第5話 『復讐者たちの誓い』
三日月の夜の薄暗い路地裏、切れかけの街灯が明滅する暗がりの中、二つの人影が息を圧し殺し、一人の男の訪れを待っていた。コツコツと、静かな足音が僅かに鼓膜を振るわせる。
足音に驚いた白猫は二人を通り過ぎ表通りへと逃げ出していく。
足音の主に顔を上げ、片方はそのまま、片方はほっとしたように顔を綻ばせた。
「矢神……!」
「尾行は撒いたか?」
矢神は伊藤に頷き、駆け寄ってきたシロを抱き止めた。
矢神も伊藤も復讐のために様々な訓練をこなしてきた。
尾行は撒き一切の痕跡を残さずここへとやってきたつもりだが、シロがそれで安心出来るかどうかは全くの別問題だった。震える彼女の肩を抱き、頭を撫でる。
「怖かったか?」
傷だらけの天使は月明かりを受け白く美しく、そして儚げな微笑みを見せる。
潤んだ目の端は僅かに赤みを帯びているけれど、彼女が強いことを矢神は既に知っている。
「怖かったけど……。でも、信じてたから……」
矢神はその言葉に優しく微笑み、空を見上げた。
つられてシロも真っ黒な夜の空を見上げる。白い三日月の静かに浮かぶ漆黒の夜。その漆黒に鬱塞シロは自由を感じていた。
今まで監禁され、白い壁の中で夜を過ごしてきた。だけど、この漆黒は自由だ。
白い壁にも、太陽の光にも、空の青にも……何物にも邪魔されない、どこまでも透き通る漆黒……。
「これから君は僕の家に匿おうと思う。それでいいかな?」
「うん。私もそれがいい。それと、ね……」
シロは言い淀み、矢神はその言葉の続きを待つ。
やがて彼女は決心したように顔を上げた。
「私のこと、君じゃなくてシロって呼んで欲しい……」
もう他人じゃない。
仲間になった。
だから……君なんて余所余所しい呼び方じゃなくて、もっと安心出来る呼び方で呼んで欲しい。
シロは咄嗟に出た自分の我儘を情けなく思い、思わず下を向いた。
たぶん、寂しかったんだと思う。
その穴埋めを今さら求めているのだ。
やっと自分に優しくしてくれる人に出会えた。
やっと自分を求めてくれる人に出会えた。
それが嬉しくて、思わず内に秘めていたものが溢れてしまう。
「そのくらいお安い御用だよ」
顔を上げ、その言葉に嬉しくて、つい涙がこぼれてしまう。
「さあ、家に帰ろう。シロ」
そう言われ、シロは泣きながら頷く。
母に路地裏に棄てられてから、シロはどこにも帰ることが出来なかった。
家と呼べる場所なんて、安心出来る場所なんてどこにも無かった。
家に帰ろう。
その言葉を聞いて、シロはやっと人間に戻れた気がした。
泣くシロの背をさすり、ふと矢神は伊藤のほうを見た。
バツの割るそうな伊藤は「どうぞお構いなく」と手を振っている。
そこへ一つの足音が近付いてくる。三人が身構えていると、そこに一人の少女が駆けてきた。
「矢神に……それに伊藤……?」
息を切らせながら、驚いた様子でこちらを見上げてくる勇気ミライ。
「なんでこんな路地裏に……」
「君こそなんでこんなところに……」
矢神の問いに、息を整えたミライは困ったように表通りのほうを見る。
「ファンの子たちに追いかけられちゃって……。でも逃げるのは慣れてるからね、もう完璧に撒いたはず!」
指をVにしてそう言うミライを見て、矢神たち三人は顔を見合わせる。
どうやら彼女の逃げのスキルは専門の訓練を受けた矢神と伊藤に匹敵するらしい。
「本人たちに言うつもりは無かったんだけど……丁度いいから伝えておく。今日の演奏、とても感動した」
ミライの言葉に矢神は笑う。
「少しは期待に添えたかな?」
「少しなんてものじゃない。この大会にこんな隠し球が出るなんて知らなかったから」
ミライと矢神のやり取りにシロは首を傾げながら伊藤の方へと目をやる。
伊藤から「お前のひとつ前に試合やってた奴だ」と言われ、シロはぱぁっと明るい顔を見せた。
「あの凄い演奏してた人だ!!」
「ふふ、あなたにそう思ってもらえて何よりね」
ミライは少し屈み、シロの着ている無地の服にマーカーで何かを書き始めた。
三人は彼女の奇行に首を傾げていたが、立ち上がって見えたその文字に息を飲んだ。
そこに書かれているのはトップアイドル、勇気ミライのサイン……そしてその上にはひとつのメッセージ。
宣戦布告!
矢神礼、鬱塞シロ……
あなたたちは私が倒す!
勇気ミライ。
マーカーのキャップを閉め、ミライはにこりと笑う。
「そういうことだから、じゃあね~!」
そう言って、ミライは表通りへと駆けていく。
その後ろ姿に矢神たちは息を飲んだ。
「この大会には敗者復活戦がある。勝ち上がれるのは一人だけだが……恐らくは……」
シロと伊藤は矢神の呟きに頷く。
彼女とはこの大会で必ずぶつかることになるだろう。そして矢神たちの前に立ちはだかる大きな障壁になるはずだ。
「それにしても服にサインしてくるとはね……」
矢神はシロの服を眺めて呟く。
強い演奏家はよくも悪くも個性的だ。
この文面、彼女のあの態度……
どうやら光栄にもライバル認定されたらしい。
「さすがはトップアイドル、まるで主人公だな」
「じゃあその主人公に宣戦布告されたシロたちは……?」
シロの問いに伊藤が呟く。
「魔王と死神か……」
「なんだか悪役みたい……」
二人のやり取りに、矢神はそれを肯定した。
「実際悪役だ。復讐が目的なんだからね」
自ら悪役を自称する男と、その彼に救われた少女。
その二人を見て伊藤は「どこが悪役だよ」と笑った。
「知ってるか? 悪役のフリする善人が一番ダセーんだぜ?」
「普段からダサい伊藤には言われたくないな」
「んだとコラ!!」
長年の親友同士の不毛な弄りあいの中、鬱塞シロはふと空を見上げた。
一条の流れ星が尾を引いて消え、その向こうの死神の鎌のような上弦の月が、シロにはにっこり笑顔の口元のように見えていた。
悪役……。
シロは魔王のために最凶の死神になると決めた。
だったら、悪役も悪くないかもしれない。
「じゃあ、シロは世界で一番幸せな悪役がいい!!」
その言葉に、矢神はふとどこか遠くを見るように呟いた。
「幸せ……か」
伊藤は矢神の半生を知っている。
コイツは復讐のことばかりで、その先のことを何も考えていない。ここで幸せについて考えるのもいい機会だろう。そう思いシロに問う。
「シロは、何が俺たち悪役の幸せだと思う?」
シロは伊藤の問いに考え込む。
そして何か答えが得られたのか、月明かりを受けた微笑みでこう言った。
「勝つこと……かな?」
伊藤はその雰囲気に圧され息を飲んだ。
路地裏の暗がりの奥、薄い月光を纏った、天使の姿をした死神。
彼女は穏やかな声で、勝利こそが自分たちの幸せだと宣言した。
「そうか……聞いたか矢神? シロの言う幸せだと、俺たちは勝ち続けなきゃならないことになるが……」
「僕たちらしくていいんじゃないかな? 僕も勝つのは好きだ」
シロはその解答に微笑み、伊藤は呆れたように肩を竦める。
三人は三日月の下を歩き出した。
これから始まる、幾多の激戦へと向けて……。
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