第9話 新宿区、泉堂舞台照明

「探偵としての間宮おまえの結論は?」


 宍戸の質問に、


「コオロギ透夏も薄原カンジ……薄原家も無関係でしょ」


 間宮はあっさりと応じた。


「でもまあ、犯人探しのヒントぐらいにはなったんじゃない?」

「確かに」


 宍戸が鹿野の肩を押して、ふたりはテーブル席に移動した。カウンター席には間宮と不田房が並んで腰掛けている。


「『底無活劇』の舞台部には何人ぐらいの人間が参加したの?」

「それなぁ」


 と、宍戸が上着のポケットから四つ折りにされた紙を取り出す。『底無活劇』のチラシだ。


「チケット発売前に撒かれたチラシには、舞台監督コオロギ透夏、それに大道具協力薄原カンジとススキ大道具株式会社の名前しか入ってない」

「パンフには?」

「俺の記憶だと」


 不田房が口を開く。


「株式会社ジアン舞台班、としか書いてなかったと思う」

「不田房さんの記憶は正直アテにならないですが、私も同じ文面を目にしました」

「鹿野!」


 なるほどねー、と手元のコーヒーカップを空にした間宮が呟いた。


「じゃあもう、絞り込んじゃっていいんじゃない?」

「つまり?」

「やあねえ、宍戸クサリさん。もう分かってるでしょ」


 橙色の髪をさらりと揺らし、間宮カナメは軽薄に笑った。


「株式会社ジアン舞台班が。指示を出したのは──株式会社ジアン内の誰かさん」

「……」


 不動ふどう繭理まゆり

 鹿野、宍戸、不田房の脳裏には、同じ女性の顔が浮かんでいた。


 ──翌日。

 鹿野素直は、有限会社泉堂せんどう舞台照明を訪ねていた。不田房栄治は『底無活劇』の稽古場に。宍戸クサリは今回の『底無活劇』とは何も関係のない公演の仕込みのために劇場入りしていた。鹿野も、午後からは劇場に移動する予定だった。


「えーっと、台湾、台湾……懐かしいなぁ、まだ二〇年は経ってないか」


 クリアファイルや大量の紙の束、それに無数の戯曲が無造作にぶち込んである書棚を漁りながら泉堂せんどう一郎いちろうが言う。


「大学生の卒業公演に同行して海外に行ったのなんて、あれが最初で最後だからなぁ」

「意外ですね。泉堂さん、もっといっぱい誘われてるかと思った」

「誘われてるさ。でも時間が合わないんだよな」

「あ、そっちの意味ですか」


 泉堂が書棚から取り出す紙の束を受け取りながら、鹿野はへにゃりと笑う。泉堂一郎は売れっ子の照明プランナーで、技師だ。ひとつの公演のために海外に行く時間は、大ベテランとなった今ではあまり取れないのだろう。


「これか。『底無活劇』──じゃなくて、『虚星きょせいつ』」

「わっ! すごい、本当にあるなんて!」

「俺は不田房と違って溜め込むタイプだからな。一〇年やちょっと前の戯曲だったらまだ持ってると思ったんだよ」


 はい、と改めて手渡され、鹿野は不覚にも高揚していた。これが問題の、なだ一喜いっきが主演をつとめる予定だったという幻の戯曲。現在上演されている(休演状態ではあるが)、能世春木最新作、『底無活劇』の前身ともいえる作品。


「泉堂さんの手に渡ってるっていうことは……」

「能世は、ギリギリまで灘主演でやりたかったみたいだな。それが急遽別の戯曲に変更になった。俺はその別の戯曲……ああこれ、『世界せかい番外地ばんがいち』か。台湾公演の時点で再々演……もっとか? 五回目ぐらいか? たしかそんな感じで、俺は再演から参加してたから特に問題はなかったんだが」

「『虚星墜つ』……ちょっと読んでもいいですか?」

「ああ。座りな、コーヒー持ってくる」

「ありがとうございます」


 午前中の仕込みに参加せずに泉堂舞台照明を訪ねたのには、理由があった。劇団傘牧場の最後の公演、台湾への遠征に参加した泉堂一郎ならば、『底無活劇』の元ネタでもある作品の戯曲を所持しているのではないか、と宍戸が言い出したのだ。

 泉堂の言葉に甘えて丸椅子に腰を下ろし、『虚星墜つ』の表紙を捲る。まずはタイトル、それから『作、演出 能世春木』の文字。更に登場人物一覧が続き──そこにはたしかに、灘一喜の名前がある。どうでもいい話だが不田房栄治の名前も確認できた。

 最新作と銘打たれた『底無活劇』の内容を鹿野はよく知らないので、戯曲を読んで比較することはできない。だが午後、泉堂舞台照明チームが灯体──劇場用照明器具を持って移動する際にこの戯曲を持って行って宍戸、それに前回の仕事の際に同じ現場にいた演出家の桃野もものももに確認してもらえば、何かが分かるかもしれない。桃野百は劇団傘牧場のファン──というかオタクで、世代は違えども傘牧場関係のさまざまな品物を手元に置いている。確認したところ『虚星墜つ』の戯曲は所持しておらず、『底無活劇』は一度目の事故が起きたあとにイッセンマンシアターに観劇に行ったという。「能世さんのバージョンが見れなかったのは残念だけど、不田房さんの芝居を見れたのはラッキーだったな!」とSNSに呑気なコメントを流していたが──


「すみません、どなたかいらっしゃいますか」

「ん?」


 両手にコーヒーカップを持って、泉堂が書棚の方に戻ってくる。そのタイミングで、澄んだ声が泉堂舞台照明の持ちビル一階に響き渡った。


「失礼します──どなたか」

「あ……」

「誰だ?」


 鹿野は声の主を知っていた。泉堂は、気付いていないようだった。

 黒いトートバッグを肩から提げた石波いしなみ小春こはるが、濡れたビニール傘を手に立っていた。


 気付いていなかった。外は豪雨だ。

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