第16話 『10光年の記憶』
──十年前
新生堂国際ピアノコンクール最終決戦
神威レイジは矢神櫂をピアノの力で殺害した。
(何故だ……?)
崩壊していく会場の中、俺は呆然と立ち尽くし、目の前に倒れた男を見下ろしていた。
(何故……俺が生きて、この人が死んだんだ……?)
俺は今日、今までで一番最高の演奏が出来た。それは彼のお陰だった。自分の思う以上の最高のポテンシャルを引き出されて、俺は今までの人生で一番ピアノが楽しく感じられた。
(それなのに、何故……?)
俺はどこまでも飛んでいける気がした。自分の死力を尽くして敵にそれをぶつけ、敵は、矢神櫂はどんな攻撃にも対応し俺の演奏を、ポテンシャルを引き出してくれた。
だけど……途中で気が付いたのだ。この戦いはもう止められない。加速し過ぎた車が急には止まれないのと同じように、俺とあの人との演奏は、既に止まれない場所までやってきていた。
『君はこれから先に行け……』
あの人は二人だけの世界でそんなことを俺に向けて伝えていた。
『音楽は人を救う。心の中を照らしてくれる光だ。どんな絶望の中でも、好きな音楽を聴けば勇気が溢れ出す。君は誰かの光になるために……』
待ってくれ……。その役割を負うべきは俺じゃない。俺なんかじゃない。だって、今世界で一番輝いている人が……あなたが、それを、光を、みんなに届けるべきなんじゃないのか……。
『僕は既にやるだけのことをやった。次の世代にこの光を託したい』
それが……なぜ俺なんだ? 俺でなくちゃいけない理由なんかあるのか?
『その答えを探すのも人生の旅のひとつさ。ひとつ失ってひとつ得る。何かを無くしたら、また何かを拾えばいい。その何かを拾っているうちに、出会いがある。道の先に、何かがある。必ずある』
待って。待ってくれ!
俺は崩れゆく視界の向こう、倒れた男の屍に手を伸ばし、それからベッドの上で目を醒ました。
俺は天井へと伸ばした手をゆっくりと下ろすと、ベッドの横に飾られた優勝トロフィーを見つめる。
俺はあなたみたいにはなれない。
これはあなたが手にすべきものだった。
これは何かの間違いだ。
俺は全てが夢だったと思い込み、それを確かめるためにテレビの電源を点けた。そこで突き付けられたものは、夢だと思いたかったものが、現実であったという、ただそれだけの事実。
矢神櫂は演奏中に心不全を起こし、その後起きた会場の崩落事故により死亡した。
そう告げたニュースキャスターの言葉に俺は顔を覆う。
(矢神櫂は……死なない……。矢神櫂は俺の憧れの人で……追いつきたかった人で……俺は……! 俺は……!!)
あの演奏で、俺は勝っていなかった。俺は自分の力を制御出来ていなかった。あそこまで強大な力を振るえば、しかも、それを持つ者が未熟者であれば、それはもう、どちらか片方が死ぬしかなかったのだ。俺が自分の力を制御し切れずに死ぬのか。それとも、矢神櫂が俺の力を受け入れて死ぬのか。答えは、俺ではなく矢神櫂が選んだ。
自らの力の制御すら出来なかった俺は、自らの進む道すら自分では選ぶことが出来なかったのだ。
「うぅうううううううううううう!!!!!」
こんな思いをするのなら……。
こんな気持ちになるのなら……。
ピアノなんて……!!!
俺がトロフィーを掴み、それを投げ捨てようとした瞬間、それを止めた男がいた。
「神威レイジくん、優勝おめでとうございます。私、このようなものでございまして……」
男はトロフィーをサイドテーブルに丁寧に置き直すと、俺に名刺を渡してきた。極東音学研究機関第ゼロ号支部。そう書かれた名刺を受け取り、俺は男の顔を見上げる。
男はにこりと笑い、俺にこう語りかけてきた。
「我々は音学を利用したとある国際的なプロジェクトを進めていまして、そのプロジェクトに是非ともあなたのお力添えをお願いしたく思っているのです……」
「悪いが帰ってくれ」
「いえ、我々は真実を知っています。矢神櫂は、あなたが殺した」
男の言葉に、俺は動揺した。心臓が氷のつららで刺されたような感じがした。
「脅すつもりか……」
「いいえ、ただあなたは罪を担いました。ですから、その罪を少しでも贖罪出来るよう、我々の研究を利用するというのも悪い話ではないかと思いまして、ね……」
男はそう言うと、部屋の出口へと向かっていく。コツコツと足音が部屋の中に響き、それから彼は扉の前で振り返って言った。
「気が向いたらご連絡ください。すぐにでも我々のプロジェクトへご案内致します」
扉が閉まり、部屋の中に静寂が充満する。
俺は気が狂いそうだった。次から次へと何かが起きて、その全てが俺に何かを強要する。
だけど……。
(俺はあの時何も選択しなかった……)
矢神櫂が死んだのは、矢神櫂の選択によるものだ。俺は、それをただ見ていることしか出来なかった。あの時、もしも俺が自分の力を自分のほうに向ける努力をしていれば……。
『矢神櫂は、あなたが殺した』
そうだ。俺は選択しないことによって、何も選ばないことによって、思考を停止することによって、矢神櫂を殺したのだ。
だったら……。
†
俺が組織で目にしたものは壮絶な光景だった。
もはや人権という概念さえ捨て去った、倫理観の欠片もない科学者たちの集団。これが国際的なプロジェクトとはとても信じることが出来なかった。だが、俺は各国の重役と出会い、このプロジェクトの重要性を説かれ、次第にこれが現実に起きている出来事で、世界がそれを求めているのだと錯覚するようになり始めていた。
「音学兵器は人を安らかに楽土へ送ることが出来る非常に人道的な兵器です。古代から現代にかけて行われてきたあらゆる争いは、全て、野蛮な物理兵器による殺しあいでした。始まりは、恐らくは素手か石だったでしょう。それが剣や弓となり、いつしか銃や爆弾が生まれ、毒が生まれ、人々は無用な苦しみの中で死ぬことになった」
男は続ける。
「しかし、音学兵器は違います。これはまるで安らかに、天寿を全うするかのように人を楽土へと誘う平和的で最も文明的な兵器です。これが開発された暁には、人類の持つ争いという概念そのものが書き換えられることでしょう」
「……戦争のために音学を使うことには反対だ」
「ええ、あなたはそのように考えていて構いません。この計画においてあなたに提供されるデータは、あなたの好きなようにお使いになって構いません。もちろん、世間に公表することは除きますが……。人助けのために使うでも、何か別の方法で平和利用するでも、個人利用の範疇であれば全てお見逃し致しましょう」
そして俺は決断した。
矢神櫂の死から逃げた俺が、次の死から逃げない俺になるために。
「分かった。お前たちの研究に手を貸そう。ただし、俺のやり方に口出しはさせない」
「ええ、それで構いません。我々は新たなる神のデータさえ取れればそれで構いませんので……」
†
それから俺は組織の手術を受けて脳内に特殊なマイクロチップを移植した。これによって施設で得られたデータがリアルタイムで俺の脳内に反映され、今まで弾いたことのない奏法や楽曲が勝手に脳内に流れるようになった。
延々と流れる脳内の音楽と、それに付随して聞こえてくる誰かの悲鳴。それを聴き続けた俺は、いつしか音楽というものを愛せなくなっていた。
『君はこれから先に行け……』
ああ、俺は今、先に進んでいるよ。
『音楽は人を救う。心の中を照らしてくれる光だ。どんな絶望の中でも、好きな音楽を聴けば勇気が溢れ出す。君は誰かの光になるために……』
俺にはそれが本当かどうか分からない。だけど、俺は光になるよ。
『僕は既にやるだけのことをやった。次の世代にこの光を託したい』
ああ、託された。俺が、全人類をこの苦しみから解放する……。
俺にとって、この世の全ては地獄だった。
延々と聞こえてくる音楽と悲鳴。それを聴き続け、いつしか俺は狂ってしまったのかもしれない。
俺は自らを救世主だと思い込み、全人類を、楽土へと連れて行くための計画を練り始めた。
†
「殺人音楽兵器の要となる能力は主に三つ。それはあなたの持つ『聴衆を絶対の領域に連れて行く能力』そして『音を任意の方向に拡散する能力』、最後に『人を殺す能力』です。これら三つを組み合わせることで、原理的に最低限の殺戮能力が手に入ると考えられています」
男は施設の部屋の中で続ける。
「そして、つい先ほど最後のピースが見つかりました」
「人を殺す能力か……」
「ええ。名前は鬱塞シロ。彼女は殺人音楽兵器の記念すべき第一号です。そしてかねてからの計画通り、彼女の能力のデータを確保し、それをあなたの脳内にインプットします。これにて計画は大詰め。あなたは神にも等しい能力を得ることになるでしょう」
「神にも等しい……か……」
「一号の最終データは大会にて取得します。今後はこの力を活用した実験フェーズに入りますので……」
「これからは人を殺せ、ということか」
「有り体に言ってしまえばそうなりますね。とはいえ、これも世界のために必要な研究です。多少の犠牲はやむを得ないでしょう」
銃による死は、恐らく正しい死ではないだろう。毒による死も、正しい死ではないだろう。病による死も、正しい死だとは思えない。いずれも苦しみ藻掻きながら死んでいくから。俺は、人々を救済する。音楽による至上の喜びにより、一切の苦しみのない安楽死を提供し、人々を楽土へと連れて行く。全人類の真の平穏のために。
(これは正しいことなんだ……。俺は正しいことをしているんだ……)
音楽は人の心に光を与える。その光によって、俺は、人々を導く。
真に浄化された魂だけの、音楽による理想郷へと……。
(俺は、人々を照らす光になる……!!)
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