第12話 『二人』

 翌日、観客席には開瞳の隣に伊藤が座っている。


 これから起きる開瞳の用意したエンターテイメント……矢神礼と神威レイジによる準決勝戦で一体何が起きるのか……それを、伊藤は固唾を飲んで見守る。

 審判からのそれぞれの紹介が終わると、舞台袖から神威レイジが現れる。そして、その反対側からは白髪の少女が……鬱塞シロが歩いてきた。


「シロ……? なんで矢神ではなくシロが……」

「なるほど、矢神はその選択をしたというわけか……それもまた良かろう」


 開瞳のその呟きに、伊藤は舞台のほうを見たまま問う。


「開瞳さん、アンタ矢神に何を吹き込んだ?」

「何、これも奴のために話したことだ。そして奴は自分の選択を選んだ。それが、あれだ」


 レイジとシロは互いに礼をし、それから観客席に礼をし、それぞれのピアノの前に腰を下ろした。


「フリースタイルピアニズム……ルール的には確かに矢神自身が出なくても問題はない。だが、シロがそれに納得するとは思えない。矢神は……シロは……一体何を考えてやがる……?」



 †



「神威レイジは君を虐げた組織の関係者だ」


 無音の地下室の中、ピアノの横で矢神がそう言うのを聞き、シロは目を見開いた。


「神威レイジが……あの人たちの関係者……?」

「そうだ。神威レイジには君と似た能力が秘められていた。人を殺す『能力』もしくはそれに近似した『能力』を彼は持っていた。そして組織は君と同じように神威レイジを自らのものとし、君のような能力者のデータを彼に反映し、世界最強のピアニストを人工的に作り上げる研究を行ってきたんだ」

「組織は……一体何のためにそんなことを……」

「組織の目的は音楽の兵器化だ。思い出せ、シロ。シロは……何をしに……何をさせられるためにここまで連れて来られた?」


『あなたが最大で何人殺せるのかを試すんですよ』


 シロは口元をおさえ、その場に蹲った。


「そうだ。レイジは君のような能力者から得たデータを使って常に最新の状態にアップデートされている。あらゆるデータを吸収し、それによって、文字通りの最強の音楽兵器として、彼は組織によって調整を受けている。シロ……これは君にも関係のある話なんだ……」


 矢神は懐からタブレット端末を取り出し、それをシロの前に差し出した。画面に映し出されたデータは、神威レイジの生体データだった。彼がどのように指を動かすのか。脳のどの部位を使って音楽を奏でるのか。どのような姿勢で弾き、どのように目を動かすのか。あらゆる生体データが刻まれたそれには、ただこう書き記されていた。


【人型殺人用音楽兵器TYPE―0実戦タイプ 神威レイジ】


そして矢神はそのタブレットをスワイプし、隣のページを彼女に見せる。


【人型殺人用音楽兵器TYPE―1試験タイプ 鬱塞シロ】


 それを見てシロは思わず吐きそうになる。自分のあらゆる生体データが刻みこまれたそれに嫌悪感を示し、それと同時に気付いてしまったことに、さらなる嫌悪感を感じる。


「神威レイジは……シロの弾き方も学習している……」

「そうだ。奴の脳内に埋め込まれた学習用チップには組織のデータベースが直結している。シロ……君が組織に連れていかれたのは……神威レイジを人工的に音楽の神の領域へと昇華させるためだ。君は……そのための贄だったんだ」


 神のための贄……自らの才能を、他者に食わせるためだけに、鬱塞シロはあの過酷な環境下でひたすらデータを収集されていた。


 吐き気がする。


 シロは組織の在り方とその思想に、神威レイジという存在に、自らの受けた理不尽の理由が、そんなくだらないことのためだったということに、すべてのことに、生理的な嫌悪感を感じていた。


「組織は……音楽を何だと思っているの? 私たちが必死になって練習して、身に着けて来たこの技術を……心の在り方を……一体、なんだと思っているの……?」


 シロの問いに、矢神は答える。


「レイジの脳内に搭載しているチップ……あれは高く売れるだろうな。大量虐殺を可能とするほどの優れた音楽兵器……使い道はいくらでもあるだろう」

「音楽はそんなくだらないことのために、利用されるためにあるんじゃない!」


 シロはピアノでひどい目にあってきた。家族を失い、母に捨てられ、研究所で酷い扱いを受けてきた。それでも、シロはただ楽しいものとして音楽を、ピアノを愛している。


「私には理解できないよ、矢神……。この感情は、わざわざ言葉にする必要がないと思う。ただ、私は私の信念に賭けて、組織を許せないと思う。ただ、それだけ……」


 それを聞き、矢神はシロに手を差し伸ばす。


「僕はこれから組織に乗り込んで決定的な証拠を掴んでくる。開瞳がよこしたデータはこれっぽっちで、研究施設で実際に何が行われていたのかまでは分からない。君が……君たちが受けた仕打ちを証明するためのデータが、組織にはまだあるはずなんだ。僕はそれを必ず奪取する」


 矢神が今まで開瞳によって受けてきた訓練……あれはとてもピアニストに必要なものだとは思えないものが大半を占めていた。今まではそれも全て神威レイジへの復讐のために必要なことなのだと考えて受け入れてきたが……開瞳弦示の目的は、違った。奴はこうなることを、組織の存在とそれが何をしている機関なのかを予め知った上で、矢神に選択をさせるために訓練を積ませてきたのだ。


 さあ、矢神。お前は目の前の邪悪と自らの私的な復讐……そのどちらを取るのかな? お前のこの十年間で育んできたその憎悪は、目の前をただ通り縋っただけの邪悪に目移りする程度のものなのか?

 答えろ、矢神礼!

 お前は俺の作った最強の復讐兵器だ! どちらを選ぼうと、お前は結果を残すことだろう!

 だが、お前はお前だ。お前でしかない! たった一人の人間に選べる答えは、たったひとつに過ぎないのだ!

 だから、選べ。この最終局面で、お前はこれから、どちらを選ぶ?

 矢神礼の復讐か……! 鬱塞シロの復讐か……!

 さあ、選べ!!


 矢神は開瞳の問いに自らの答えを出した。


「僕は鬱塞シロの復讐を果たす。代わりに、僕の復讐を……君に託したい」


 矢神の言葉を聞き、シロは俯く。


 矢神は開瞳によって訓練を受けている。組織に潜り込み敵を倒しデータを回収することが出来る。だけど、シロにはそれは出来ない。シロは人と戦えない。潜入も、データを確保することも、何も出来ない。だから、シロは自分の復讐を果たす方法を持っていない……。


 だけど、矢神の復讐の手伝いなら出来る。


 敵は、会場にいるのだ。敵は、ピアノを弾くのだ。敵は、ピアニストなのだ。

 そして、鬱塞シロは……。


「シロはピアニスト……。それ以上でもそれ以下でもない。だから……」


 シロは矢神の手を取り立ち上がる。そして、彼の胸に拳を叩きつけた。


「矢神の復讐、シロが預かった……!」


 一人の人間には一つの選択しか出来ない。だけど、二人揃えば……!

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