第3話 新宿区、中華料理店
北海道公演が保留の状態になっている『底無活劇』の稽古場から戻った不田房栄治、それにシアター・ブーケの仕込みを終えた宍戸クサリ、手伝いに入っていた
「紹興酒、キクラゲと卵のやつ、あと唐揚げと〜」
「軟骨の唐揚げ三人前お願いします!」
「鹿野、軟骨の唐揚げばっかり食べてると栄養が偏るぞ、皮蛋も入れといてくれ」
「香菜サラダと……あっパクチー入りの水餃子がある! これ! 頼んでください!」
「僕パクチー食べられないから豚肉の水餃子入れといて欲しい〜」
「うおお」
注文用のタブレットを手にした不田房に、鹿野、宍戸、優華、桃野が次々に声を掛ける。
「待って待って……えっ軟骨の唐揚げ三人前? そんなに要る?」
「要ります」
「あとビール」
「うちもビール!」
「僕これがいいな、ストロベリー・マルガリータ」
「桃野さん何それ!?」
「私ライチジュースでお願いします」
「もう〜!!」
ひと通り注文を終え、ドリンクが揃ったところで乾杯をした。何に対する乾杯なのかは、全員が良く分かっていなかった。
「それで──何か分かったの、そっちは?」
紹興酒のグラスを片手に不田房が尋ねる。宍戸と桃野が一瞬視線を交わし、
「『底無活劇』の北海道公演はどうなるんだ?」
と宍戸が訊いた。不田房は大仰に顔を顰め、
「俺には何も分かんないよ」
「座長なのに?」
「座長はあくまで能世。俺は所詮代打だからね」
「でも」
ビールを飲み、パクチー入りの水餃子に箸を伸ばしながら鬼優華が小首を傾げた。
「後を任せられるっていう信頼があるから、能世さんからパスされたんやないんですか? 役柄も……座長としての仕事も」
「そうだといいなと思ってたんだけどね、俺も」
溜息混じりの不田房が、疲れた表情で眼鏡を外し、シャツの裾でレンズを拭く。
「
その場の雰囲気が、奇妙に凍る。
桃野さえも顔を強張らせ、沈黙する。
「株式会社ジアン──能世の所属事務所で、今回の『底無活劇』のプロデュースをしている会社だけど、そのトップが能世の元女房で傘牧場の俳優でもあった不動繭理で」
「首根っこを押さえられてる?」
宍戸の問いに、不田房は首を縦に振った。
いやな雰囲気だった。
「全部、不動さんが決めるんですか? 不田房さんには何の相談もせずに?」
「鹿野」
「おかしくないですか? 座長って、そんなに軽んじられていいものじゃないですよね?」
「鹿野、ありがとう。でも仕方ないんだ」
「仕方ない、の意味が分からないんですが」
「桃野くん、『
不田房の問いに、桃野が「読みましたよ」と応じる。
「だったら伝わると思うけど──『虚星墜つ』は
最後。重苦しい物言いだと、鹿野は思った。
「ヒロインは不動繭理、彼女の想い人にして実の父親役は灘一喜、そして狂言回し──『虚星墜つ』では本当に話を繋ぐためだけのピエロみたいなキャラクターだったんだけど、これを演じる予定だったのが能世本人でね」
「でも、灘さんは出演を断った」
「そう。理由は俺にも、たぶん能世にも分からない。それに灘はもうこの世にいない。灘が何を考えていたかは、誰にも分からない」
「……でも、『底無活劇』は上演されてる」
「鹿野?」
軟骨の唐揚げをひと皿ひとりで空にしながら、鹿野素直は唸った。
「封印されたはずの『虚星墜つ』が『底無活劇』と名前を変えて蘇っている」
「封印……そんな大袈裟なものじゃないと思うけど……」
「桃野さん!」
「はい!」
胡麻団子に手を伸ばしていた桃野が、ピッと背筋を伸ばして応じた。
「桃野さんは劇団傘牧場のオタクですよね? 大好きなんですよね?」
「そ、それは、そうだけど……どうしたの鹿野ちゃん急に」
「元劇団傘劇場の今メンバーがどこで何をしているのかとかって、どの程度知ってます?」
「えええ」
あまりにも急に話を振られた桃野が、シンガポールスリングの入ったグラスを手に困り果てた表情を浮かべる。
「能世さん……は『底無活劇』だけど、今は入院中でしょ。不動さんは土曜日の連ドラに出てるのと、あと娘さんの
「灘さんは?」
「え?」
桃野百が知る劇団傘牧場のメンバーを、鹿野素直は知らない。不田房栄治は語らなかったし、鹿野自身知る必要があると思っていなかったからだ。
「灘一喜さんは二年前に亡くなってる。その情報は、桃野さんの耳には入ってましたか?」
「……いや」
両目を大きく瞬かせ、桃野は途方に暮れたような口調で言った。
「そういえば……三年前までは能世さんの舞台を見に行けば灘さんが劇場にいるのが当たり前だったけど、急に、姿を見なくなって……」
「誰かが何かを、隠匿、した?」
「不動か」
宍戸が唸った。
だがいったい、何のために?
「そういえば思ったんだけど」
桃野が本当に、今急に思い出したとでもいうような口調で言った。
「石波小春さんの舞台、一昨日見に行ったんだけど……アートシアター・ムーンパレスのやつ」
「ああ」
鹿野には爆睡の記憶しかない。するりと自身の顎を撫でて、桃野は続けた。
「石波さんって、能世さんにはあんまり似てないんだよね」
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