本好きの曖気

limone

本好きの曖気

 幼い頃、本屋に行くと全集になっている童話集を一冊ずつ買ってもらった。本屋に行くのが楽しみだった。私は字を覚えるのが早かったらしいが、母からその童話集のお陰だと教えられた。だからという訳でもないが、その童話集は自分の子供にも繰り返し読んで聞かせた。

 自分で本屋に行くようになったのは小学校の高学年になってからだったろうか。大好きなコミックの発売日に百円玉を握りしめて本屋に行った。中学生になると氷室冴子や新井素子の小説を買うようになった。たまには参考書も。けれど、高校生になると電車通学になり、駅前の大きな書店を利用するようになった。三階までフロアのあったその書店には近所の本屋では見たこともないような本がたくさんあった。早川のSFシリーズを買い漁った。専門書の存在を知ったのも海外アーティストの載った雑誌の存在を知ったのもその書店だった。やがてその書店で買った赤本の大学に合格し、県庁所在地の大学に通うようになると全国に支店のあるさらに大きな書店を利用するようになった。そこにはおしゃれな洋書があったり、聞いたこともない出版社から出ているニッチな雑誌があったり一日居ても飽きない場所だった。

 だがこの頃から少しずつ様子が変わってきた。近所の本屋も駅前の書店ももう存在しない。本屋のあった商店街は、中学生の頃隣町にできた複合商業施設のせいで徐々に店舗数を減らし今ではほんの数件が細々と商売を続けているだけだ。本屋も他の商店、魚屋や八百屋同様、知らぬ間に閉店し、その場所はいつの間にか更地になっていた。駅前の書店の閉店はよく覚えている。就職してしばらくした頃、携帯電話の代理店に変わった。一時はあちこちにあった郊外型の書店も殆どが閉店した。だが不便さはない。駅ビルの改装で県庁所在地にあったあの書店が出店したからだ。ただ最近はその書店にもほとんど行かなくなった。読みたい本はネットで購入する。私の暮らす地方都市ではデパートが閉店し、大型スーパーも淘汰されて数を減らした。個人経営の書店の閉店もそうした時代の趨勢の一つだとすれば誰が何をしても無駄なのかもしれない。それでも少しぐらいは抵抗すべきではないのか?少なくとも本を書くことを生業とする研究者や作家にはそうあってほしかった。

 最近刊行されたトランスジェンダー本について販売するなと大手書店に脅迫があったらしい。一度目の出版を中止に追い込んだ研究者や作家が脅迫という卑怯な手段を用いた犯人を糾弾したとは寡聞にして聞いたことがない。私はXにおいて

KADOKAWAでの最初の出版が話題になったころからこの件を追っていたが、この件ではポリコレを装った研究者や作家の胡散臭さが際立っていた。「カクヨムコン9応募者アンケート」への回答のご褒美として頂いた電子図書カードはこの本を買うのに使った。脅迫者に対抗するためにも本は書店で購入した。Xの情報で大手の書店には置いてないとあったのでスーパーの中の書店で買った。それも店頭には置いてなかったのでレジで聞いてから買わねばならなかった。

 読了してわかったのは、「トランスジェンダーになりたい少女たち」が決してヘイト本などでないということだ。寧ろ思春期の子供に関わる全ての大人に読んでほしい。読まなければ何もわからない。出版されなければ誰も読めない。

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