第11話 『聖遺物』
シロは伊藤と共にセーフハウスへと帰ってきた。
外では相変わらずの土砂降りの雨が続き、会場の修繕には時間がかかりそうだ。
「一日目もそうだったけど、会場はいつもボロボロになるね……」
「あれだけの試合をしてもたった一日で修繕してくれるとは、現代の建築技術に感謝だな」
一日目、Bブロックの試合ではレイジとミライが戦い、その後に矢神とシロが戦った。それにより会場はボロボロに破壊され、翌日、元に戻った会場を再度アリアたちにボロボロに破壊された。これでまた明日には元に戻っているというのだから、建築業者の腕前には毎度のことながら驚かされる。
「矢神、遅いね……」
「開瞳と話があるとは言っていたが……一体何を話してるんだか……」
神威レイジとの決戦を控えた前日の夜に、開瞳は矢神に一体何を吹き込んでいるのか……伊藤は嫌な予感を感じつつも、矢神の性格からして、何があってもそう動じることはないと考え、ほっと息をついた。
「アイツは十年間この時のために藻掻き続けてきたんだ。今さら何があったって意思がブレるようなことはねえよ。……矢神の帰りは遅くなりそうだし、何か飲むか。シロは何がいい?」
「私ホットココアが飲みたい!」
「オーケー」
伊藤は自分にコーヒーを、シロにココアを用意すると、テーブルに戻り椅子に腰を下ろした。
「はあ、全身が痛え……。こんなにやられたのは三年ぶりだぜ」
「三年ぶり……あの聖域アリアと同格の相手と、伊藤は戦ったことがあるってこと?」
「ああ、まあ俺にも俺の事情があってな……矢神より先に開瞳からは逃れられたわけだが……」
伊藤は何かを懐かしむようにしてふっと微笑んだ。
「開瞳の爺さんは自分の弟子の為なら何だってやる奴だ。それは全部そいつのためでもあるが、それが過ぎて何人もの弟子が脱落してきた。俺と矢神はそれをずっとこの目で見てきた。とても口には出来ないような結末を迎えた奴も何人もいたさ。お前もその断片は見たんだろう……?」
伊藤に問われ、シロは頷く。
「矢神が何を見て、何をして、今ここにいるのか……ほんの一部だけど、シロも知ってる。矢神の『能力』で見たから……」
それはシロが研究所で受けてきた仕打ちとほとんど同じものだったと言ってもいいだろう。しかし矢神は決して折れなかった。彼が何を考え何を思っていたのかまでは、シロは見れなかった。だけど……。
「私は、矢神が神威レイジを倒すことを信じてる。私たちの幸せは勝つことだから」
そういうシロの言葉に、伊藤はコーヒーカップを口に付けた。
「矢神の親父の記憶は見たのか?」
「ううん……そこまでは見てない。矢神のお父さんは、神威レイジに殺されたんだよね?」
「ああ、十年前、この会場で矢神の親父は殺された」
伊藤は窓に打ち付ける大粒の雨粒を眺めながら語る。
「俺が矢神と知り合ったのは九年前。矢神が開瞳のもとを訪れた次の日のことだな。俺のほうが一年早く開瞳のとこにいたから、奴は俺の後輩ってとこだ。まあ、可愛い弟分だよ。昔のアイツは今では考えられないくらい雰囲気が殺気立ってやがってな。まあ、今でもあの時の気持ちを胸の奥に閉まっているんだろうな……たまに目がギラつくことがある」
伊藤はコーヒーを飲みながら続ける。
「矢神の親父は世界的なピアニストだったんだ。今で言う神威レイジみたいな……いや、それ以上のピアニストだった。開瞳弦示と双璧を成すとまで言われて、開瞳は矢神の親父を心底気に入っていたよ。詳しくは知らないが、二人は親友同士だったと聞いている」
「開瞳さんもピアニストなの……?」
「いや、開瞳弦示はピアノ一点特化の矢神の親父とは違ってオールラウンダーだ。どんな楽器でも弾きこなす本物の天才。まあ、聖域アリアが開瞳に一番近い存在だな。アイツはアリアとは比べものにならないほどの大天才だが……」
それを聞いてシロは口を開けた。
「嘘だよね……? アリアさん滅茶苦茶強かったと思うんだけど……」
「ああ、アリアは神威レイジと肩を並べる天才だ。だが、開瞳と矢神の親父はその更に上を行く存在だった」
「それがなんで、神威レイジに殺されたの……?」
シロの疑問に伊藤は肩を竦めた。
「レイジが一時的にでも矢神の親父を……矢神櫂を上回ったから……なのかもしれない。正直俺も矢神の親父が何で死んだのかはよく分かっていないんだ。矢神も開瞳もそのことを詳しくは話さねえし、その時の記録映像も残ってねえ。映像は全部、あまりの戦いの壮絶さに記録媒体ごと破壊されて、会場も全壊。試合を見ていた観客たちも途中からは避難し始めて、最後まで演奏を見ていたのは演奏していた本人たちと、避難しなかった開瞳と矢神の二人だけだったって話だ」
「そんな凄まじい試合になるなんて……矢神はその神威レイジに勝つために……」
シロは想像することすら出来ないかつての戦いの壮絶さを思い、それに立ち向かおうとする矢神の覚悟のことを思う。十年に渡って続いた辛く厳しい訓練の果てに、明日の試合が……復讐の時が待っているのだ。
シロは外から聞こえてくる雨音に、そわそわと足を揺らす。
自分ごとではないのに、明日起きる出来事に対して、どうしても気が休まらない。
「伊藤は矢神の復讐のこと、どう思ってるの……?」
「ん?」
「いや……何だか落ち着かなくて……何か喋ってないと、むずむずして、不安になっちゃいそうだから……」
自分でも的を射ない質問であることは分かっている。
それを察して、伊藤はコーヒーを飲みながら語る。
「柏木大地っていたよな」
「うん……」
「俺の今の立場はアイツの立場に近いと思っている。聖域アリアのことが放っておけなくて、危なっかしくて、でも表立って引っ張っていってやるほどの手は尽くしたくねえ。問題は、その問題を抱えた本人が、本人の意思と力で解決すべきことだと思っているからだ。だから俺はサポーターとしてこの大会に参加し矢神を支えることに決めた。柏木もたぶんアリアに対して同じようなことを考えていた……と俺は思っている。単純な友情や絆じゃなくて、もっと、言葉にするのは難しい何か……自分の中にある信念とか情念みたいなものが動機になっている……と、個人的には思っている」
シロはそれを聞き、伊藤に問う。
「信念……それに、情念……?」
「ようするに、放っておけない危なっかしい奴に少し手を貸したくなったっていう俺のエゴさ」
「伊藤も案外面倒臭いね……」
シロはそう言って笑い、伊藤はふっと微笑み、飲み終えたコーヒーカップをテーブルの上に置いた。
「話をすればだな。矢神の奴が帰ってきやがった」
「え? 何で分かるの……?」
瞬間、玄関のドアがコンコンとノックされる。
「雨音に紛れた足音だ」
「なるほど……」
伊藤は扉を開け、矢神は傘を閉じて玄関の前で水を払う。
「ただいま。少し待たせた」
「ああ、じゃあ俺はそろそろ帰らせてもらうぜ。全身痛くて痛くて堪らなくてよ。すぐにでも帰って風呂に入って眠りてえんだ」
「待たせて悪かったよ」
「それにしても矢神、開瞳と何を話してたんだ?」
伊藤は矢神の置いた傘を取り、振り返って問うた。
「何でもないよ」
「……そうかい。まあ、明日はお前の晴れ舞台だ。今日のところはすぐに寝て体のコンディション整えておけ。じゃあな」
そう言って伊藤は玄関で傘を開き、セーフハウスから出ていった。
「おかえり、矢神」
「ただいま。シロ」
矢神は部屋の中に入ると、クローゼットを開き、その中から一つのスーツケースを取りだし、テーブルの上にそれを開いた。中から現れたものを見て、シロは思わず目を見開く。
「矢神……なにそれ? 一体何をするつもりなの……?」
矢神が取り出したものは、二丁の拳銃とその付属品の数々。矢神はそれらが問題無く作動することを確認し、スーツケースを持って地下室へと歩いて行く。
シロは彼の後をついて行きながら叫ぶ。
「ねえ! 矢神! 何!? 一体何なの!?」
矢神は銃に弾薬を装填すると、地下室の明かりを付けた。そこには一台のグランドピアノが鎮座し、その向こうには銃撃用の人型の的が用意されている。
矢神は銃を構え、射撃音が地下室にこだまする。
人型の的の脳天と心臓に幾つかの穴が開き、矢神は銃のマガジンを入れ替える。そして、更に人型の的に穴を増やしていく。一発、二発、三発、爆ぜる銃の音にシロは耐えきれず、矢神に抱きつく。
「矢神! やめて! 何なの! 何でこんなことしてるの!?」
矢神は銃をテーブルの上に置き、自分の手を開き、閉じ……射撃の腕が鈍っていないことを確認すると、それからシロの頭を撫でた。。
「シロ……僕にはやらなくちゃいけないことが出来た……」
「やらなくちゃ……いけないこと?」
矢神は溜息を吐き、それからグランドピアノの前に歩いて行く。シロはその後に続き、彼が手を置いたその年季の入ったピアノを見つめ、それから矢神のほうへと視線をあげた。
「シロはこの大会の準決勝以上の試合形式を知っているか?」
「知らない……。私、研究所の人に連れてこられただけだから……」
それを聞き、矢神は言った。
「試合形式の名は、『フリースタイルピアニズム』。どのような演奏でも、どのような方法でも構わない。自分に可能な最大限の演奏を行うこと。ただそれだけがルールの『ルール無用の完全自由形式の音楽による殴り合い』……それが、明日行われる試合の全容だ」
矢神はピアノを撫で、呟く。
「このピアノは開瞳に用意させたこの世界で最も権威ある、最も貴重で、最も優れた逸品……音楽界の聖遺物、『バルトロメオ・クリストフォリのピアノ』……それを改造・アップデート・現代化改修させた代物だ」
バルトロメオ・クリストフォリ。
かの有名なメディチ家に仕えたとされる楽器製作職人であり、世界で初めてピアノを制作した人物だとされている。彼の残したピアノは三台しか現存しておらず、いずれも博物館や美術館に収蔵されている。しかし、矢神の持つこれは、幻の四台目のクリストフォリのピアノである。彼の遺したピアノにはいずれもラテン語の碑文が刻まれ、彼が作ったものであることを証明している。そして、このピアノにもその碑文が遺されている。
「これはピアノ音楽の歴史の語り部とも呼べる代物だ。僕はレイジとの決戦でこのピアノを持ち込むことにしていた」
ルール無用の殴り合い……つまり、使用するピアノの選択も自由というわけだ。
「神威レイジには神威レイジの切り札がある。このピアノは、僕が自らの手で改造した特別製の切り札だ。これを明日の試合で……」
矢神はシロの青い瞳を真っ直ぐに見据えて言った。
「君に弾いてもらう」
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