたでしょう? 私のノートをニナさんの鞄へ忍ばせて盗まれたことにするというのはいかがでしょう」
小学生か。
「皆様を懐柔したあげく、人様のノートを盗んで困らせるなんて平民とはなんていやらしいのでしょう」
ふふふと邪悪にボエルが笑う。
「そしてカリン様が私のノートを見つけてくださって、ニナさんを教室から追放するのです。なんて素敵なんでしょう」
何が素敵なんだ。
「カリン様が高らかにニナさんを断罪するお姿に、皆様が心酔するはずです」
「素晴らしいですわ、マリアン様」
二人はどういうわけかうっとりしているけれど。
そもそもヤンの話と違うじゃないか。ニナの課題を僕たちが盗むんじゃなかったのか。
「ニナさんがちょうど席を外していらっしゃる今なら実行できますわね」
ノリノリのマリアンが自分のノートを手にニナの席へ行く。教室に登校してきているお嬢様方はまだ少ないし、それぞれ歓談中ゆえ僕たちを気に留めていない。目撃者はいないだろう。
ニナの鞄にノートを忍ばせ、マリアンは意気揚々と戻ってきた。
「ごめんなさい、マリアン様。あなたの正義と勇気は称賛に価しますわ」
僕は心を殺してマリアンを称える。
ボス格である僕が一番の罪人だ。止もせず褒め称えるのだから。
「ニナさんが平民のくせに私たちの学び舎へ転校なさることがおかしいのです。神のお導きです」
そこまで言わせるなら、どうしてニナは転校してくるのだろう。ヤンは追々理由はわかると言っていたけど。
「マリアン様の信仰はきっと神もご存じでしょうから来世も素敵なレディとなって皆様を笑顔になさるのだわ」
ボエルの称え方も究極だなと思いつつ、持ってきた鞄を開ける。
え。
あ、ちょ……。
なんで……僕の鞄の中に、ニナのノートが……!?
あまりの動揺に後ずさり、ぶつかった机がギギ、と動いた。
「?」
「カリン様? どうかなさったのですか?」
マリアンとボエルが不思議そうに僕を見る。
「え、ええ……大丈夫です。少しふらついただけですわ」
さりげなく、何事もなかったかのように僕はゆっくりと鞄を閉じた。
「まあ! カリン様、お体の調子が悪いのですか? 先ほど舐めていただいたハチミツ効くといいのですけれど」
「ええ、マリアン様にいただいたハチミツ、とても美味でしたからすぐに効いてまいりますわ」
僕は椅子に座る。ちょっと立っていられなかったのだ。それを具合があまりよくないのだととってくれた二人は僕をそっとしておこうと自分の席に戻った。
どうして僕の鞄、いやカーリンの鞄にニナのノートが?
あるはずないのに。
僕はニナと昨日はあれ以上接触していないし、鞄も触ってない。
ニナ・アンドレーと記名された、見覚えのないノートが鞄の中に入っていた。
どういうことだ……。
マリアンやボエル、ましてやニナがやったなんてことはないだろう。鞄から長い時間目を離すことはなかった。
……誰が犯人かなんて。きっと犯人なんかいない。勝手に入っていただけだ。おそらく。
ここはそういう世界なのだ。気まぐれなのか、僕の煮え切らなさにしびれを切らしたのか。
まいったな。このままだと僕もニナのノートを盗んだことになる。
……そうか。僕はこれでニナのノートを捨てなければならなくなる。上手くできてるな。
こっそりとニナのノートを取り出して開いてみる。
柔らかな女性らしい文字がノートを埋め尽くしていた。姉御肌のようだけど、根はやはり設定通りの優しい女の子なのかもしれない。
平民出身を気にしてなのか、もとから勤勉なのか、文章を書き写す課題を生真面目にきっちりとやっていた。
こんな丁寧なノート、捨てられない。盗まれた上に捨てられていたとなれば深く傷つくだろう。
これは返しておくか。マリアンのノートで十分だろう。
僕は胸に隠すようにノートを抱え、ニナの席へ向かった。
お嬢様方がどんどん登校してくる中、身を屈(かが)めてこそこそしていれば注意を引いてしまうだろう。急がなければ。僕は女スパイの如く素早くノートを鞄に入れる。
と同時に、教室の入り口にニナか現れた。セーフだ、多分。何事もなかったかのように背すじをピンと伸ばして立っている僕に怪しげなところはない。なぜニナの机の前にいるのか、ということ以外は。
驚くことにニナが教室の中へ入ってくるとその後ろから男がついてきた。ここは女子クラスだ。なのにニナという盾があるからか平然と入ってくる。男はヤンに負けず劣らずのイケメン。ヤンより少しきつめな顔で、気が強そうだ。
て。
「あの方、レイフ・ユングクヴィスト様では?」
「ええ!? なぜこちらへ? ここは一年生の教室ですのに」
そんな声が後ろから聞こえる。僕は不自然にならないように自分の席へ戻った。しかし。
レイフという名前なのか、女子が知ってる有名人なのか、なんてどうでもよかった。
「本当にニナさんをユングクヴィスト家にお迎えになるのかしら、あの噂は本当でしたの!?」
そんな声もどこか遠くて。
僕はニナの後ろに立つ男に目が釘付けになっていて。
その男と目が合った。
レイフなんとか、じゃない。
こいつは。
「
「あんたがカーリン嬢?」
レイフなんとかはニナの後ろから僕の顔を不機嫌そうに見た。
「! そ、そうですが」
無視……か? それとも別人? 僕が葵の顔だとわかるように、向こうだって僕だとわかるはずだ。レイフなんとかが葵なら。
「ニーナのことよろしく頼むよ」
「はい?」
「この子俺の婚約者なんだけどさ、まだ友達いねえからあんた友達になってやってくれよ」
背後できゃーと黄色い声が上がる。レイフなんとかが喋ったからか、ニナが婚約者だとはっきりわかったからか。そうか、この男が主人公か。
「レイ様、私は大丈夫です。少しずつ慣れていきますから」
ニナが健気なことを言う。言葉の割には大船に乗ったつもりでいろと言わんばかりの顔だったが。
「そうか? この
さ、さるやま……。込められた意味はあまり深く考えないでおこう。ニナから僕たちが彼女のことを快く思ってないということを聞いているはずだ。今日は探りを入れに来たのかもしれない。
「そのようなものになった覚えはありませんが、この花組の皆様はお優しい方ばかりなのでニナ様はすぐ仲良くなられると思います」
「あんたも?」
いで立ちは立派な王子様系なのにこの口の悪さ。そういうギャップ萌えみたいな主人公なのか。
「え、あ、まあ……」
ニナと仲良くなっていいわけない。
それにしてもこの男、本当に葵じゃないのか……? いや、声が葵だ。聞き間違えるはずない。顔も声も葵だ。
「じゃあ、頼んだぜ」
レイフはまたあとでな、とニナの肩を叩いて教室を出て行った。
彼の姿が見えなくなると教室がわっと騒がしくなり、数人のお嬢様方がニナの周りに集まった。僕は情報収集しようとこっそりと聞き耳を立てる。
「ニナ様、レイフ様とご婚約なさってるのですね」
婚約者だと確定した途端に様呼びだ。まあ僕もそうしたけど。
「はい。私はレイ様の剣さばきに一目惚れでした。それはもうお見事で」
嬉しそうに笑ったニナだったが、一瞬場の空気が固まる。
「け、剣さばき……?」
重い持ち物は分厚い恋愛小説ぐらいですと言わんばかりのお嬢様方には理解できないようだった。僕も剣なんて見たことないけども。
「小振りのモンスターを倒すお姿は舞を見ているようでした」
「ニナ様、フィールドにお出になられたことがあるのですか?」
「住んでいる村がフィールドに近いので」
この人たちの話を分析するに。
一、モンスターがいる。二、モンスターはフィールドということろにいて、フィールドは居住区とは区別されている。三、主人公は剣を使ってモンスターを倒す立場にある。四、ニナも(主人公と一緒に)フィールドへ行ったことがある。五、ニナは村に住んでいる。六、やはりファンタジー系ゲームなのだここは。
というところだろうか。
ヤンからは剣やモンスターの話は出てこなかったけど。カーリンのルートが恋愛編だからそっち方面は関係ないのだろう。クラスの皆の雰囲気も話はすれど縁はない、そんな感じだ。多分あると仮定するならば戦闘スキルや魔法スキルを持っていない種類の人たち。だから小学生並みの意地悪に勤しむことができるのだ。
それにしても。どうしてこう、情報が入る時というのは雪崩のように押し寄せてくるのだろうか。一列に並んで一つずつ来てほしい。
葵。
あれは、レイフは僕の弟ではなかったのか。答えてはくれなかったけど。
でもどうして。
「あら、私のノートがありませんわ」
…………そうだった。
マリアンが十二時の鐘のように高らかに、芝居がかった声を上げた。
蒔いた種は芽を出すものだ。よそ見をするなということか。すっかり忘れていた。こちらが本命だというのに。
「マリアン様、課題のノートですか?」
ボエルがさらにパスを出す。
「ええ、そうなの。速やかに提出できるよう机の上に出しておいたのですが、ないのです。皆様の近くに落ちていたりしませんでしょうか」
善良なお嬢様方はマリアンのお願いを聞いて自分の机の周りや机の中を確認してくれ、口々に「マリアン様、私のところにはありませんでした」と報告してくれる。申し訳ない。みんなのところにはないよ。ニナの周りにいた人たちも自分の席へ散っていった。
「皆様、探してくださりありがとうございます」
マリアンはみんなの報告を聞いた後、深々とお辞儀した。そして僕も報告する。
「マリアン様、私のところにもありませんでしたわ。皆様にお尋ねしても見つからなかったということは不思議なお話ですけど妖精のいたずらとしか言いようが」
「いいえ、カリン様。まだここにいる皆様全員にお聞きしていませんわ」
ボエルが皆の前に出た。
「ニナ様は見ていただけたかしら」
様、がトゲトゲしい。不本意だと言いたいんだろうな。
唯一声を聴いていないのはニナだ。そのニナはというと、鞄を抱えたままじっと椅子に座っていた。
「ニナ様?」
黙っているニナに、教室中が注目する。俯いてはいないが誰かを見ることはなく、彼女はどこか一点を見つめていた。
「ニナ様、どうなさったのですか?」
こんな茶番は早く終わらせたい。僕はニナの席へ歩いた。
「私の鞄の中にマリアン様のノートがありました」
静かに言った言葉に、みんなが息を呑む。僕たち以外の。
ニナは鞄から取り出したノートを机の上に置いて。
「万物に誓って言いますが私はマリアン様のノートを盗んではいません」
堂々と言ってのけた。まあそうだろう。ニナの性格ならば。
「ではどうして貴女の鞄の中にあるのかしら」
ボエルは薄く笑っているように見える。意地が悪い。全くもって悪人面だ。
「わかりません」
そりゃそうだ。
「マリアン様、ノートが見つかったのならそれでいいのではないですか? 誰が持っていたとしてもマリアン様の元へ戻り課題を提出できるのですから」
こんなのどうやったって解決はしない。平行線をたどるばかりだ。
僕はニナの机の上からノートを取ってマリアンに手渡した。
「はい。誰がどのような目的で私のノートを持っていたとしても今こうやってカリン様が場を収めてくださるのなら、私はこの件は終わりでいいと思います」
と言って。
始業のチャイムが鳴った。
早く切り上げたくて僕が言った言葉は。
ノートが戻ったからこの件は終わったことにする、というのはニナが犯人だけど今回は許してやると言わんばかりで。無駄な言い争いはせずに済んだけどニナが釈明をする機会は失われたということだ。かえってニナを苦しめることになっただろう。
カーリンとしてはいい気味だとほくそ笑むところだ。カーリンとしては。
ちらりとニナを盗み見れば。悲しそうでもなく、怒りに燃えるでもなく、無表情で何を思っているかはわからなかった。
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