第7話 新大阪発、東京行き新幹線、臨時停車駅
実際に急病人は存在したらしい。停車した新幹線を、救急隊が待ち受けていた。運行を再開するまでにはしばらく時間がかかるらしく、『底無活劇』の出演者・スタッフらもホームに出てストレッチをしたり、駅のトイレを借りに走ったりとそれなりに自由な時間を過ごしていた。
「不田房さん」
「あいよ」
呼びかけてきたのは、舞台監督代理の
「スマホ、使えます?」
「あ?」
「ここ電波悪くないです? 東京の連中に新幹線が遅れてる──ってLINEしようとしたんですけど、全然送信完了にならなくって」
「ああ……」
先ほどの通話を思い出す。コオロギ
疲れていた。
「さっき……急病人がどうとかってアナウンスが流れる前に透夏くんから連絡があったんだけど」
「え! 何か言ってました!? っていうかあいつ大丈夫なんですか?」
「ああ、疑いは晴れたらしい。まあ当たり前だよな。透夏くんにも
「で……すよね。良かったぁ。俺コオロギとは結構長いんですよ、それこそ専門学校の時からで。だからあいつがそんな……あんな事故引き起こすなんて想像もできなくって」
心底ほっとした様子の王城の言葉を、不田房は完全に聞き流している。
灘のことを考えていた。
灘一喜。もうこの世にはいない男。
王城とコオロギ透夏が同じ専門学校に通っていたというのは初耳だ。そしてこの物言いから察するに、ふたりは仲が良いのだろう。コオロギ透夏が現場を離れてすぐ、王城が『底無活劇』の舞台監督代理として一座に加わった。他でもない、コオロギ透夏本人が手回しをしていたのだろう。信用できる友人として。
不田房には、そんな友人はいない。いや、今はいる。現在進行形の不田房栄治には信用できる友人兼教え子であり、最高のビジネスパートナーである演出助手
だが。学生時代。
まだ劇団があった頃。『劇団傘牧場』は決して、演劇好きが集まって和気藹々とした雰囲気で始まった集団ではなかった。
あの頃、世界の中心には
戯曲も演出も配役も、それに正式に劇団所属となる劇団員も、全部能世の意向で決まった。当時の不田房は演劇そのものにはそれほど興味がなかったけれど、上背があり、声が良く通り、それに何より、
『顔がいい。舞台映えするツラしてる』
それが決め手となって、若き日の不田房栄治は劇団傘牧場のメンバーとなった。不田房栄治は当たりくじを引いたのだ。能世春木に手を取られるのを待っている人間は、大学内外に腐るほどいた。能世は魅力的な男だった──どこがどのように、と問われると今の不田房には良く分からなくなってしまうけれど。才能に溢れていた。誰もがその、能世春木という大輪の花から滴る蜜のおこぼれに預かろうと必死だった。
大学を卒業できたのはほとんど奇跡だ。劇団傘牧場に所属してからの不田房は、演劇ばかりやっていた。不田房のファンだという人間も多くいた。ファンに手を出したこともある。悪いことはそれなりにやった。咎められたことはない。なぜなら不田房は、能世春木率いる劇団傘牧場のメンバーだから。
何をしても許されていた。
(──灘)
「ええの? あれ」
大学構内を堂々と腕を組んで歩く──能世春木と、当時の恋人でその後結婚相手となる女性俳優・
「浮気やん」
「栄治くんは真面目だね」
咥え煙草の不田房の傍らで缶コーヒーを飲みながら、灘はひっそりと微笑む。不動繭理が大輪の真っ赤な薔薇だとしたら、灘一喜は年に一度、夕方から夜にかけて静かに開花し朝には萎んでしまう、月下美人のような美しさを持っていた。──と最初に言ったのはもちろん不田房ではなく、劇団傘牧場に所属している誰かだった。誰だったかは忘れた。
不田房には灘の美貌が正しく理解できていなかった。
「俺は、いいの、今の感じで」
うたうように灘は言う。
「能世は、繭理ちゃんとずっと一緒には居られない。俺は能世に必要とされてるんだ」
「はーん……?」
灘の美貌だけではない。発言も、まるで理解できなかった。
二番手でいいのか。いやもしかしたらもっと下かもしれない。能世は違う学部の人間たちとも交際していたし、劇団を通して知り合った愛人も何人もいるという噂が
(灘)
なぜ死んだ? あの胡散臭い情報屋も言っていた──「ひとりの人間の死を二年間隠匿した人間がおる、て考えるんが妥当やない? 赤の他人ならまだしも、知り合いやったんやろ?」──まずはそこからではないのか?
新幹線が間もなく出発するというアナウンスが流れている。エコバッグに大量の飲み物と弁当を放り込んだ桔梗が駆け足で座席に戻ってくる。
スマートフォンを確認する。表示は未だ圏外のままだ。
「不田房、食べます?」
桔梗が差し出す弁当を「ありがと」と言って受け取った。
東京に戻ったら、──帰宅より先に、やらなくてはならないことがある。
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