第13話 『悪魔の神殿』
シロはピアノの前ですっと息を整える。
ピアノ越しに見える敵の顔を確認し、それから自分の演奏が彼を倒しきれるのか、自らに問う。
彼はシロのデータを全て把握している。得意な奏法も、苦手な奏法も、すべてを理解し、自らのものとして武器にしている。そんな相手と戦うとなれば、シロ自身が自らの限界を超えるしかない。
「行くよ……矢神……」
矢神の残したピアノを撫で、それから敵のほうを見る。
打──
「ちょっと待った!」
背後から、亜麻色の髪の少女が現れる。
聖域アリア……。なぜ彼女が舞台の上に……。
「開瞳先生から……話は、聞かせてもらった……。悪いけど……この戦い、私の力を、貸してあげる……」
フリースタイルピアニズムはルール無用の音楽による殴り合い。ピアノの持ち込みや演奏家の代走が可能なら、ダブルスだって構わないはずだ。
「いいですよね……!」
アリアが審判に問うと、審判はシロに意思を問うた。シロはアリアのほうを向き、問う。
「聖域さん、シロとレイジは……」
「分かってる。でも、私は死なない。なぜなら、私は最強だから!」
アリアの挑戦的な答えを受け、シロは審判に告げる。
「私は構いません!」
それを聞き、審判たちはアリアの参加を認めた。
神威レイジと鬱塞シロは自らの楽器に手を乗せ、聖域アリアは息を吸い……。
打鍵──。
鬱塞シロ・聖域アリア
「死と乙女」
神威レイジ
「ハンマークラヴィ―ア」
最期の戦いが……今、始まった。
†
土砂降りの雨の中を、一台のバイクが駆け抜ける。
ネオンの光を置き去りにして、信号機やバックライトの光を反射する道路の上を、水しぶきが舞った。
矢神は交差点を急カーブし、アクセルを踏み込み、ようやく目的の場所へと辿り着く。
都心からは離れた郊外の片田舎。そこに佇む目的不明の巨大研究施設……。矢神は開瞳から受け取ったデータを解析し、組織の実験施設の中でも特にシロと同様のデータが採取されている場所を発見し、そこへと向かった。
望遠鏡を覗き込み監視体制を確認すると、警備の手薄な場所へと位置を移す。
矢神は塀を登り施設の中に忍び込むと、解析したデータを使用してあらかじめ用意しておいた簡易パスを利用し研究所内へと入っていく。途中で捕まえた施設員を拘束し、衣服やIDカードを拝借すると、あとは堂々と深部へと進んでいく。
施設内は異様な静けさに満ちていた。白い廊下がどこまでも続き、歩くとコツコツと音が響く。矢神は懐の銃をいつでも取り出せるように、警戒しながら進んでいく。そして、とある一つの部屋を見つけた。
第三号実験室と銘打たれたその部屋にIDを翳し、中へと入っていく。矢神はシロの記憶を一度見ている。だから、ここがどんな場所なのかはおおよそ想定が出来ていた。
「一人は嫌……一人は嫌……」
「パパ……ママ……」
廊下の左右にある扉から漏れ聞こえる声に矢神は眉根を寄せる。
ここは、シロが暮らしていたあの研究所と同じような場所だ。
矢神は手元にビデオカメラを用意すると、施設の内部を撮影していく。心苦しいが彼ら彼女らを今ここで助けることは出来ない。見つかって騒がれれば計画が台無しになってしまう。あくまで監視員のフリをして奥へ奥へと進んでいく。
そして、最奥の部屋へと矢神は入った。
拘束具の供えられた電気椅子とピアノ。防音加工されたガラス張りの壁の向こうに、そんな光景が見える。スピーカーやモニターがいくつも並んだ観察室の様子をビデオに収めていると、背後で扉が開いた。矢神は物陰に隠れると、そこに何人かの研究員が入ってきた。
(アイツ……)
矢神はその顔に見覚えがあった。シロを研究所に連れ込み、脅してピアノを弾かしていたあの男だ。
「それで、殺人用の被検体第一号はまだ見つからないのですか?」
「はい……ここまで捜して見つからないとなると、確証はありませんが別の何らかの機関によって保護されている可能性もあるかと……」
「まあいいでしょう。被検体第一号はあくまで使い捨ての贄にすぎません。被検体第ゼロ号、神威レイジさえ完成すれば我々にとってはノープロブレム。何も問題はありません……」
男はそう言って機器類を操作すると、防音室の向こうの扉が開き、防護服を纏った複数人の男たちと一人の少年が部屋へと入ってくる。
「大規模殺人用音楽兵器の完成のためにはより多くのデータが必要です。……マイクを入れてください」
男の助手がスイッチを押すと、防音室の向こうと音声のやり取りが始まった。
「新星アラタくん、聞こえていますか? 私です」
『……もう、やめてください。僕は何も悪いことしてないのに……なんで、こんな……』
矢神はビデオカメラを回し、会話の撮影を続ける。
「ええ、あなたは何も悪くはありません。実験用のモルモットがなんの罪も犯していないのと同じようにね……。私はただ、あなたのデータに興味があるだけなのです。あなたの奏でる音に宿る『能力』……。人の心の中に自らの心象風景を映し出すその能力に、私は大いに興味を抱いております。それこそ……」
防護室の男によって椅子に拘束された彼を見て、男はニヤリと笑い赤いボタンを押した。瞬間、絶叫がスピーカーから聞こえてくる。
「ふふふ……あなたの身体の隅々まで流れたこの電流と同じくらい、いやそれ以上に興味があると思って頂いて構いません。私は、あなたの生体データの全てを取得したいのです……」
男が再度ボタンに指を添えると、少年は絶叫する。
『分かった! 分かったからもうやめてくれ……! 弾けば……弾けばいいんだろう!』
「ええ……あなたの能力がどんなふうに発現しているのか、私に存分に見せてください!」
そう言うと男は防音室からこの部屋へと繋がれているスピーカーの電源を落とした。
「いいですか、今からあなたは私が止めと言うまでピアノを弾き続けてください。もし演奏が中断されるようなことがあれば、その時は……」
男がボタンを押すと、ガラスの向こうで少年が悶える。
「あとは言わなくてもいいことですね。いつも通り、徐々に能力の強度を上げて弾いていってください。ちなみに、こちらにはあなたの奏でる音のデータは聞こえていますが、音そのものは届いておりません。ですので、心置きなく、独りで演奏を続けてください」
男がそう言うと、少年は苦しげにピアノを弾き始めた。音は聞こえないが、その音の波形を表す機器類が動作を始める。様々なセンサーにより少年と彼の奏でるピアノの発する生体データや音声データがリアルタイムで波形やグラフとなって記録されていく。
矢神はシロの記憶の中で見たものを目の前で見て、それを撮影しながら、歯噛みした。
彼の演奏のデータも今この瞬間、神威レイジの脳内に埋め込まれた生体チップに転送され、リアルタイムに上書きされている。組織は神威レイジを利用し最強のピアニストを作り出し、レイジは組織を利用し自らを最強のピアニストにしている。
これは人権と音楽、その両方に対する凌辱だ。
矢神が撮影を続けていると、部屋の扉が再度開かれた。
「局長! 殺人用被検体第一号が発見されました!」
「ほう……。それで、場所は?」
局長と呼ばれたその男の問いに、駆け付けてきた男は答える。
「新生堂国際ピアノコンクール、準決勝のステージです!」
「なんだと!?」
男は彼の持ってきたタブレットを覗き込む。
「なんということだ……最高だ! 最高だよ! 被検体第ゼロ号と被検体第一号が直接戦っている……! 一号はどのみち廃棄する予定だった。この際だ。一号はゼロ号に処分させろ! あの時のように……矢神櫂を屠ったときのようにな! クハハハハハ!!」
男はそう叫び、それから赤いスイッチを押した。
少年は悶え演奏を中断し、そこにスピーカーを繋げて言った。
「今日はもういいでしょう。あなたよりよほど観察する価値のある対象が見つかりましたので!」
部屋の中に防護室を着た男たちがなだれ込むと、少年はそのまま部屋から連れ出された。
「さあ、一号の散り際のデータを取りに行きましょうか! これは素晴らしいデータになること間違いありませんよ!」
そう言って男は部屋から出て行った。
矢神は物陰から出て、男が操作していたコンピュータにUSBメモリを差し込む。今撮影した映像とこのデータさえ持ち帰れば、組織は社会的な糾弾を免れ得ない。
「ッ!」
刹那、甲高い金属音が爆ぜた。
矢神は身を捻らせ銃弾を躱し、背後で銃を構えるその男に歯ぎしりする。
「あなたは……なるほど、一号が逃げた際の対戦相手の方ですね? 名は……確か矢神礼とかいう……。あなたは怪しいと思っていましたが……まさか同業者があの大会に紛れ込んでいたとは大きな誤算でしたね……。それも、直接乗り込んで我々のデータを盗みにくるとは……」
「悪いが僕は君たちの同業者ではない」
「ほう? ではなぜデータを盗もうとするのです? あなたは我々の一号を盗み、その上データまでも盗もうとしている。その手の組織の末端と考えるのが普通かと思いますが……」
今すぐにでもこの場を脱出したいが、まだデータの保存が完了していない。こちらの焦りなど気にしない様子で悠長に100%を目指して進んでいくデータの移行画面に対し矢神は舌打ちする。
「おかしいですねえ、我々は一号の研究のため、対戦相手のあなたのデータも確認しています。しかし、あなたを記したインターネット上、紙面上、あらゆる媒体におけるデータは存在していませんでした。完全に無名の演奏家が、なぜかあの大会に出場し、一号を盗み、今こうしてデータを盗もうとしている……。これで同業ではないとは、合点がいきませんよ?」
「僕が何者なのかは君たちの想像にお任せするよ」
「そうつまらないことを言わないでください。状況が飲み込めていないのですか? 私はあなたに銃を向けているのです。少しくらい従順になってくれてもいいのではありませんかねえ?」
「……銃を向けているから、なんだって?」
瞬間、矢神は懐から銃を抜いた。男の放った銃弾を矢神が躱し、矢神の銃弾が男の腹部に命中する。男は叫びながら矢神に掴みかかり、彼の雄叫びを聞いた局員たちが部屋へと押し寄せる。
「同業だと思うなら僕が銃を持っている可能性を考えるべきだったな、間抜け!」
「まさか国の機関か……!」
「想像に任せると言った!」
矢神は男を投げ飛ばすと、物陰に隠れ局員たちを銃撃する。局員たちは一度男を連れて部屋の外まで逃げだすと、侵入者の発見を告げるアラームを施設全体に流した。
(不味いな……データの移行は……)
残り、20%……。少なくともあと数分はここで耐えなければならない。その後、外にいる局員たちをなぎ倒しながら施設外へと逃げ、無事に開瞳のもとにデータを届けられる可能性は……。
「やめよう……可能性なんて考えたって仕方がない」
矢神は銃を片手に局員たちのほうを確認する。人数はそう多くない。やとうと思えばいける……。そう思った瞬間。
「馬鹿野郎がよぉッ!」
「ぐあぁっ!?」
局員たちを殴り飛ばしながら、見慣れた黒いシルクハットが矢神の視界の前に踊り出た。
「矢神てめえ……ッ!!!」
伊藤は矢神の胸倉を掴み寄せ、思いっきり殴り飛ばした。
殴り飛ばされた矢神に、伊藤は手を差し出して言った。
「シロを一人にしやがって……アイツはお前が連れ出したんだろ! 勝手なことをしやがって……しかも、俺には何も言わずに……ッ!」
「ごめん……」
矢神が手を掴むと、伊藤は彼を起こした。
「事情は開瞳のジジイから聞いてるぜ。なんで俺に相談しなかった」
「これ以上巻き込むのは悪いかなって……」
「お前なあ……俺はお前のサポーターだぞ。クソ……。まあいい、ここは俺に任せとけ」
そう言って指の骨を鳴らす伊藤に矢神は眉根を寄せる。
「任せるって……」
「いいから黙って早くシロを迎えに行けって言ってんだ! あの戦いは、お前が十年間待ちわびた戦いだろ! それをアイツに背負わせてんじゃねえよ!」
伊藤の言葉に矢神は笑う。
「そうだった。……最初からこれは伊藤に頼むべきだったな」
「その通りだ。おら、行くぞ!」
伊藤は矢神から銃を借りると、局員たちのほうに発砲する。
「おらッ! 道を開けろ! 俺が相手だ!!」
伊藤は局員を殴り飛ばし、その隙間を縫うようにして矢神は駆ける。目の前に現れた局員を蹴り飛ばし、その背を踏み台にして飛び越え、ひたすら出口まで走る。
「そうだピアニスト! 走れ! お前の戦場はステージの上だ!」
その言葉を受け、矢神は走る。
矢神を見送り、伊藤は局員たちのほうを見てニッと笑った。
「さあ、存分に踊ろうぜクソ野郎ども……!」
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