第7話 『創造神の声域』
翌日。
矢神は舞台袖で指の調子を確認する。
シロは開瞳に預けている。今は観客席にいるが、開瞳が隣にいる今、いくら研究所の輩が無法者だったとしても襲われるようなことはそうそうないだろう。
Bブロック第一回戦の勝者は柏木大地だった。つまり、今回の戦いは聖域アリアとの戦いになる。
「まさかあの聖域アリアとの対決になるとはなあ……こりゃあヤバいことになりそうな予感がプンプンするぜ……」
「ヤバかろうがヤバくなかろうが、障壁になるものは全てこの手で下してみせる」
そう言って拳を握る矢神を見て、伊藤は肩を竦めた。
「まあそう怖い顔すんなよ。このタイミングで聖域とお前をぶつけるってのは確かに趣味が悪いが……まあ、開瞳のおっさんはこういうのが好きだからなあ……」
伊藤と共にステージの上を行くと、向こうのほうから対戦相手の二人組が姿を現した。
黒髪に黒縁眼鏡。中肉中背の目立たない立ち姿の青年。
柏木大地は緊張した面持ちで矢神たちの前に立ちはだかる。
そしてその横にすらっと立つ一人の少女。
亜麻色の髪を軽く巻き、燃え滾るような赤い瞳をした彼女は、自身なさげな表情で矢神のほうを見上げ、それからニッと笑った。
「矢神、くん……? えへへ……久しぶり、だ、ね?」
「聖域アリア……お前はピアノとは縁を切ったものとばかり思っていたが……こんな大会にわざわざ出場するとは、一体どういう風の吹き回しだ?」
「ぁ、ぅ……私は、ただ……」
アリアは少し俯き、それから矢神のほうを見上げて言った。
「今日は、矢神くんが、来るって……聞いて……だから、私が……直々に分からせてあげようと、思って……ね? えへへ……」
「……なるほど」
「ちょっと聖域さん!? その言い方じゃ絶対に誤解生むよ!?」
隣の柏木が矢神と聖域の間に入り困ったような顔でフォローするように言う。
「ご、ごめん矢神くん……! 彼女悪気があるわけじゃなくって……」
「分かっている。やるからには本気でやろう……。僕たちと君たちとの間で交わすべき会話はこれだけで充分だろう?」
「ぁぅ……矢神くん……違うの……。私……私は……ただ……」
柏木は聖域と矢神とを交互に見ると、溜息を吐いた。
「そうだね……。僕たちは戦って分かり合うしかないみたいだ」
四人は客席に礼をすると、それぞれがそれぞれの位置へと移動する。
「大丈夫か、矢神」
「何でもない。ただ、今さらアレがこんな大会に顔を見せたことを疑問に思っているだけだよ」
「『私、ピアノなんかもう弾かない』だったか……」
「気にしてないよ。残念だっただけだ」
矢神はピアノを前に腰を下ろし、深呼吸する。
「聖域さん、さっきの言い方だと喧嘩売ってるみたいになっちゃってるよ……」
「ご、ごめん……でも、私……私……。矢神くんは、間違ってる……」
「誤解してるのは分かるよ。聖域さんはピアノを捨てたわけじゃない。それは僕も知っているし、世界中の人たちが聖域さんの声を聞いて、聖域さんの進んだ道を認めてる。ただ、それを言葉で伝えるのが聖域さんには難しいだけ。だから、聖域さんの得意なものでそれをぶつけよう!」
「うん……。絶対に、潰そうね……!」
「聖域さん、いつものことだけど言葉選びが独特で壊滅的過ぎるよ……」
柏木は困ったように笑うと、ピアノの前に腰を下ろす。
(天才って別の分野ではからっきしだったりって聞いたりするけど、それが聖域さんの場合はコミュ障ってだけなんだ……。開瞳弦示みたいな例外はいるけど、完璧な超人なんてそうそういない……全ての人間には弱点がある。だから……)
柏木大地は舞台の向こうにいる天才ピアニストを見つめる。
(凡才でも、天才に勝てると僕は信じるよ)
打鍵。 四人の音楽が、二つの音楽が、一つの戦場となり会場内に火花を散らした。
矢神礼・伊藤星二
『ボレロ』
柏木大地・聖域アリア
『銀河鉄道999』
観客席のシロはそれを見て呟く。
「全く逆の選曲……!」
「フハハ……! あの二人は相変わらずだな! 序盤から楽しませてくれる……!」
開瞳弦示はシロの隣で腕を組み、矢神とアリアを見下ろした。
矢神の奏でる旋律は単調でありながら神秘性を纏った異様な空気を辺りに漂わせ、深い森の奥に迷い込んだかのような、幻想的で神秘的な静謐を観客たちに感じさせる。
伊藤の指の動きに観客たちは目を奪われ、音と一体となった彼のしなやかな動きに思わず息を飲んだ。
「伊藤……まるで幻想の絹を纏った仙人みたい……いつもはあんな風には見えないのに……何で……」
「音楽と踊りは太古の昔からセットだった。神経を刺激するにはこれ以上の組み合わせは無いってわけだ。そして、矢神は伊藤を魅せるために最善にして最も神秘的な楽曲を選択した」
「それが……ボレロ?」
ボレロ。
それは1928年、モーリス・ラヴェルによって作曲されたバレエ舞曲。常に同一のリズムが保たれ続け、二つの旋律がひたすらに繰り返されるだけのこの楽曲は、作曲者であるラヴェル本人が『この曲には音楽がない』と語っており、初演ではこの曲を聴いた観客が思わず立ち上がり『この曲は異常だ!』と叫んだと伝えられている。
この楽曲はそれだけの深い神秘性を纏っているのだ。
「ボレロの最大の特徴は『規則性』だ。それ故にこの大会との相性は悪い」
「それは、シロも思った……」
「ほう……? 流石は矢神が見込んだ女だ。なぜ、そう思う?」
開瞳の言葉に、シロは矢神のほうを見て答える。
「この大会は楽曲本来の姿を見せるというより、演奏家の自我の発露によって競われているような、そんな感じがするから……規則性が大事な楽曲ってことは、それだけ演奏家が……矢神が……曲に縛られるってことでしょ?」
「その通りだ。矢神は今、死んでいる!」
ひたすらに繰り返される同一のフレーズ。際立った緩急もなく、ただただ同じモノを繰り返し弾くだけの矢神。そこに矢神本来の演奏家としての特性は介在していない。まるでメトロノームにでもなったかのように、文字通り、この楽曲の中にあって矢神は自分自身を殺しているのだ。
「でも、なんで……いや、違う……。そうか! 矢神は伊藤を『使ってる』んだね……!」
「そうだ。今は死んだように眠り、来たる戦いに備えて、復活の時を待っている……」
シロの言った通り、今、観客たちの視線が伊藤の踊りに集中している。つまり、矢神は今ここで体力を使うことを避けているのだ。この楽曲の主役は、矢神ではなく伊藤だ。
「アリアの銀河鉄道999は誰もが知っているポピュラー音楽だ。最初から観客をライドさせることを目的にエンターテインメントに振り切ったアリアに対して、矢神はそれとは対極にあたる神秘性によって会場の分断を図った。実際、今この会場は二種類の観客たちで分かれている。伊藤のダンスに引き込まれている奴と、アリアの歌唱に心を躍らせる奴の二種類にな……」
それを聞き、シロは会場を見渡した。
矢神と伊藤のボレロは異常だ。だが、それに負けず劣らず柏木とアリアの銀河鉄道も異常だった。
「……おかしい」
シロは柏木の演奏を見つめ、それから歌唱するアリアのほうを見た。
「これ……伴奏はピアノしかない筈なのに……なんで? いろんな楽器の音がする……」
シロは思わず身震いした。会場にいないギターやドラムの音が、なぜか会場の中に聞こえているのだ。
「あれがアリアの歌声だ」
「歌……? あんなの、歌じゃない! そもそも、人間にこんなことが出来るはずがない!! だって、二つ以上の音が実際に聞こえてるんだよ!?」
「何もおかしくはないさ。ヘッドホンやスピーカーは一つでも複数の楽器の音を同時に流すことが出来るだろう? 鼓膜は所詮一対の感覚器官に過ぎない。最終的な波形の形が同一であれば、同じように聞こえる……それが奴の……聖域アリアの『能力』だ」
開瞳がニヤリと笑うのを見て、シロは思わず目を見開いた。目の前で起きている事象が事実なのか、もしそれが事実だとして、そんなことが本当に人間に出来るのか。聖域アリアという人間の歌手としてのポテンシャルと、音に対する感知能力と再現能力の高さを……シロは……いや、この会場にいる全ての人間が身をもって体感している。
「人間の声帯は他の全ての楽器に勝る万能楽器だ。原理的にはあらゆる音を再現することが出来る。中世の時代には器楽より声楽のほうがより神聖とさえされたほどだ。なんたって、この世界は神の声によって、『光あれ』という『言葉』によって……『声』によって作りだされたのだとされているからな……」
アリアの紡ぐ銀河鉄道の音色が、観客たちを未知の領域へと連れて行く。未だかつて聞いたことのない音楽の世界へ、大気圏を離脱し、音楽の宇宙を見せ付ける。
「アリアの声域は能力により無限に拡大される。故に、奴の声楽はあらゆる音楽を内包した宇宙を形成する。これが地上最強の歌姫、開瞳門下生最高傑作『聖域アリア』の実力よ!」
開瞳の言葉に、シロは不安に押し潰されそうになる。矢神は、伊藤は、彼女の声に勝つことが出来るのだろうか……。
†
「矢神……! マジでこれヤバいぞ……ッ!」
伊藤は暴力的なまでの音圧を受けながら、ひたすらにボレロを踊り続ける。
「このままじゃジリ貧だ……勝機はあるのか!?」
「……ある。僕たちは勝つために……神威レイジを倒すためにここまで来たんだ。こんな場所で止められてたまるか……」
伊藤は銀河鉄道の体当たりを受け全身を打撲している。何度も何度も、あらゆる方向からの音の打撃をやり過ごし、既に伊藤の体は限界に近付いている。しかし……それでもそこに奇跡はあった。世界的歌手である聖域アリアの歌の紡ぐ世界の中で、伊藤は圧倒的な不利の中で、未だに負けずに立ち続けている。それは矢神によるサポートの賜物だ。
「さすがは世界一長いクレッシェンドと呼ばれるだけあるぜ……」
ボレロの性質を呟き、伊藤は自らの身に纏う神秘が次第に強大になっていくのを感じる。
「この楽曲はスロースターターだ。終わりに近付くにつれ、その威力を増していく……」
故に、今は耐える……。そして、敵の楽曲の切り替わりの瞬間、最大火力のボレロを……叩き込む!
(くそったれ……相棒をこき使いやがってよ……!)
伊藤はほくそ笑み、今はただその瞬間を待つ。
ただ、勝利を掴むためだけに……。
†
柏木はピアノ越しに矢神を見据える。
自分はあくまで縁の下の力持ちに徹して……。
(やっぱり聖域さんも矢神くんも、伊藤さんも凄いな……。どれも最高峰の実力と才能を持っていて、僕なんかにはとても敵わない……)
ただ、柏木は確かな足取りで銀河鉄道の譜面を追っていく。
(僕が一対一で戦えば、彼らのうちの誰か一人にでも、間違っても勝つことはないと思う。僕が今ここにいるのは、ただ、運が良かっただけなんだ……凡人が運と努力で、なんとかしがみついているに過ぎない……)
圧倒的な音の暴力の嵐の中で、柏木は一歩退いたところから三人の死闘を見守っている。
柏木が表立って戦うことは出来ない。圧倒的な実力差で押し潰されてしまうに決まっている。
しかし、その様子を観客席から見つめる開瞳は彼の真価を完全に理解していた。
(柏木大地は他の選手や観客たちからは軽視されがちなピアニストだ。本人ですら自分のことを凡人だと思い込んでいる。確かに奴は個人での演奏では薄味で記憶に残りにくい。しかし……その自己主張の薄さが……逆にチームプレーの才能として輝くということもある!)
矢神と伊藤はこの戦いの中でいずれそのことに気が付くはずだ。そして、それに気付いた時にはもう遅い。
開瞳は隣のシロが矢神と伊藤、そしてアリアしか眼中に無いのを見て、フッと微笑む。
(柏木大地は『伴奏』の天才だ。自己主張が薄いがその代わりに味方がどんなアグレッシブな演奏をしても必ず受け止め、それを最大限に活かす演奏を行う生まれながらの縁の下の力持ち……。大地のようにどっしりと構え、主旋律を完璧にカバーする天才! この手の輩は注目を浴びにくいが……油断をすれば足を掬われる。さあ、矢神……お前はこのことにいつ気が付くかな……?)
一曲目の最終局面、矢神のボレロは徐々に出力が上がっていく。最も長大なクレッシェンドが、伊藤の舞踏を、より強大な神秘へと仕立て上げていく。それは芸術の至高を感じさせる程の神秘であった。
しかし……二人は自分たちの優勢を一切実感出来ていなかった。
(おかしい……何かが……)
(作戦通りであれば俺たちは一曲目終盤で徐々に優勢になっていくはずだ。それなのに……)
全く、形勢が逆転しないのだ。
そして、二人は歌姫の奥に佇む影の存在に、いま、初めて思い至った。
「ようやくこちらを見ましたね、天才共が……!」
柏木大地の瞳が、赤く燃えた。
彼は影だ。聖域アリアが動けばそれに連動して彼も全く同じように動くことが出来る。スポットライトが変わっても、環境が変っても、どんな状況の中においても、彼は自らの伴奏者を確実に支え、その実力を十全に発揮出来る完璧な状態へと仕立て上げる大地だ。
矢神は目を見開き、それから伊藤のほうを見た。
「伊藤……!」
「ああ、分かってる!」
瞬間、最大出力のボレロが炸裂する。聖域の宇宙の中で起きる超新星爆発。その圧倒的神秘的音楽的爆発を受け、アリアは一歩退く。
「くぅ……ッ!」
「聖域さんはやらせないッ!!」
一瞬揺らいだ彼女の声を、柏木の伴奏がカバーする。それを見て矢神は、完全に理解した。
「聖域アリアは複数の音をリアルタイムで同時に操作する! だけど一人の人間に全ての音を完璧に扱いきるなんて芸当は不可能だ……! そこが奴の……柏木大地の出番!」
「つまり、アリアは一定確立で必ずミスる……そのミスをカバーしているアイツを潰せば……」
「そう簡単に言いますけど、果たしてあなたたちにそれが出来ますか……?」
一曲目が終わり、聖域アリアと柏木大地はボレロの爆発を耐えきった。
「僕たちも勝つために必死ですよ?」
柏木の言葉に矢神はフッと口端を上げた。
「戦いはまだこれからだ。あと二曲もある。せいぜい楽しもうじゃないか……」
「矢神……くん……私は……」
アリアは矢神のほうを見て何かを言いかけ、それから首を横に振った。
「ううん……私のこの気持ちは、言葉で伝えられるものじゃない。だから……」
アリアの燃えたぎるような紅い瞳が、真っ直ぐに矢神を捉え、こう呟く。
「矢神くん……全力で来て。あなたの能力を使って……全力で……!」
「……」
矢神の能力は相手の深淵を覗く。しかしその代償として自らの深淵を覗かせる。自らの正体を隠して復讐を目指す矢神にとって、このデメリットは命取りだ。しかし……。
「いいだろう……」
矢神はそう呟くと、黄金色の瞳に真紅の炎を纏わせた。
この戦いには……聖域アリアには、そのデメリットを冒すだけの価値があると踏んだのだ。
「聖域アリア――君の音色を
両手を構え、目の前のピアノに全神経を集中する。
その姿勢にアリアはニッと微笑んだ。
「さあ、聴かせてもらおうか!! 君の"過去"の旋律を――ッ!!」
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