4 登校

「おはよう、メアリ」

 今日もお前は不細工ね、なんて、やっぱり口が裂けても言えなくて。

 少女でもないやたら低い声で、僕はメアリに朝の挨拶をした。声だけはどうしようもない。なんでこんな半端なんだ。

「ええと、もうやめたの。レディですから、子供みたいなことは言いません」

 そう言い訳した。

「あら、そうですか。いちいち宣言するところが子供なのですよ」

 ふふふ、とメアリが笑う。

「……」

 赤ちゃんの頃から姉妹のように育った幼馴染(とヤンが言っていた)の気安さがあるのだろう。しかしこうやってメアリがカリンを子供扱いするから彼女は性格が悪い子になったのではないだろうかとちらりと思う。主の娘と使用人になってしまった今の距離がカリンは寂しいのだろうか。大人になれば、人との距離は幼少のそれとは違ってくるのだろう。親しかった友達もきっと例外ではない。背負ったものの重さの分、相手に近付けなくなるのかもしれない。

「今日はヤン様がお迎えにいらっしゃるそうです」

 そう。今日から新学期が始まる。

 カーリンはどうやら十六歳らしいのだ。

 二つ上の学年のヤンは(実は三つ四つ歳上なのかと思っていたが二つだった)ここでも(?)、四つ葉会という名の生徒会組織の長らしい。道すがら僕の役割について教えてくれた。

「今日お前がやることはたったの一つ。ヒロインと対面して嫌味の一つでも二つでも言ってヒロインのカーリンへの印象を悪くすることだ」

 お前の腰巾着が二人がいるから直接手を出す必要はないと。成り上がりの家とは言え、娘のカーリンは温室育ちのお嬢さんで。ヒロイン以外はみなそんな感じの金持ちや由緒ある家柄の子供たちな分、嫌がらせとはいうものの、大したことはないらしい。

 学校へ着くと、ヤンは先にすたすたと自分のクラスの教室へ行ってしまった。平民とそうでない家の子は通う学校が違うらしい。ファンタジーや明治時代を舞台にした話にありそうな設定だ。

 カリンが通っているのは一年生クラスの花組。他には月組と雪組と星組がある。三年生まであって、計十二クラス。面白いことに三年通った後の上級学校は一つしかなく、平民など身分は関係なく進学希望者が試験を受けて入学するのだそうだ。

 学校というからにはどこの世界でもやることは同じだろう。基本的な学校生活はなんとかこなせそうだけど僕の場合、このドレスの裾が問題だ。雑に扱ってどこかに引っ掛けて破いてしまいそうで怖い。

「カリン様、おはようございます」

 見知らぬ、いやカリンは知っているのだろうけど、黄色いドレスを着た女子が近づいてきた。腰巾着一号かな。腰巾着してもらえるほどカリンは幅を利かせているのだろうか。ヤンの言うところの成り上がりな家なのに。類は友を呼ぶというやつか。

「おはよう」

 名前なんて知らないから! ごめん、黄色い人。頬に薄くそばかすがある、ちょっと目がつりあがった人だ。

「! まあ、カリン様、そのお声、どうなさったのですか」

 そう言われるのはわかっていた。

「おかしいでしょう? 昨日から喉の調子が戻らなくてずっとこのままなの。恥ずかしいわ」

「いいえ、カリン様、あまりお気になさらないでください。明日、このマリアンが喉に良いハチミツを持ってまいりますわ。あら? ボエル様の姿が見えませんね」

 良かった。ヒントが。黄色のドレス(この人)がマリアンさん、もう一人がボエルさんか。

「そうね、まだのようね」

 と、僕がネタを持っていないこともあって話すことがなくなり、少しの間沈黙があった後。

「おはようございます。カリン様、マリアン様」

 こちらへ小走りで駆け寄ってくる緑のドレスを着た、ちよっとタレ目な丸顔女子が。

「ボエル様、レディは走るものではなくてよ」

 マリアンがたしなめる。

「ごめんなさい、だけどどうしても早くお教えしたくて」

「どうしたの、何かあったの?」

 こういう時は聞いてあげるのが筋というものだろう。腰巾着とヤンは言ったが、多少は慕ってくれているのだろうし。

「カリン様! そのお声、どうなさったのですか」

「ボエル様、カリン様は喉の調子がお悪いの。あまり触れて差し上げないで」

 マリアンと同じことを言われたものの、マリアンが助け船を出してくれた。

「それは申し訳ございません、カリン様」

「いえ、いいの。それよりお話の続きを」

 ずっとこの低い声のままなのかとがっかりもするが、仕方ない。

「そうでした。今日から例のニナさんが登校するのですが、なんとこのクラスに入るようです」

 例のニナ……多分、ヒロインの名前だろう。平民出身なのに特別待遇でこの学校へ転校してくるという。

「あら、そうなの。でしたらご挨拶しなくてはいけませんね、カリン様」

 マリアンがニヤリと笑う。ああ、こういうのが悪役ってことか。会ってもないのによくそんな悪い顔をできるものだ。

 よし、やるしかない。僕はヒロインに意地悪をする悪役令嬢だ。

「そうね。ご自分のお立場をわきまえていただかなくてはね」

 と、ニヤリと口の端を上げてみたけれど。傍から見たらちゃんと嫌な子に見えるんだろうか……いまひとつ自信がない。

 これは帰って笑う練習をせねばと思っていたら、教室の入り口がざわついた。

 そちらへ目を向けると、華美でない、いたってシンプルな赤いドレスの女子がずかずかと中へ入ってきて、一番廊下側の列の一番後ろの席にどかりと座った。

「さすが平民の出ですわ。品のない。もっと優雅に座れないものかしら」

 僕はマリアンの声の大きさにぎょっとした。これでは聞こえてしまう。いや、絶対聞こえた。わざとだ。聞こえるように嫌なことを言ったのだ。

 ということは、この女子が、ヒロインのニナなのだろう。マリアンとボエルは転校生の顔を知っていたようだ。……もしかしたらカリンも知っているのかもしれない。乱暴というか、緊張のあまり動作の加減ができなかったのか。横目でちらりと見れば、赤いドレスの女子の、美人というよりは可愛いと言われるだろう顔は少し青ざめているような気もする。

 小声で上品なおしゃべりがそこかしこでしていたはずの教室がしんと静まり返っている。誰が聞いてもマリアンの発言は喧嘩を売ってるとしか思えない。しかしマリアンのボス?である僕が彼女を一人悪者にしておくわけにもいかず。多分。

「マリアン様、きっと何度もお家で練習なさった賜物でしょう。誰だってできることとできないことがありますわ」

 酷い言い草だ。転校初日に言われたらいたたまれなくなるだろう。僕もいたたまれない。

「カリン様のお優しいお言葉、私も見習わなければ」

 ボエルが続く。どこが優しいんだ。

 直後、ニナ(おそらく)がゆっくりと席を立った。……そりゃそうだ。こんなとこいたって楽しくないし、教室のみんながこんなのばかりだと誤解すればとっとと帰りたいはずだ。

 カツカツと靴音を立てて並んだ机の横を通り過ぎていく。本当に帰ってしまうのだろうか。

 と。

 ドアへ向かうと思われたニナ(おそらく)はこちらへずんずんと向かってきた。

「すみません」

 え?

 僕?

 僕の目の前に、ニナ(おそらく)が超至近距離に立つ。

 ち、近……い。

 その姿はそれはもう堂々としたもので、僕たちの嫌味などでさめざめと泣くような女子ではないと全身がアピールしていた。

 僕は思わず一歩引きかけたが、あいにく並んだ机が邪魔をしたために動けなかった。

「お名前、何とおっしゃるのですか?」

「!」

 さらに強気にぐっと顔を近づけられ、女の子の顔がこんなに間近にあったことなどない僕はうろたえ、それがもろに顔に出た。顔が熱い。

「ちょっとあなた!」

 軽く固まっている僕を知ってか知らずか、マリアンが割って入る。

「ああ、まずは自分の名を名乗れということですね。失礼しました。私はニナ・アンドレーと申します」

 大きな瞳が僕を見る。

「……私はカーリン・スヴァンホルムよ。あなたの振る舞いはレディとはかけ離れていると思うわ。この学校に入られるのでしたらもう少し学ぶべきね」

 僕が女の子だったらここまでドキドキしなかったのだろうか。

「それは失礼しました。私は平民の出なのでなかなか身に付かず時間がかかりそうです、カーリン様」

 その顔、ちっとも悪いと思っていないだろう。まあ僕たちの嫌味がそもそも言いがかりだからニナ(確定)がそう思う必要はないわけだけど。

「そう。それは仕方のないことね。卒業までに身につけられるといいわね」

 僕はネタ切れだ。必要以上にいがみ合う気はない。こちらから何か言えば、きっと同じだけ返ってくるだろう。引く気はない、そんな気がする。

「それでは失礼、ニナさん。もうすぐ授業が始まるわ」

 長引けば僕の方がボロがでそうで。ちょうど壁の立派な時計の針は始業の時間をさそうとしている。

 僕の言葉に教室中が我に返ったようになり、自分の席へと散っていった。もちろんニナも。僕はと言えば、実は自分の席がわからなかったのだけど、マリアンが先に行って椅子を引いてくれたのでもたつくことなく椅子に座ることができた。

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