5 やるべきこと
「疲れた……」
家へ帰るなり、行儀が悪いとは思ったがドレスのままばたんとベッドに倒れこんだ。
「久しぶりの学校でしたからお疲れになるのは仕方のないことです。甘いイチゴジャムとクッキーをご用意してますよ、カリン様」
くすくすとメアリが笑う。
「ありがとう、メアリ」
と返したものの、突っ伏したままで起き上がる元気はまだ戻っていない。さすがにここでお茶をするわけにはいかないだろうからもう少し待ってほしい。後で行くからとメアリに下がってもらった。
学校での出来事を思い出そうと目を閉じる。
主人公が男の場合のヒロインって、あんなものだっけ。いやに勇ましい。物怖じしなくて積極的だ。
今日のところは朝の挨拶で終わった。授業が始まれば絡んでいる時間はそうなかった。ニナは僕ら以外と仲良くなる気まんまんで、休憩時間になるとクラスの女子ににこやかに話しかけていた。ひょっとしたら僕たちがクラスで浮くことになるかもしれない。ざっと見たところ、おっとり女子の集まりのようだし、活発そうなニナに憧れなんかを抱きそうだ。
カーリンとしてはまあまあ頑張った。ニナには悪い印象を与えられたのではないかと思う。特攻してくれたマリアンの功績が大きいのだけども。
「明日は何をしたらいいんだろう」
当然ながらカーリンが主役ではないので、出番は少ない。ちょこちょこ姿を見せて意地悪する程度だろう。あと二つ三つやってるうちに他にもイベントが入ってきてヒロインと主人公がくっついてグッドエンドだ。
「明日はニナの課題を隠す、だな。カリン」
「!!」
突然、頭の上から男の声が降ってきた。
あまりにも声が近かったから僕は慌てて体を起こしてベッドを降りる。その素早さは特殊部隊顔負けだったかもしれない。
……また押さえつけられるなんてたまったもんじゃない。
「女スパイでもやるのか?」
目の前に立つヤンはくくくと笑った。
「違いますけど」
ノックぐらいすればいいのに。着替えてたらどうするんだ……いや、別に見られたっていいか。いや、ダメだ! カーリンは女の子だ。ああ、ヤンとカーリンは相思相愛ではない分そんな甘々な展開にはならないからそういうのは心配はいらないのか。あ、でも、なんかの腹いせに、ってのはアリか? 甘々よりそっちの方がずっと嫌だな。負の感情をぶつけられるのは……つらい。
「何ひとりで百面相してるんだ。俺の話を聞く気はないのか?」
「あります、教えてください」
一つ何かあると、整理しなければならない情報やら感情やらが多いのだ。僕の分とカーリンの分と。
僕とヤンはベッドの端に並んで座った。
「明日の授業で提出する課題があるだろう? ニナの分を持ち出して捨ててしまえ」
「ええ!?」
なんてアナクロで容赦ないんだ……。
「そう難しいことじゃないだろ。ニナの鞄から抜き取ってゴミ箱に捨てるだけだ」
「でもそんな酷いこと」
「その酷いことをするのがお前の役目だろ」
「う……」
おっしゃる通りで。
「腰巾着にやらせればお前の気も少しは軽くなるだろうよ」
「いや、そんなことではなくて」
もう少しマイルドなことでは駄目なのだろうか。
「あのな……じゃあ言い方を変えるか。お前の意地悪がヒロインと主人公の絆を強くする。これでどうだ。お前の意地悪がなければあいつらはグッドエンドを迎えられない」
まあ、そうだろうけど……。
「いくつもの困難やつらいことを越えたところにエンディングの感動があるものだ。プレイヤーの視点に立てばそうだろう?」
これがお芝居というのなら整理もつくのだ。僕もニナもマリアンもみんな役者、演技。僕だけが役者であとは素の人間だとしたらストレートに傷つくのは向こうだ。
「お前ね……そんなに嫌ならあとは殺されるぐらいしかないぞ、わかってるのか? 何もしないのなら終わりは来ない」
「殺される……」
そうなら僕はずっとここに。
「俺がここでお前の首を絞めてやろうか」
言うなり、ヤンはカーリンの、僕の首に両手をかけた。
「!」
綺麗だと思った指は意外と骨張っていて、いやに僕の首にフィットする。
「ぅ……」
じわりと指に力が入る。ひと息ではなく少しずつ喉を潰されていく感覚に僕は恐怖を覚え、無我夢中でヤンを突き飛ばした。
「ぁっ……っ……ぅ」
枷が取れた首をかばい、浅い呼吸を繰り返す。体に残った恐怖が涙となって溢れた。
「そんなに絞めたつもりはないんだがな。死ぬとか安易に考えるなよ?」
確かにほんの数秒のことだったし、ヤンはそんなに力を入れてはなかった。
でも死が頭をよぎって恐怖で一杯になった。殺されるとはこういうことなのだ。
……こんな思いはしたくない。人から命を奪われるなんて嫌だ。すべての権利を奪われてもがきながら死ぬなんて。僕はまた簡単に考えていた。痛いとか痛くないとかそんなんじゃない。
「僕はやるしかない……のか……」
本当は死ぬことと比べるのは間違っているけど。
「キャスティングしたのはお前自身だ。最後まで責任を持て」
悲しくて、怖くて。
僕はなぜここへ来てしまったのだろう。ぼたぼたと落ちる涙が止まらない。こんな選択。
「馬鹿だな」
ヤンの声がして。
「!」
あっという間にヤンの腕の中で。僕はぎゅっと抱きしめられていた。
「難しく考えるなよ、唯。ここはゲームの世界だ。俺たちはシナリオに沿って進むだけだろ?」
僕の背中を
「お前は真面目に考えすぎだな。お前のフォローは俺がやるがヒロインのフォローは主人公がやる。お前が気に病むことは何もない。それで上手くいくんだ」
その声に、僕の心も乱れた呼吸も段々と落ち着いて涙も止まって。
何もかもが初めてのことばかりで、僕は冷静に対処できなくてオロオロしてばかりで。
この世界にいることはルールなんだろうけど、もしもヤンがいなかったら僕は途方に暮れてわけがわからないままふらふらとどこかから落ちて死んでいたかもしれない。
ヤンはいい人だな。
こんなにいい人なのにカーリンはどうして好きになれなかったんだろう。僕なら好きになるのに。
……うん?
ええ!?
ちょ、僕は今なんかとんでもないことををををを。無意識にヤンの広い背中に腕を伸ばそうともしてるし。いやいやいやいや! 違うそうじゃない。何がっていうかもう全部!
「わわわわかりました! も、もう大丈夫です、元気ですっ!!」
丁重にヤンから身を離して、適度な距離を置いて座り直す。
ありがとうございます。大変ありがたいです。ありがたかったですが、このあたりで大丈夫です。ええ。
「よしよし。元気が出たのならよかった。明日、大丈夫だな?」
僕をからかうでもなく、ヤンはいたって真面目に微笑んだ。
「あの……ヒロインのことで」
僕は疑問をぶつけた。
「ヒロインのニナがすごく積極的な女の子で、カーリンなんてすぐ蹴散らされそうな程ある意味男前なんですが……」
「ああ、それな」
うーん、とヤンは腕を組んで困ったような顔をした。
「何も知らないお前がここにいるイレギュラーな事態になってるからか、ニナもちょっといつもと勝手が違ってな……」
「え?」
僕のせいか。
「ニナは平民出身だけど良家の子供たちが通う学校へ転校してきた。もちろん本人が希望したわけではなくて理由がある。それは追々わかるとして、ニナは優しくて儚げな、物腰の柔らかい普通の女の子、ってことに本来なってる」
よくあるヒロインのタイプかな。主人公を健気に影ながら支える、でも芯の強い子、って感じ。
学校で見た彼女は真反対な気がする。積極的で物怖じしなくて、ダメなものはダメだと、誰にでもはっきり言いそうな女子だった。
……そんな子がヒロインなのだとしたら、主人公も手を焼くだろうな。もしくは主人公もイレギュラー的にいつもと真反対のへなちょことか。
僕が来たことでとんでもない方向へ向かってるのだとしたら、ヤンに苦労をかけているのかもしれない。もうかけてるか……。
ゲームのストーリーも、キャラクターの名前も、ふさげたことにタイトルすらも知らないのにここへ来てしまった僕に一から説明しなければならないのだ。
ここに来たいと願って来た人には不要な手間だ。
「すみません、なんだか僕のせいで」
ぽつりと口をつく。
「いや、そういうこともあるんだろう。なんせ、俺たちの考えなんか及ばない世界のやつらの遊び場なんだろうからな、なんでもありだろ結局」
ヤンはベッドから立ち上がった。
「ちょっと大変かもしれないが、ま、頑張れ」
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