第2話 中野区、シアター・ブーケ②

 戯曲『虚星きょせいつ』を読了した桃野もものももによると、一〇年以上前に書かれた『虚星墜つ』と今年上演されている『底無そこなし活劇かつげき』には、ストーリー展開としては然程大きな違いはないのだという。


「まあ……簡単に言うとロミジュリとオイディプス王を足して二で割ったような……?」


 泉堂せんどう舞台照明の精鋭たちによる灯体の吊り込みは無事に終了した。今、劇場内では音響・照明それぞれの技師たちが音と光のチェックを行っている。泉堂せんどう一郎いちろうも劇場内にいる。桃野、宍戸ししど優華ゆうか、それに鹿野かのはシアター・ブーケの楽屋に場所を移動していた。


「えらい簡単に言うんですね。ていうかロミジュリとオイディプスって、足せます?」


 きさらぎ優華ゆうかが小首を傾げる。


「俺だって能世のぜさんの作品をこんな簡単に纏めたくないよ! もっと熱意と愛を持って解説したい!」

「それどっちも今のところ必要ないので、要点のみで」


 火の点いた煙草を片手に宍戸が促す。シアター・ブーケの楽屋は、今時珍しい喫煙可能空間なのだ。


「はいはい……まあ、大筋はロミジュリですよ。家同士の対立によって引き裂かれる恋人たち」

「ふむ」

「で、『虚星墜つ』と『底無活劇』に共通する特徴としては──ヒロインの恋の相手かな」

「と言うと?」

「ここがちょっとオイディプスなんですけど、ヒロインは……『虚星墜つ』は時代劇だから賞金稼ぎ、『底無活劇』は西部劇風だから凄腕ガンマンっていう設定なんですが、どちらにせよ名家の出身でありながら放浪の日々を送っている。そんな中、窮地に陥ったヒロインを救ってくれた男に恋をするんだけど──」

「オイディプスってことは、その相手が父親?」

「そう、その通り」

「エグい筋書きやなぁ」


 自分の鏡前を整理しながら、優華が呆れたような声を上げる。


「うち、能世さんの舞台には呼ばれたことないし、見たこともあんまりないけど……そういう嫌な感じの作風なんですか? いつも?」

「いつもではないかなぁ。もっとコメディに振り切れてたり、あとホラー作品もわりとあるけど……ああ、台湾で上演したっていう『世界せかい番外地ばんがいち』は長編っていうよりは小ネタの寄せ集めみたいな楽しい戯曲で。学生演劇でも良く上演されてるね」


 劇団傘牧場のオタクを自認するだけあって、桃野の口調は滑らかだ。楽屋の壁に背中を付けて立つ宍戸、自分の鏡前に腰を下ろす優華、そして桃野と鹿野はそれぞれシアター・ブーケの支配人が貸してくれたパイプ椅子に座っていた。


「ただ、戯曲を拝読した限り登場人物たちのステージ上での振る舞いや、求められる演技は一〇年前と今回とでだいぶ変わっている」

なだ一喜いっきは、ヒロインの恋の相手を演じる予定だったのか?」


 宍戸が尋ねた。桃野は首を縦に振り、


「そう。で、この役──ヒロインの想い人にして家同士の諍いの相手、仇敵、更にはヒロインの実の父親というめちゃくちゃな役が『虚星墜つ』では主人公、『底無活劇』ではとしてそれぞれ描かれている」

「狂言回し……」


 思わず宍戸を見上げていた。宍戸もまた、鹿野を見下ろしていた。


「それ、不田房さんが今やってる役ですよね」

「うん。本来なら能世さんが演じるはずだった役……」


 手の中の戯曲をパラパラと捲りながら、桃野は眉根をぎゅっと寄せる。


「ヒロインと恋の相手は、最終的にどないなるんですか?」

「死ぬ」


 優華の質問に、桃野が即答した。


「死ぬんや。ロミジュリやったら、やっぱ心中?」

「いや」

「オイディプスだと息子が父親を殺しますけど……」

「そっちでもないんだよ鹿野ちゃん」


 名残惜しげな表情で戯曲を宍戸に差し出しながら、桃野は続けた。


「『虚星墜つ』ではヒロインとヒーローは親子でありながら恋人同士、仇同士である自分たちの感情を殺して、ステージ上で刺し違えて死ぬ。戯曲を読んだ限り……もう愛情はない。憎しみの中で死ぬ」


 エグ、と優華が小さく吐き捨てた。


「『底無活劇』では──父親役の存在を舞台上から徹底的に排除している……噂、台詞という形でしか語られないから、初見の人間……まあ僕も含めて観客全員がそうなんだけど……とにかく観客はクライマックスに至るまでヒロインがいったい誰を愛しているのか分からないまま物語が進んでいく」

「わかった」


 宍戸が口の端を僅かに歪めて、言った。


「能世、それに代役アンダースタディの不田房が狂言回しとしてクレジットされてるのはラストのどんでん返しのためか」

「そう。まあ今回は狂言回しは主演じゃないっていう能世さんの意図もそれなりにあるとは思うんだけど。それに加えて……『底無活劇』のクライマックスでは、狂言回し、即ち父親、それでいて恋人に当たる人物は既に亡くなっていると明かされる。観客はずっと、姿ってわけだ」

「狂言回しが、最終的にヒロインを殺すんですか?」


 鹿野の問いかけに、こうやってね、と桃野が手を伸ばす。


「血塗れで座り込む背後から首を絞めて──すごく美しいシーンだったけど……」


 ロミオとジュリエット。オイディプス王。

 運命の人は仇敵で、父親で、恋人。


『虚星墜つ』

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