第8話 神奈川県、ススキ大道具株式会社

 数日後。間宮まみやカナメは横浜にあるススキ大道具株式会社を訪問していた。コオロギ透夏とうかにも一緒に行かないかと声をかけたのだが、


「俺ら、会っちゃいけないことになってるんですよね。警察命令で。間宮さんからよろしく伝えてください」


 と返された。


 ススキ大道具株式会社は、業界ではそれなりに有名な会社である。薄原カンジの祖父・薄原すすきはらさかえが現在のススキ大道具株式会社の前身となるススキ道具店を開業し、舞台演劇のみではなく、テレビドラマや映画の現場にも大道具を貸与、もしくは製作という形で関わるようになった。その後榮の長男であるかなえがススキ道具店を株式会社化し、名称もススキ大道具株式会社に変更。現在は榮の孫であり、叶の次男である幹次かんじ──薄原カンジが二代目社長として仕事を取り仕切っているのだという。

 訪問するという連絡は入れていた。身分も明かしていた。薄原カンジには、「株式会社つってもただの二階建ての家なんで。普通に玄関から来てください」と言われていた。

 手土産のフィナンシェが入った紙袋を手にチャイムを鳴らす。「はい」と応じるのは女性の声だ。


「ええ──カンジさんとお約束をしておりました、間宮と申しますが……」

!?』


 声は、急に途切れた。

 あまりにも急だったので、背中を冷たい汗が伝った。コオロギ透夏との面会がうまくいきすぎた反動かもしれない。ススキ大道具株式会社──薄原家では、間宮の想像していない何か悪いことが起きている可能性が──


「違うっ、ちがっ、待って、ふみちゃん! 違うからっ! ほんとに仕事の関係のお約束だからっ!!」

「嘘吐き! 浮気者! あーっやっぱり美人じゃん! ふざけんな! いい加減にしろ! もう別れる! 別れるっ!!!」


 間宮は、二階建ての薄原邸を囲む外壁の外に立っていた。チャイムもその場で押した。目の前には玄関があり──白い扉が勢い良く開き、小柄で丸顔、丸い瞳にゆるくカールしたオリーブアッシュの髪の女性が裸足で飛び出して来るのを、そのあとを半泣きの薄原カンジが追い駆けてくるのを、半ば茫然と眺めてしまった。


「おねえさんっ、カンジの浮気相手だよね!? カンジのバカッ!! 最低っ!!」

「いや私は……」

「文ちゃんやめて! 違うから! 今回はほんとに違うから! あのーっ間宮さんですよね!? 宍戸さんの友達の名探偵の間宮カナメさんですよね!?」


 門扉を開けて掴み掛かる──文と呼ばれた女性は胸ぐらを掴んだつもりなのかもしれないが、身長差のせいで間宮が抱き止める格好になった女性の背中を軽く叩きながら、


「探偵です」


 と間宮は応じた。「ほらぁ! 探偵さんだよぉ!」と文と同じく裸足の薄原カンジが、へにゃへにゃとその場に座り込んだ。「たん……てい……」と腕の中の文が丸い目を更に丸くして間宮を見上げた。可愛い。好みだ。


「はじめまして、私立探偵の間宮と申します。この度、イッセンマンシアター及び大阪の劇場コスモドロップで発生した舞台装置倒壊事故に関してお話を伺うためにお邪魔しています。これ、お土産です」

「探偵……!? ホームズ!?」

「そんな感じです。えっと……あなたが文、さん? で、そちらがカンジさん?」

「ああっ、どうしよう!」


 バッと間宮から体を離し、文が両手で顔を覆う。真っ赤になっている。

 可愛い。


「ごめんなさい、失礼なこと言っちゃった……本当にごめんなさい」

「良くあることです、お気になさらず」

「あの、カンジが大阪から戻ってきてから、女の人が何人も訪ねてくるから……」

「文ちゃん! それ以上言わないで!」

「当方、浮気調査も請け負っております」

「間宮さん! 勘弁してください!!」


 薄原カンジの悲痛な叫び声が、庭を越えて公道にまで響き渡るのを、間宮は少し笑いながら聞いていた。


 通されたリビングは、広かった。そして間宮を待つ人間も、多かった。

 薄原カンジと、婚約者の暮野くれのふみ

 それにカンジの両親──父親・かなえと母親・鷲美すみ

 更に祖父──さかえと、その腕の中に。加えてもうひとりの姿があり、間宮は取り急ぎその場にいる全員に名刺を配った。


「探偵さん! 初めて会ったわ。面白いお仕事ね、儲かる?」


 ──母親、鷲美。


「絶対絶対絶対浮気相手だと思っちゃったぁ……ごめんなさい……」


 ──婚約者、暮野文。


「全部カンジが悪いよ、文ちゃん。探偵さんも、ごめんなさいね。ご足労いただいたのにこんな大勢」


 ──父親、叶。


「私立探偵ってカッコいいっすね〜!! 儲かります?」


 ──見知らぬ若い男。誰なんだ。


「なんでおまえたちは儲かるかどうかしか聞かないんだ……いや、申し訳ない。今お茶を淹れてくるから、おい、一暉いつき、エマを……」


 ──祖父、榮。そしてエマという名の赤ん坊。


「おじいちゃんは座ってて! オレお茶淹れて……あっでもフィナンシェなら紅茶の方がいいかな? 探偵さん何飲みます?」

「おまかせで」


 ニコリと愛想笑いを浮かべつつ、間宮はだいぶ混乱していた。薄原カンジから情報を得るために自宅を訪問するに当たり、彼の親族や関係者に出会うかもしれないと思ってはいたのだが。


(大勢すぎる……)


 丸テーブルを囲んで、一暉いつきと呼ばれた若い男以外の全員が席に着く。間宮の右隣には榮、左隣には困り果てた様子で俯く暮野文。榮に抱かれたエマが、物珍しそうに間宮の横顔を凝視している。


「あのー……間宮さん、宍戸さんと透夏とうかからちょっと話聞いてます。例のあの、なんか、他人事っぽく言っちゃうんですけど、イッセンマンとコスモの件ですよね?」


 間宮が頷くより先に、「本当にどういうことなんでしょうね?」と真正面に陣取る叶が身を乗り出した。ススキ大道具株式会社の前社長。今は相談役として現場に出る機会は減っているそうなのだが、宍戸から聞いた話では、いっときの小劇場界に薄原叶の姿がないことはない、と言われるほど精力的に活動していたのだという。


「カンジがぶっ壊したんじゃないとしたらいったいどうやって……いやね探偵さん、私も見に行ってはいるんですよ『底無活劇』。せっかくだからって舞台裏も見せてもらって」

「ちょっと叶さん、あなたがベラベラ喋るところじゃないでしょ。探偵さんはカンジに会いに来たんだから」

「あ、そうか。ごめんごめん」

「お紅茶入りました〜!」


 めちゃくちゃである。


「ちょ……っと。整理させていただいても?」


 一暉と呼ばれた男が淹れてくれた紅茶をひと口飲み、それから間宮は切り出した。「どうぞ」と榮が穏やかに応じた。


「ここは、ススキ大道具株式会社の本社……兼、薄原家の皆さんがお住まいのおうちということで間違いない?」

「ええ」


 榮が頷く。


「私は……ええと、カンジさんが先ほど仰っていた宍戸クサリという人物に依頼されて、今回の事故について情報を集めている探偵なんですが」

「舞台監督の宍戸くんですね。それから、今日、探偵さんがいらっしゃるということもカンジ……孫から聞いています」

「そうですか……失礼ですが、榮さん。ススキ大道具株式会社を創設された方だと」

「ええ。まあ、私の代ではススキ道具店という名前で、大した商売にもなりませんでしたがね。それを、息子が」

「叶さん」


 間宮の真正面に座る、紅茶に大量の砂糖とミルクを投入している丸眼鏡をかけた五〇代ぐらいの男性。


「はい! 株式会社化は僕がやりました」

「カンジさんのお父様でいらっしゃる」

「そうです。こっちが妻です」

「ごめんなさいね、うるさくして」


 叶と──そのすぐ隣で微笑む鷲美すみ。叶は前線から退いているが、鷲美は現在も舞台監督として小劇場を中心に仕事をしているのだという。


「そしてカンジさん」

「はじめまして」

「と、婚約者の文さん」

「さっきはごめんなさい……」


 ここまでは整理できた。理解もできる。しかし。


「……一暉いつきさんは、何者なんですか?」

「あ! オレですか! 幹次の兄の一暉と言います。こっちは長女のエマ! よろしく〜!」


 何がなんだか分からない。ただ、名前を呼ばれたエマがにぱっと笑みを浮かべるのだけは、分かった。

 何度も脱色を繰り返したのであろう金髪を撫で付け、三日月のように細い目をしたカンジから話を聞く予定だった。だが、母親と婚約者に挟まれて座るカンジはいかにも居心地悪そうに俯き、鮮やかなタトゥーが入った腕を、指先をもじもじと絡めて口を開かずにいる。「イッセンマン……」と声を発した間宮に、


「訳が分からないですよね」


 と応じるのは、なぜかまたしても叶だ。


「私もあの劇場の公演には何回も関わっていますが、あんな事故は一度も」

「ありませんでしたか」

「ええ。扱いやすい劇場でね。どんなセットを組んでもきちんと応じてくれる。ですよ、イッセンマンは」

「こう……私は劇場というものあまり明るくないのですが、今回はステージを底上げした状態で上にセットを組んだと聞きました。そういうことは、珍しくない……?」


 薄原カンジから話を聞くのは一旦諦めた。息子よりも、目の前の父親の方が良く喋ってくれそうだ。


「珍しくはないですね。なあ鷲美」

「探偵さん」

「あ、間宮です。カナメでもいいです。呼びやすいように、ぜひ」

「それじゃ……間宮さん。叶さんの言う通り、イッセンマンは扱いやすい劇場です。ただ劇場自体が少し古いせいで座席の傾斜が足りなくて、最近の公演では見やすさに重点を置くためにステージに手を加えることも多くなってます」

「なるほど」


 指先で顎を撫でた間宮に、


「と、いうことなので……あと、ドロップ、大阪の方ですけど、あっちはステージの底上げはしてないんです。比較的新しい劇場なので、手を加える必要もなくて。透夏から聞いてるかもですが」


 ようやくカンジが言葉を発する。文がじっとりとした目付きで彼を睨んでいるのが少々気になるが、


「透夏さんは、東京、大阪のどちらも偶発的な事故ではないと言っていました。カンジさんはどう思われますか?」

「偶然あんな事故が起きるんじゃ、もうセットなんて組めないですよ」


 榮の声だ。エマの背中を優しく撫でながら、


「孫を庇うつもりはありません。だが、先ほど息子も言っていた通り、イッセンマンは良い子……安定したセットを組むことができる、稀有な劇場です。セットを組むに辺りカンジから、それに今回の舞台監督を担当していたコオロギくんからも相談を受けました」

「!」


 紅茶を飲もうとした手が止まる。ということは、つまり。


「事故を起こした者がいるとしたら、容疑者はカンジとコオロギくんだけじゃない。、ということになりますな」

「……それはそれは」


 緊張が解ける。今は、気を張っていなくてはいけないというのに。


「参ったなぁ……」


 ススキ大道具株式会社の関係者が総出でセットの倒壊を前提に動いたのだとすれば、犯人を絞り込むのも容易いだろう。だが。


「いや……本当に参った」


 手元の紅茶をひと息に飲み干し、間宮は笑みを浮かべた。完敗だ。


「それでは、せっかくですのでこの場にいらっしゃる全員にお尋ねします」


「この中に、『底無活劇』の舞台装置倒壊を目論んだ方はいらっしゃいますか?」

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