第5話 都内、宍戸クサリ邸

「弱みにつけ込んで手ぇ出したんすか!? ケダモノ!!!」

「出してない……何もしてない……大声出すな頭痛がする……」


 宍戸ししど邸で迎えた朝は、予想以上に賑やかなものだった。今日も宍戸は中野区にあるシアター・ブーケに出勤しなくてはならない。午前7時には宍戸は起床していたし、鹿野かのも「朝飯食え」と起こされていた。


 純喫茶カズイを辞したあと、鹿野と宍戸は宍戸の自宅で飲み直した。宍戸の愛猫であるヴェンは可愛かったし、不田房ふたふさに対する文句を言うこともなくただ黙々とアルコールを摂取し続ける宍戸のことは少しだけ心配だった。それで、「宍戸さん飲み過ぎですよ」と適当なタイミングで声をかけ、長身の彼を寝室まで引きずっていった。シングルベッドがぽつんと置かれている寝室で、宍戸にまた手首を掴まれた。「もう少し喋ろう」と呂律の回らない声で宍戸は言った。かわいそうに、と思ってしまった。不覚にも。宍戸クサリは不田房栄治を信じていたのだ。信じているのだ。今も。あんな言葉を投げ付けられたと言うのに。それで、宍戸はベッドに横たわり、鹿野はベッドの端に座ってぽつりぽつりと話をした。思い出話が多かった。鹿野が宍戸と知り合った頃──大学時代の話を、ゆっくりと辿った。宍戸は掠れ声で笑い「いいな」と言った。「そういう楽しい学生時代、経験してみたかった」と。宍戸の前職は弁護士だ。だが、弁護士だった、ということしか鹿野は知らない。宍戸が語らないからだ。「俺は、あんまりいい弁護士じゃなかった」と宍戸は言った。座っているのに疲れた鹿野は宍戸を壁際に追いやり、ベッドの上にうつ伏せに寝転んだ。


「いい弁護士じゃない弁護士っているんですか?」

「いるよ。俺」

「殺人犯を無罪にしまくっとったとか?」

「そういうのいいなぁ、で後から自分で殺すんだろ? その殺人犯を」

「マンガやないですか」

「俺はさぁ……ヤクザに面倒見てもらっててさぁ……」

「へえ」


 それもそれでマンガみたいだな、と鹿野は思う。


「すげえヤクザでさ、鹿野も名前ぐらいは知ってるんじゃねえかな」

「あっ、言わないで、言わないでください。自分で調べます。そのヤクザは今も現役で活動してますか?」

「アキネーターかよ。そうだな、どちらとも言えない」

「むっ。いきなり難しくなりましたね?」

「ははは」


 記憶は、その辺りで途切れている。気付いたら朝7時で、濡れた髪に上半身裸の宍戸クサリに叩き起こされていた。


「宍戸さん、上裸で朝ご飯作るんですか!?」

「洗濯サボってたら着るものがなくなってた」

「うわぁ」


 食事を終え、宍戸は洗濯、鹿野は洗い物をしてからシャワーを借りた。幸いにも以前宍戸邸に泊まり込んだ際に置きっぱなしにしていた下着やTシャツがあったので、それをそのまま着た。化粧品を探して部屋を彷徨っていたら、チャイムが鳴った。ベランダに洗濯物を干す宍戸に「出てくれ」と頼まれたので玄関を開けた。

 コオロギ透夏とうかと、薄原すすきはらカンジが立っていた。


「あ、カンジさん! おはようございます! えっと……コオロギさんは初めましてですよね? 演助えんじょの鹿野素直と申します」

「おはよ〜鹿野ちゃん! ってなに……こんな朝からなんで鹿野ちゃんが……?」

「あ、いや昨日色々ありまして」

「色々?」


 細い目をしぱしぱと瞬かせる薄原を押し退けるようにして、浅黒い肌に金縁のスクエア型の眼鏡、両耳に大量のピアスをぶら下げた男──コオロギ透夏が険しい顔をする。


「シャワー? 浴びたとこ?」

「えぁ……ああ、はい、いや、というか、えーと……?」

「宍戸さん! あんた何やってんすか!!」


 朝9時台のマンションの廊下に、コオロギ透夏の怒号が響き渡った。鹿野にも薄原にも、透夏を止めることができなかった。

 そうして、冒頭の会話に戻る。


「何も! して! ない! 俺のことなんだと思ってんだおまえは!」

「いいや信じませんよ……鹿野さん初めましてでこんなこと言うのアレだと思うんだけど、宍戸さんちょっと前まではすっっっごかっっったから……」

「うんうん。すごかったねぇ」

「そんなすごかったんですか……?」

「すごくねえよ! やめろ! ……頭痛いからマジでやめてくれ……」


 一気に賑やかになる宍戸邸のリビングで、ヴェンがいかにも嫌そうに「ナァオ」と鳴いた。


 適当に着れそうな服を着た二日酔いの宍戸と、洗面台に置かれていた化粧用品一式で顔を作った鹿野。それに鹿野とは初対面のコオロギ透夏と、顔見知りで過去何度も同じ現場に入ったことがある薄原カンジ。宍戸邸のリビングに、奇妙なメンバーが顔を揃えた。


「改めまして、コオロギ透夏と申します。先ほどは勘違いをしてすみません」

「あ、名刺ありがとうございます。私今ちょっと持ってなくて……スモーカーズの鹿野素直と申します。おもに演出助手をやってます。今度、すっごかった宍戸さんの話聞かせてください」


 ちゃぶ台を囲んで時計回りに、宍戸、鹿野、透夏、薄原という順で腰を下ろす。初対面のふたりの挨拶が終わったところで、「時間がないから手短にいこう」と宍戸が口を開いた。


「時間がないのと、正直ここにいちゃマズいのは俺らも同じっすよ。ね、透夏」


 レトロなラウンドフレームのサングラスを外しながら薄原が応じ、透夏がこくりと首を縦に振る。


「おふたり……確か会っちゃいけないことになってるんですよね?」

「探偵さんから聞きました? 間宮まみやさん、カッコいいですよね〜。ああいう女性ひと好きだな〜」

「おいカンジやめろ。おまえこないだ婚約したばっかりだろうが」

「それに間宮さん男の人あんまり好きじゃないですよ……」

「そうなの!? 燃える!」

「馬鹿カンジ、時間ねえっつってんだろ」


 薄原の後頭部を引っ叩く透夏の舌で、銀色のピアスが光っている。派手で格好良い人だなぁ、と鹿野はぼんやりと思う。


「すみません、宍戸さん、鹿野さん。手短にいきますね。一応、俺らの謹慎は解かれました。どういう事情かは分かりません。昨日の夜だったかな?」

「うん、そう。急に近所の警察の人が家に来て、明日から外出してもいいですよ〜って言われて」

「で、まずお互い連絡を取り合って……」

「会っちゃダメは解禁されてないんですけど、ま、LINEで連絡取っちゃダメとは言われてないんで」

「正直俺らも馬鹿みたいに謹慎させられてたせいで生活がカツカツで……お互い都内に仕事の予定があったんで、じゃあ偶然顔合わせたっていうテイで情報整理するかって話になって」

「それだったら間宮さんを寄越してくれた宍戸さんの家で出会っちゃった設定にするのがいんじゃね? って話になって!」


 テンポ良く話が進んでいく。透夏と薄原は相当仲が良いようだ。


「そんで昨日夜宍戸さんにLINE送ったんだけど返信なくて……まあ行くだけ行ってみるかって……」

「まさか宍戸さんが鹿野ちゃんとこんなことになってるなんて……」


 ね〜! と顔を見合わせて笑う透夏と薄原に「殴るぞ」と宍戸が唸った。


「ま、それは冗談として。宍戸さんも今日どっか現場入ってんすよね?」

「中野のブーケ」

「なるほど。俺は下北で打ち合わせ」

「俺は渋谷! 『底無活劇』のことはたぶん聞かれると思うけど、オヤジの代から付き合いあるプロデューサーさんだからだいじょぶじゃねっかなって……」

「それぞれ予定があるとなると本当に時間が限られてきますね。……情報整理というのは、もちろん」

「『』」


 鹿野の問いに、透夏と薄原の声が揃った。宍戸が大きく嘆息する。


「その件なぁ」

「何か新しい情報あります? 俺らも妙な濡れ衣着せられて迷惑してるんですよ」

「知ってたら教えてほしいっす!」

「いや……」


 と宍戸が視線を寄越す。鹿野はゆるゆると首を横に振り、


スモーカーズウチの不田房栄治に、もう首突っ込むなって言われちゃって。それがちょうど昨日です」

「はあ!?」


 透夏と薄原の声が、再び揃った。

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