第5話



王は普段、王城の中の大広間に鎮座し国政の差配を行っている。

落ち着いているときは、かつてのように合理的な思考と冷静な分析の元に判断を下せるのであるが

ひとたび落ち着きを失えば、彼は狂ったように狼狽する、


今日も彼はふとした時に爛れ続けている自らの頭皮に触れてしまって恐怖にとりつかれた。


そして親衛騎士に命じては若い奴隷を連れてこさせる。

その頻度は日に日に増えている。騎士長はその記録を付けていて、今日もその人数を数えた。

かつて、若者食いを始めた時には半年に1人ほどであったが、今では1週間に2人だ。


このまま、貪り続ければ今に1日に1人となり王国を喰らいつくしてしまうのではないか。

騎士長はそういう勘定をするたびに恐ろしい現実に頬を叩かれている気分であった。


その日、王城には珍しく王妃ヘレナが登城してきていた。

騎士長は彼女に呼ばれ、控室に向かった。


「ご機嫌麗しゅうございます、皇太后殿下」


彼は応接間に入るなり、妙な雰囲気に身構えた。

王妃は奥の椅子に腰掛け、変わらない聖母のような笑顔で騎士長を眺めている。

だがしかし、彼女の後ろには見慣れぬ男が二人佇んでいる。

一人は、見たことがある。ヴァイスブルク伯爵・リップ卿だ。だが、もう一人は知らない。

騎士長は少し警戒した。



「ルイス。国王陛下のご容体はいかがですか?」

ヘレナは騎士長の名前を呼んで尋ねる。


「はっ、陛下は今朝は少し荒れておりましたが、今現在落ち着いております。容体の方も・・・・アレをいたしましたので」


「そうか。ご苦労、ルイス。それなら良い、陛下と狩猟に行きたいのだが段取りをつけてくれないか?」


騎士長は頭に疑問符が浮かんだ。王陛下とヘレナ皇太后の不仲はもはや公然の事実。

その二人が、今更何故狩猟会なぞを共にするのか。


怪しげな二人の男がますます、彼の猜疑心を大きくした。


「了解いたしました。が、皇太后殿下。出過ぎた真似と承知しますが、何故狩猟会に王陛下とお行きになられるのですか?王陛下は足を悪くされておられます」


皇太后は、それに答えなかった。そしてただ足を組んで「すぐに準備しなさい」と騎士長に告げるのみであった。

彼は頭を下げると、すぐに王の元へ急いだ。


リップ卿はその様子を眺めて、心配になった。

「皇太后殿下。親衛騎士長は不審に思っています。勘付かれたのではないでしょうか?」


「いいえ、ルイスは腹芸のできる男ではありません。彼は、私にも王にも同じぐらい恩義を感じている。

小姓の出でね、家族のようにかわいがったのよ」


ヘレナは少し寂しげに言った。



そのことに関しては、私も少し疑問に思った。

「彼は、王国の中でも優秀な野戦士官であったと聞きます。やはり、悟られているのでは?」


だがしかしヘレナは一切彼を疑っていないようであった。



間もなく、騎士長が戻って来て扉を開いた。

「王陛下への段取り終わりました。下見がしたいとのことですので、中庭へお急ぎください」


彼は案外にも素直に命令を果たしたようである。

一行は、王城の長い長い廊下を庭の方へ進む。


ステンドグラス越しに眺める城下の町は、曇りの天気に淀んでいる。

廊下は長く、奥まで続いていて果てが知れない。


親衛騎士長はヘレナに語り掛ける。

「このルイス、王陛下と皇太后さまのお若いころ未だに覚えております。懐かしいです」


「ルイス、今日はよくしゃべるな」


「ええ・・・、王陛下と皇太后殿下が再び仲直りしていただく機会になれば、家臣として私ルイスはこれ以上の歓びはありません」


「残念だが、そうはいかないかもしれない」

ヘレナは少し申し訳なさそうな様子で彼に応答した。


騎士長は続ける。


「・・・知っております。王は狂っておられる。もはや、あのお方はかつてのアール様ではない。でもそれでも私は陛下を守り続けなければならないのです。これは義務と責任です」


「責任?何のだ?」


「・・・私は、知ってのとおり引っ込み思案です。ですから、昔から王陛下のご命令に諾諾と従うのが常でした。それだけならよかったのです。

でも、私は陛下がお狂いになられてからもそうやって振舞った。自己保身と気の弱さ故に。だから、私は言うべきでした。あのお方をああしないためにも」


騎士長はだんだんと言葉がぶつ切りになって行った。

そしてその一語一語には先ほどとは比べようもないほどの思いが乗せられていた。


「私は、もうどうすれば良いか判らなくなってしまった。いっそあのお方を御討ちして、自分も死のうかと本気で思った事もあった。しかし、王陛下はこんなどうしようもない私を・・・・”最後の忠臣”として心の拠り所だとおっしゃった・・・。そんな私が、どうして陛下を裏切れましょうか?」



「ルイス・・・・臆病だな。相変わらず」



「ええ、奥様。私は、臆病者です。自分の生来の気性故何一つ正しい事の出来なかった愚かな、愚かな臆病者です」






両者の間に暫くの沈黙が訪れた。廊下は広く、しかし彼ら以外には誰も居ない。

親衛騎士長はそれまで沈痛な顔を浮かべていたが最後に顔を拭うと覚悟の決まった表情でこちらを見た。


「・・・・皇太后殿下、貴方は王陛下を・・・・殺す気ですね」

彼は今度は流ちょうに抑揚なく尋ねた。

悟られていたか。私は剣の柄に手を掛ける。


ヘレナは押し黙って、じっと廊下の奥を眺めている。


「・・・私は、あのお方に救ってもらった。そして貴方に、育ててもらった」

彼はそう言うと、振り返ってロングソードを引き抜いた。


彼の顔はもはや、今までの臆病なそれではなく死に場所を決めた老武者の表情をしていた。


「・・・・あの狂った王にイエスマンは、もういらない」


彼はそう言うと、ロングソードを構えてその切っ先をこちらへ向けた。


私はそれを見ると同時に、素早く抜刀して斬りかかった。

頸動脈を狙った一撃。素早い斬撃であったが、見切られた。


相手は返す刀で斜めに袈裟切りを繰り出した。しかし、年のせいかその脇は甘く

大きな油断が開いていた。


私は間髪入れずにその懐に飛び込んだ。


「う・・・ぐっ・・!」


私の剣は彼のブリガンダイン(胴鎧)の隙間を貫いて、横腹を刺した。

血が剣の柄を伝って、リカッソのところまで流れる。


私はそのまま剣を引き抜いて、彼を足蹴にした。


親衛騎士長はにこやかな表情で廊下に倒れた。

腕を上げて、静かに語りだす。


「王陛下は・・・・この先の、中庭でお待ちです・・・・ご安心ください。陛下は本当に、狩猟会に行くのだと思っておられます・・・」


ヘレンは目を瞑って、彼の手を握った。

「もうしゃべるな、ルイス。お前の忠義、見届けたぞ。よく50年も仕えてくれた」


「皇太后殿下・・・・どうか、王陛下をお討ちになってください・・・」


彼はそれだけを言い置くと、静かに目を閉じた。

ヘレナはその場で暫く彼の手を握って祈っていた。



「彼を埋めるのは、私の部下に任せて我々は早くいきましょう」

リップ卿は急かした。


私は、まだ手に剣のしびれが残っていた。



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