第2話 中野区、シアター・ブーケ②
戯曲『
「まあ……簡単に言うとロミジュリとオイディプス王を足して二で割ったような……?」
「えらい簡単に言うんですね。ていうかロミジュリとオイディプスって、足せます?」
「俺だって
「それどっちも今のところ必要ないので、要点のみで」
火の点いた煙草を片手に宍戸が促す。シアター・ブーケの楽屋は、今時珍しい喫煙可能空間なのだ。
「はいはい……まあ、大筋はロミジュリですよ。家同士の対立によって引き裂かれる恋人たち」
「ふむ」
「で、『虚星墜つ』と『底無活劇』に共通する特徴としては──ヒロインの恋の相手かな」
「と言うと?」
「ここがちょっとオイディプスなんですけど、ヒロインは……『虚星墜つ』は時代劇だから賞金稼ぎ、『底無活劇』は西部劇風だから凄腕ガンマンっていう設定なんですが、どちらにせよ名家の出身でありながら放浪の日々を送っている。そんな中、窮地に陥ったヒロインを救ってくれた男に恋をするんだけど──」
「オイディプスってことは、その相手が父親?」
「そう、その通り」
「エグい筋書きやなぁ」
自分の鏡前を整理しながら、優華が呆れたような声を上げる。
「うち、能世さんの舞台には呼ばれたことないし、見たこともあんまりないけど……そういう嫌な感じの作風なんですか? いつも?」
「いつもではないかなぁ。もっとコメディに振り切れてたり、あとホラー作品もわりとあるけど……ああ、台湾で上演したっていう『
劇団傘牧場のオタクを自認するだけあって、桃野の口調は滑らかだ。楽屋の壁に背中を付けて立つ宍戸、自分の鏡前に腰を下ろす優華、そして桃野と鹿野はそれぞれシアター・ブーケの支配人が貸してくれたパイプ椅子に座っていた。
「ただ、戯曲を拝読した限り登場人物たちのステージ上での振る舞いや、求められる演技は一〇年前と今回とでだいぶ変わっている」
「
宍戸が尋ねた。桃野は首を縦に振り、
「そう。で、この役──ヒロインの想い人にして家同士の諍いの相手、仇敵、更にはヒロインの実の父親というめちゃくちゃな役が『虚星墜つ』では主人公、『底無活劇』では狂言回しとしてそれぞれ描かれている」
「狂言回し……」
思わず宍戸を見上げていた。宍戸もまた、鹿野を見下ろしていた。
「それ、不田房さんが今やってる役ですよね」
「うん。本来なら能世さんが演じるはずだった役……」
手の中の戯曲をパラパラと捲りながら、桃野は眉根をぎゅっと寄せる。
「ヒロインと恋の相手は、最終的にどないなるんですか?」
「死ぬ」
優華の質問に、桃野が即答した。
「死ぬんや。ロミジュリやったら、やっぱ心中?」
「いや」
「オイディプスだと息子が父親を殺しますけど……」
「そっちでもないんだよ鹿野ちゃん」
名残惜しげな表情で戯曲を宍戸に差し出しながら、桃野は続けた。
「『虚星墜つ』ではヒロインとヒーローは親子でありながら恋人同士、仇同士である自分たちの感情を殺して、ステージ上で刺し違えて死ぬ。戯曲を読んだ限り……もう愛情はない。憎しみの中で死ぬ」
エグ、と優華が小さく吐き捨てた。
「『底無活劇』では──父親役の存在を舞台上から徹底的に排除している……噂、台詞という形でしか語られないから、初見の人間……まあ僕も含めて観客全員がそうなんだけど……とにかく観客はクライマックスに至るまでヒロインがいったい誰を愛しているのか分からないまま物語が進んでいく」
「わかった」
宍戸が口の端を僅かに歪めて、言った。
「能世、それに
「そう。まあ今回は狂言回しは主演じゃないっていう能世さんの意図もそれなりにあるとは思うんだけど。それに加えて……『底無活劇』のクライマックスでは、狂言回し、即ち父親、それでいて恋人に当たる人物は既に亡くなっていると明かされる。観客はずっと、狂言回しの姿をした幽霊を見せられていたってわけだ」
「狂言回しが、最終的にヒロインを殺すんですか?」
鹿野の問いかけに、こうやってね、と桃野が手を伸ばす。
「血塗れで座り込む背後から首を絞めて──すごく美しいシーンだったけど……」
ロミオとジュリエット。オイディプス王。
運命の人は仇敵で、父親で、恋人。
『虚星墜つ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます