第7話
ーー
ヘレナは、戦いが始まってから一度も、その様子を見ようとしなかった。初めから、最後まで。
それでも、耳だけは塞がなかった。かつて、愛した人の最後の声を聞き逃すまいとそのエルフの長い耳だけは塞げなかった。
王は叫ぶ。
「さぁ!来い!そんなもんか!!」
「死を恐れていたら、俺は殺せないぞ!教会騎士!」
戦いの様子を見るのは、ヘレナには耐えがたかった。
彼の醜い姿を見るのは余りにも苦である。
しかし、その音の中に聞き覚えのある声を彼女は聞いた。
それはかつてのアールの声だ。
若者が好きで、少し抜けていて、何より元気であった彼の。
その彼の声が、今この耳に聞こえてくる。
彼女は目を恐る恐る開いた。
そこには、教会騎士と決闘するアールが居た。醜い体でこそあれ、表情は正にあの、彼女が惚れたアールであった。
彼は教会騎士エルマーと一進一退の攻防を繰り広げていた。
しかし、王が押しているだろうか。エルマーはだんだんと無尽蔵な”チート”の前に疲れて、吹き飛ばされた。
そして優勢になってくるとアールはまた段々と冷酷な”ホードリック王”の顔つきに変化していく。
彼女は、それを見て胸のざわつきを覚えた。消えてしまうアールを見てもう一度彼を失ってしまう恐怖に包まれた。
そしてその恐怖は彼女の背中を押して、声を出させた。
「アール!!」
彼女のその声に王は振り返った。
その表情は柔らかで、かつて王国を起こした英雄アールの横顔そのものであった。
ーーー
かつて、アールは若い時分に永遠の愛なるものの存在を信じていた。
ヘレナが彼に聞いた「一生の愛」もまたそれに近いようなものだろうと彼は思っていた。そしてそれをずっと続けていく自信が当時はあった。
だがーーー時の流れは無常だ。アールが30になって、豪勢な食事に嫌気がさし始めた時も彼女は変わらぬ食生活を続けていたし
彼が50になってあちこちが痛むようになっても彼女はあのころと変わらない姿で、むしろ少し体の調子は良くなっていた。
そんな2人の生命体として運命づけられた年齢の齟齬が彼の心を段々と歪めて行った。
醜くなった、ただの人間として老いてゆく”アール”を彼女は許すだろうか?
エルフの一生は長いというが、だからと言って老いた人間を何十年も愛すだろうか。100年も過ぎれば、忘れてしまうのではないか?
彼はしわがれて、老いていく自分の手を眺めながら日々そういう恐怖に包まれてしまった。
だから、彼は永遠を手に入れるためにチートのうち、禁術とされる寿命伸ばしに手を出した。
「王陛下・・・・お見苦しい・・・」
近衛騎士はそう言った。
それでも私は、若者喰らいを辞めなかった。
「憎悪が人の影を為して出た悪鬼。いつか報いを受けるだろう」
だまし討ちにした公爵が死に際に放った。
それでも止まるわけにはいかない。永遠の君主になるためには。
「貴方は、もはやかつての貴方ではない。私はもう二度と貴方を名前で呼ばない」
醜く肥え太り人の生き血を啜る私を見てヘレナがそう言った。
好きに言うが良い。吾輩は、ホードリックそのものであるのだ。だからこそ・・・・
だから・・・・・
だから・・・?
俺は、なんで永遠を求めたのだっけ?
・・・・
ーーー
エルマーはその一瞬の隙を見逃さなかった。
王が脇に目線を逸らした瞬間に、エルマーはロングソードを刺突の構えで素早く攻撃した。
剣は王の胸を貫き、背中までその刃渡りは到達した。
「ぐはっ・・・!」
王は一瞬の油断で、すべてのチートスキルを解いていた。そのため、エルマーの攻撃は体のど真ん中を貫いて王に回復不可能なまでのダメージを負わせた。
彼はそのまま跪き、肩で息をする。
そしてその傷口からは血がどろどろと流れる。
「刺されたのか・・・?吾輩が・・・!」
王は当惑していた。自分が、1騎士風情に仕留められるはずなどない。
だが、それでも彼の胸に刺さった合金のロングソードは避けようのない事実として突き付けられた。
王はだらりと左腕をたらした。
「吾輩は敗れたのだな」
王は正気を取り戻したように呟いた。
彼はもう、目の中に闘志や憎悪を携えていなかった。
どくんどくんと鳴る心臓は血を噴き出して、止むことはない。
この剣を抜けばきっと王は死ぬだろう。
私はそれを引き抜こうと触れようとしたが、ヘレナがそれを遮った。
「それは貴方の役目ではないわ」
彼女は覚悟のたたまれた顔つきでそう告げた。
険しいようでいて、慈愛に満ちた表情で。
王は、にこやかな顔で彼女の顔を眺めた。
「そうだった・・・・俺は、永遠の愛を・・・・君に・・・」
王はそれ以上は何も言えないようだ。もはや彼は咳き込むこともない。
彼女は優し気な表情で彼の前に跪いた。そしてその肥大化した体をゆっくりと抱き留めた。
その瞬間、彼の体から黒い煙の様なものが噴き出し始めた。
私とリップ卿は身構えた。しかし、ヘレナはそれを物ともせず王の体をぎゅっと固く抱きしめ続けた。
やがて煙が晴れると王は毒気が抜かれたようにひょろひょろの老人の様な姿になっていた。
背負っていたものが全て落ちて彼はかつてのアールとして死に瀕している。
彼はよぼよぼの手を掲げて、何かを言い出そうとした。しかしその声帯はしわがれてしまって音を発することができない。
ヘレナはそれを察してか、その手を握ると
「長い間、辛かったでしょう。ゆっくりと、お休み。私の最愛の人」
とねぎらうような口調で彼に告げた。
王は、それを聞いた時にはもう、こと切れているようだった。それでも私にはどこか彼の顔が華やいで見えた。
私はきっとそれが彼の耳に届いたのだろうと願った。
ーーー
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