第16話

ーーーー


「起きろ、死刑の時間だ」


私はその言葉に目を覚まされた。

正確には、その言葉と共にかけられた冷たい水によって、私は深い眠りから覚まされた。


私はあたりを見回す。付近は石畳で覆われた薄暗く寒い部屋だった。

さながらそこは牢獄で、私の腕には手かせが付けられていた。


「いったいこれはどういうことだ?」


私は水桶を持った汚い小男に問うた。

男は振り返る。


「言っただろう?死刑の時間だって。今日は16日だ。貴族が一堂に会す祭典で、裏切り者を見せしめに殺すのさ」


私は突然の事で一瞬当惑したが、女王の命を風呂場で狙った事を思い出した。

それならば納得だ。私はつくづく、後先を考えられない男だと反省した。


このままでは処刑されてしまう。しかしこう、手かせ・足かせが付けられていたのでは身動きが取れない。

処刑場は外だと言っていた。隙を見て、脱出する手段を探さなければ。


部屋の隅には別の囚人が居た。ボロボロだが、着飾った貴婦人と若い男性。そして子供だ。

彼らは皆同じ紋章が刻まれた服を着ていて、ひそひそと泣いていた。


看守の小男が言う。

「ありゃあ、バザロフ公の家族さ。なんでも、公が反体制派と通じていたらしく見せしめに殺されるのだと」


彼は淡々と告げた。

私は適当に相槌を打ちつつどうにか逃げ出さねばと、その周りを目を凝らして見る。

ここは隙間風がだいぶ寒い。石畳の間からひゅうひゅうと吹雪いてくるものだからたまったものではない。


そのまま暫く私が部屋の中で何か道具がないかと見回していると

おもむろに小男が立ち上がって、「そろそろ時間だ」と言った。


間もなく、部屋の奥の扉が開いた。看守はそれを見てぴっしり背筋を伸ばして現れた人物に敬意を示した。


私はそちらを向いて、眩しさに目を細める。

遠目に見たその立ち姿はだいぶ小さいように思えた。


その人物は足を広げて堂々と闊歩している。

看守より高位の人間のようだ。


「これがバザロフ公の一族か」


「はっ」


「娘と子供は縛り首。男は打ち首にしろとの命令だ」

入って来た騎士風の装いをした人物は処刑の命令を看守に伝えている。声から察するに、若い女性のようだ。

私は下げていた顔を恐る恐る上げて、その様子を確かめた。


ウェーブの掛かったポニーテールのおさげが特徴的な彼女には見覚えがあった。この間の風呂場に付き添っていた女王の小姓だ。

どうやら向こうも私に見覚えがあったようだ。


彼女は私の姿を認めるとずかずかと歩いてきて、私の髪を突かんだ。

そしてそのまま地面に叩きつけるとヒステリックに叫び散らした。


「貴様!!!客将の身でありながら、アークウェット様に牙を剥いたな!!!この痴れ者め!!くたばれ!!」


彼女はそう言って、手足の縛られた私の体に向かって何度も蹴りを放った。


「畏れ多くも女王様の居館に、それも浴室の中にまで・・・!!ああ恨めしい・・・!!獣め!!死ね!!」


それでは飽き足らず彼女は私の頭を殴打し、暴言の限りを尽くした。

私は歯を噛みしめてそれを耐えた。


「おやめください!ユリア様!」

やがて、式典の見世物を壊されてはかなわないと看守が彼女を羽交い絞めにして止めた。


小姓の女は鼻息を荒くして、私に暴言を吐く。

恐らく、彼女は女王に心酔しているのだろう。その怒りも至極納得がいく。


「こいつはできるだけ苦しめて殺せ。水責めか、八つ裂きにしろ」


「しかし、命令では打ち首と・・・」


「いいからやれ!!!」

彼女は私を指さして、処刑人に告げる。

さながら暴君のように彼女は振舞った。


小姓に選ばれるほどの者なら、高貴な出自で様々な能力に秀でているに違いない。

しかし、彼女の振る舞いからはそういった魅力は一切感じられなかった。


私は何とか身を引き起こし、牢の中に腰かけた。

そして、処刑場に引き出される瞬間を狙って脱出しようと決めた。


ーーー 同時刻、オストロルド市街地西 反体制派拠点


革命派の首班たちは16日に決行される革命の為に、ここオストロルドに集結していた。


封建制を破壊し、かつての宗教と王家を取り戻す。それが彼らの目的であった。

大貴族を中心に、多数の貴族が賛同したため勝算はあると踏んでいたが

その肝心の協力者であるバザロフ公が女王に露見し殺害されてしまった。


彼らは今、クーデターを決行するか否かの是非を迫られている。


彼らの軍と賛同する小貴族軍を合わせても市街に投入できる兵力は1200人ほどだった。

相手となる女王直轄軍はオストロルドだけで3000名。加えて、親衛隊は1400名。


圧倒的に不利な状況に幹部たちは、決行を断念しようと意見し始めた。

だがしかし、この運動のリーダーである”姫”ことアリーナ・アガフォーノヴナ・マスリュコヴァは未だに作戦中止の命令を出さなかった。


「この状況では、戦力的に圧倒的不利!それに、こちら側の兵士はほとんどが素人同然です。親衛隊は全員が戦士!!

これでは頼みの貴族軍もやってくるかどうか・・・」

幹部たちは口々に不安を打ち明ける。


姫は目を閉じて押し黙っている。革命派の人間はごくりと唾を呑みこんで彼女の判断を待つ。

やがて、彼女が何か言おうとしたとき、突如として伝令が走りこんできた。


彼は絶え絶えない息で、報告を申し上げた。

「北西・・・北西方面から・・・・アッテンボロー卿が・・・2000名の兵を率いて、この都市へ向かっているようです」


その報告に、幹部たちは騒然となった。


「何、まさかこの革命に参加する気か?」


「ありえん!!きっと女王に、我々を突き出す気だ!!急いでここを離れましょう!!」

彼らは狼狽えて、姫の方を見る。


彼女はゆっくりと目を開き、一言だけ「ゆきましょう、我々の故郷を取り返します」とだけ言った。


幹部たちは目を丸くした。

一部は「アッテンボローの様な打算家がリスキーな選択をするはずが無い!!姫!!命令を取り下げてください!!」と激しくその決断を非難する者もあった。

しかし、彼女はそう言った声も無視して、堂々と覚悟を決めて席を立った。


「私は、此処に来るまで何人もの仲間の命も失った。もしこの機会を失ったら、私はさらに大きな犠牲を何時になるかわからない次の機会まで払い続けなければならない。

我々が失った者は多すぎる、あまりにも。私は決めたぞ・・・・私は決めた!!今、この瞬間から私は!このロルドの女王だ!!」


彼女はローブを取り払ってそうやって宣言した。

幹部たちはそれを聞いて、皆呆気にとられた。

しかし、もはやそれ以上反論する者は居なかった。


「女王万歳!!ロルド万歳!」

一人の兵士が叫ぶ。


皆は最初、その声に振り向いて凝視しているだけだった。

しかし、段々とそれを真似する者が現れやがては部屋を包み込む大歓声となった。


アリーナはそれを見て少し泣きそうになった。

かつて先祖が見た王宮の景色と、ロルドの人々。

そして何よりその過程で命を落とし、ここに立てなかった者の顔を回顧し、彼女は感極まってしまった。


「ゆくぞ!!」


彼女は涙を払うと手を掲げてその拠点を出た。

おお!!という歓声が、寒空の下に雄々しく響いた。




ーーー 王城前 大広場 特設式典会場


間もなく、処刑人達が私の肩を曳いて外へと引きずり出した。


私たち罪人は腕を縛られ、城壁の上を歩かされた。

そこからは、広場が見下ろせた。


下には市民たちと、貴族たちが集って我々罪人を見つめていた。

一番高い壇上の貴賓席に、3人の公爵に挟まれる形で女王は堂々と鎮座している。

表向きにはウラジンスキが国王となっている為、彼女はあくまで上級貴族の一人として振舞っていた。


会場にはリンドバーグとノルドの旗が翻り、空はあいにくの天気だった。

私はふと、立ち止まってそれをじっと眺めた。


「進め、罪人が」

後ろから甲高い女性の声がした。彼女はさっきの小姓だ。


「お前はバラバラにして臓器は妻に送り届けてやる。神聖不可侵な女王陛下の裸体を覗いたのだ、貴様は生きていてはいけない・・!」

彼女は私の耳元で、高圧的に言い放った。


まもなく、処刑人が大声で罪状を読みあげ始める。

どうやら階級順の様で、客将だった私が一番最初に殺されるらしい。


私は何かないかと先ほどから機会をうかがっていたが、私の後ろにぴったりと付いている小男が抜き身の刃を私に向けているうちは下手なことができない。

そのまま私は処刑台に進まされた。


机の上に馬と結ばせた縄が4つ置かれている。私はそれを見た瞬間に、八つ裂き刑だと判った。


何か、何かないか。このまま死んでなるものか!

アッテンボローは来ないのか?誰か!


私は焦った。しかし機会は終ぞ訪れそうにない。


「もはや、これまでか」


私は覚悟を決めて、瞼の裏に走馬灯を見た。

真っ先に浮かんだのは故郷の景色。そして何より、妻の事。


まだ子供もこの腕に抱いていない。


いや、まだ死ぬわけにはいかない。私は使命を果たしていない。それに妻は今、教皇の人質にされている。

私が死んで、誰がそれを助けられる?


そうだ、私はまだ死ねない。死なない!!


私は再び意気を取り戻し、目を開けた。

そして腕に縄を掛けられるその寸前まで頭を巡らした。

神よ、我をお助け下さい。棒一本あれば、彼らを倒して見せます。

ですから何か・・・一瞬の隙を。


その時、まばゆい光を私は群衆の中に見た。

最初はそれが目の錯覚か何かだと思った。

しかし、どうやらそうではないらしく周りの処刑人もそちらに目を向けて、眉を潜めている。


私はその光に見覚えがあった。

何故ならその光で殺されかけたから。

そうそれは、あの”姫”の魔術だ。



次の瞬間、その光は雷のように音を立てて発射された。

そしてその光弾はまっすぐ、女王の座る貴賓席に直撃した。


会場に爆発音が響く。場内は混乱に陥った。

貴賓席は吹き飛び、火災が起こっている。


間もなく煙が晴れる。


そこに座っていた3人の公爵は席と同じように吹き飛ばされて粉々にされたらしい。

周囲の馬回りや、侍女も同じように肉片となった。


だが女王は、平然と魔術でその攻撃を受け流して立っていた。

むしろ、その魔法に興味を持ったのかニヤリと笑って、広場の方へ歩みだした。


一方の姫は必殺の一撃を外した事を悔やみつつも、すぐさま部下たちに攻撃を命令した。

「革命を開始する!!全員突撃!!」


彼女の掛け声に、市民の中に隠れていた兵士たちが一斉に武器を取り出して襲い掛かる。


「親衛隊前へ!!反徒を許すな!抜刀し突撃せよ!」

それに対し、ウラジンスキがすばやく親衛隊に命令した。

そして付近の親衛兵たちは向かってくる反乱軍に対して斬りかかった。


もはや、式典は完全に破壊された。広場と市街は大混乱となり、間もなくそこは戦場となった。


親衛隊のクロスボウ部隊が逃げる市民たちごと反乱軍を撃つ。

それに負けじと、反乱軍も家々に火をかけて回った。




もはや処刑どころではない。

私はその混乱に乗じて、小男からナイフを奪った。そしてそのまま手かせで処刑人を殴って気絶させた。

倒れた彼から直剣を奪う。その剣で私は腕の縄を斬った。



「待て!!逃がしはせんぞ・・・!!」

激しい声が私を背後から制止させた。


私は剣を構えて、そちらに振り返った。

そこには目を獣のようにぎらつかせて、エストック(細身の刺突直剣)を構えた小姓の姿があった。


「教会騎士だかなんだか知らないが、ここで死んでもらう。こちらには精鋭の馬回りが付いている。お前の死に場所はどのみちここだ」


彼女は意気揚々とそう言った。馬回りというのは、恐らく彼女の後ろに控えるフルプレート(全身を覆う高価な板金鎧)の重装騎士の事だろう。

勇猛な親衛隊の中でもさらに精鋭の馬回り。彼らは”ドルジーナ”という異名を持った猛者だ。


だが、私はもはや負ける気がしなかった。


先ほどとは違い、足枷も手かせもない。それに剣もある。

そして何より、私は絶対に生きて帰る覚悟を決めていた。


「良いのか?お前が相手にしてるのは、龍殺しの末裔だぞ」


私は剣を中段に構えながらゆったりと自信満々に歩み寄った。

小姓とドルジーナはそれを見て笑った。「死に急ぎ野郎め。望み通り細切れにしてやる」


次の瞬間、その巨体からは想像できないほどのスピードでドルジーナが斬撃を放った。

彼の持つ剣は両手剣のバスターソードで、重い一撃だった。


私は彼の剣を何とかいなした。骨までしびれる重い一撃だ。

そして一瞬私がひるむと、

その隙を狙って、小姓はエストックの薄刃を私の首めがけて突いてきた。


私はそれをまた剣で弾く。


ドルジーナが再び大きく踏み込んで横に薙ぎ払う。

私はステップで回避した。そして大きく開いた彼の左腹を斬りつける。


「ふんっ!!」


だが、ドルジーナ騎士はそれを左腕の籠手(ガントレット。手の外側に付ける金属製の鎧。胴鎧よりは薄く、保護部位が少ない)で掛け声とともに弾いた。

普通、籠手は腕を保護する一防具に過ぎないのだが、彼はまるで盾のようにその小さな防具を使いこなした。


私は感嘆するとともに、彼が易々とは倒せない強敵である事を悟った。

もし、隙があるとすれば大ぶりな両手剣の振りの後だ。しかし、剣撃は簡単にいなされてしまう。


しかも、その隙は小姓の素早い突きで消されてしまう。この連携は厄介だ。

ドルジーナの技量は達人クラスで、小姓も相当な使い手だ。おまけに、彼女の剣技は宮廷剣術であまり見慣れない。


私はじりじりと追い詰められ始めた。


「ここで死ね!死ね!死ね!死ね!!」

小姓は凄まじい剣幕で連続で突きを放った。


私はその攻撃は何とか跳ね返したが、その後ろから迫るドルジーナ騎士にまた再び吹き飛ばされた。

このままではじり貧だ。


私は剣を構えながら、何かないかと探し続けた。

またドルジーナの斬撃が来る。豪快な剣技で、ひたすらに恐ろしい。

彼は斬りかかってからすぐに歩幅を調整する。間合いも最適で、彼は一歩踏み込めば剣を当てられ、一歩引けば相手の攻撃から避けられる位置を常にキープしていた。


だが、私はそこにほんの少しの違和感を感じた。

ドルジーナは歩幅を合わせるのに、かなり時間を要しているようだ。

小姓が軽量な礼服であるのに対して、彼は全身が数十キロもある重鎧だ。

当然と言えば当然なのだが、鎧は動けば動くほど疲れる。


まして倒れたならば、直ぐには起き上がれまい。


「くそっ・・・!これしかないか!!」


私はその予想に一縷の望みをかけて反撃に出ることにした。

ドルジーナが上段から斬りかかってくる。私はそれをいなした。そして私はその反撃には、剣ではなく蹴りを放った。


ドルジーナは突然の前蹴りに驚き、咄嗟に腕でガードした。しかし剣とは違い、それは後ろへ突き飛ばす攻撃だ。

彼はそのままのけぞってしりもちをついた。重鎧に尻もちなんかかすり傷にすらならない。

まして人間の前蹴りなど、剣を弾く鎧の前では無力に等しい。


だが、彼が起き上がるまでの数秒。私は小姓と一対一の空間を作った。

ほんの刹那。僅か三秒ほどのうちに、私は小姓を倒さなければ、再び二対一に追い込まれる。


私はほとんど賭けとも言えるような戦術に勝機を見出した。



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