第7話 埼玉県、コオロギ透夏邸

間宮まみや、一応言っておくが」


 落ちた沈黙を破ったのは、宍戸ししどクサリだった。アイスコーヒーのグラスを片手に、


「舞台監督コオロギ透夏とうか、大道具担当薄原すすきはらカンジ。このふたりが舞台の破壊に関与していたっていうなら──」

「そのふたりは何も関係ないよ」


 関与していたっていうなら、の先の言葉が、鹿野は少しだけ気になった。俺はふたりを許さない? それとも、あのふたりが舞台を破壊するような業界そのものが信用できないから、舞台監督を──

 想像は自由だ。そして間宮が宍戸の言葉を遮った今、「関与していたっていうなら」の先を聞くことは永遠に叶わない。


「警察にもじっっっっっっくり取り調べされたみたいだから、今更探偵となんて喋りたくないかと思ったんだけどね。思いの外歓迎してくれたよ」

「会ったんですか?」


 思わず尋ねた鹿野に、間宮は小さく頷く。


「まあ……こんな言い方はしたくないけど、現状コオロギ氏も薄原氏も『底無活劇』ツアーからは外れて謹慎状態みたいじゃない。だからそれぞれの公式サイトからメール送ってコンタクト取ってみたんだけど──」


 私立探偵・間宮カナメは、まず、舞台監督であるコオロギ透夏の自宅を尋ねた。東京都と埼玉県のちょうど狭間、住所としては埼玉県に住んでいる透夏は、宍戸の知人を名乗って尋ねてきた女探偵を歓迎した。


「散らかってて申し訳ないですが、どうぞ」


 と、通された部屋はこれ以上もないほど整頓されていた。コオロギ透夏──本名は菅原すがわら透夏とうか。宍戸より幾つか年下の舞台監督だ。フルネームで検索をかけると、経歴は簡単に確認できる。宍戸とは異なり、どちらかというとそれなりに規模の大きな公演の舞台監督として活躍しているようだ。


「散らかってませんね」


 勧められるがままに座布団に腰を下ろした間宮に、麦茶のペットボトルを手渡しながら透夏は笑う。


「普段は散らかってるんですよ。今は……探偵さんだからご存じでしょ? 謹慎中で、暇で」

「その件」


 周りくどい物言いをするつもりは、端からなかった。透夏とて同じ心境だろう。警察の取り調べに続いて、私立探偵。

 『底無活劇』の上演中、舞台上で発生した事故について。


「倒れた書き割りの件ですよね」


 浅黒い肌、短い眉、細い目。金縁のスクエア型の眼鏡を掛けた透夏が、じっと間宮を見詰める。


「間宮さんに調査を依頼したのは、宍戸さんですか?」


 玄関口で名刺を渡してはあった。その名刺を座卓の端に置き、透夏が尋ねる。口の中からちらちらと覗く舌には、銀色の丸いピアスが輝いている。両耳にもじゃらじゃらとたくさんの金属が光っていて、


「その……ピアス。周りに引っかかることとかありませんか?」

「え?」

「あ、すみません。調査には何も関係ないですね。気になっちゃって」


 ペットボトルの蓋を開けながら、間宮は眉を下げる。本当にどうでもいい質問をしてしまった。加えて、このペットボトルは未開封だ。

 鎖骨に届くほどの長さの黒髪をかき上げて右手で右耳を撫でた透夏は、「意外とないですね」と応じた。


「仕込みの際には髪も縛りますし、ピアスも全部こういう……揺れるタイプじゃないのに付け替えますし」

「なるほど〜」


 コオロギ透夏。舞台監督としての仕事ぶりに加えて、『イケメンすぎる舞監』として人気を集めている存在だ。彼のファンが集うSNS上のサークルでは、「透夏さんがわざと事故を起こすはずがない」「濡れ衣だ」「透夏さんのための署名を募る」というようなファンの発言を大量に確認することができた。

 座卓を挟んで、間宮の正面。使い古した格子柄の座布団の上にあぐらをかいた透夏は、手元に置いたコーヒーのペットボトルの蓋を開ける。


「宍戸さんにも心配かけちゃって申し訳ないな。まあ、疑われるのも無理ないですけど」

「失礼ですが、コオロギさんの参加する舞台って宍戸さんが関わってるものとは規模がかなり違いますよね? いったいどこで知り合いに……?」

「ズバズバ訊くなぁ」


 と舌ピアスを見せて笑った透夏は、


「そんな広い業界じゃないし、俺だって別に小劇場に入ることだってありますよ。最初はいつだったかな……三年ぐらい前かな? 感染症で延期延期になった公演がようやっと上演できることになって、その時、宍戸さんがヘルプで入ってくれて」

「へえ」

「あ、信用してない顔ですね? まあ無理ないか。もともと、俺が入る予定じゃなかったんですよ、別の舞監の予定だった。それが──まあ、亡くなられて。その人が。感染症で」

「……疑ってるわけじゃないです。続けてくださいな」

「かなり年上の人でした。俺的には師匠、みたいな。それで、せっかくの上演の機会を逃すわけにはいかない、自分に何かがあったらコオロギにあとを任せる──ってそれが遺言。会場は……ああ、イッセンマンか」


 不意に何かに気付いたような表情になった透夏が、カラーボックスに収納されていた紙の束に手を伸ばす。座卓の上に置かれたのは、パンフレットだ。


「イッセンマンシアター主催公演……」


 呟く間宮の顔をじっと見ながら、「嫌な偶然ですよね」と透夏は唸る。透夏の許可を得てパンフレットを手に取り、パラパラと捲る。スタッフ欄には『舞台監督:コオロギ透夏』の名前。そして最終ページに、『艸壁くさかべ由一ゆいちに捧ぐ』と書かれている。艸壁、というのが透夏の師匠に当たる人物なのだろう。


「俺の師匠が関わる予定だった公演の代打の会場が、イッセンマンシアター。俺はまあ……今のこの仕事に就いて一〇年ぐらいになりますけど、デカめの劇場に関わるようになったのは三年前からです」

「宍戸がヘルプで入ったという話ですが、経緯は?」

「舞監歴は俺の方が長いすけど、人生経験は宍戸さんの方が多い。宍戸さんは俺の師匠とも知り合いだったし、何かあったらコオロギを助けてやってくれって遺言が行ってたみたいで。あの時の舞台は『底無活劇』と違ってかなりゴチャついてましたからね。舞台上の転換も多かったし、黒子が何人いても足りないような状態だった。それに」


 言葉を切った透夏がアイスコーヒーを口に含む。数秒の沈黙。


「遺言を受け取ったとはいえ、気持ちとしては俺も喪中みたいな状態だった。冷静じゃなかった。だから、宍戸さんがいなかったらあの舞台を最後までやり抜けなかったと思う。感謝してます」


 再度の沈黙。透夏は間宮の言葉を待っている。間宮は指先で橙色の髪を払い、言った。


「分かりました。では質問です。コオロギ透夏さん──プロの舞台監督のあなたから見て、イッセンマンシアターで発生したセット倒壊事故。アレ、なんだと思います?」

「人為的なもの」


 即答だった。

 小首を傾げる間宮に真っ直ぐな視線を向け、透夏は断言した。


「ただ、言い訳だと思わないで聞いてほしいんすけど、俺と薄原カンジは一切関与していない」

「舞台装置の責任者は、あなたと薄原カンジさんだ」

「その通り。だから腹立つ……本当にムカつく」


 声が少し荒くなる。透夏の目尻がキッと釣り上がっているのが分かる。


「仕込み図を読み解ける、且つセットをどうやって組み立てたのかを知ってる人間にしか、壊せない」

「……怒らないでくださいね。あなたと薄原カンジさんは、その両方の条件を満たしている」

「怒りません。でもひとつ」


 長い人差し指を立て、透夏は言った。


「仮に俺とカンジが犯人だったとして……あの書き割りはたったふたりで倒すことができるほど柔じゃない。重みもあるし、こういう事故が起きないようにありとあらゆる手段を駆使して立てたものだ。……倒すとしたら、ひとりふたりじゃ無理。協力者が必要になる」


 宍戸から諸々の調査を依頼された際、舞台セットが頑丈だったという話は間宮も聞いていた。観客の目線の高さに合わせて木材を使用してステージの底上げを行い、書き割りはその上に設置されていた。書き割りの重さに耐えかねてステージが歪み、書き割りそのものが舞台上にいた能世春木の上に倒れ込んだ──というのが報道に乗せるための建前だったのだが。


「コオロギさん」

「はい?」


 これ、と間宮は麦茶のペットボトルを揺らして見せる。


「新しいの出してくれてありがとうございます」

「いえいえ。俺、わりと一服盛られるタイプなんですよね。間宮さんもハンサムだから、そういうの気を付けて」


 ようやく屈託なく笑う、コオロギ透夏に絆されたわけでは決してない。


 だが、セット倒壊事件は罷り間違っても幽霊や悪霊などの仕業ではない。鹿野素直や不田房栄治が目撃した、翡翠の指輪を嵌めた手と、『底無活劇』のセット倒壊事件は根底では繋がっているのかもしれないが──


(でも一旦は、無関係)


 それが探偵・間宮カナメの出した結論だった。

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