第10話 持たぬ者

 庭に水をやろう。


 花畑にはいろとりどりの花が咲いていて、美しい情景を作り出している。

 騎士団には国から多額の資金を注ぎ込まれ、圧倒的な設備が整っていた。


 俺はジョウロを花壇に傾けながら思った。


 やらかしたな……。

 思い返せば思い返すほど、やらかしたな……。


 女子風呂侵入事件は、今でも騎士団の中で話題となっている。

 道端で聞こえてくるのだ。


「まさか覗きが現れるとは……」

「世も末だな」


 みたいな感じで。

 本当に居た堪れない。特に俺の正面にいたあの人。万が一ばったり遭遇でもしたら、俺は空中を三回転しながら鼻水を撒き散らすことだろう。


 まあ、そんなことはないだろう。

 そう祈るばかりだ。


「——こんにちは、雑用君」


「ああ、こんにちは……」


 最近は俺を雑用と知って挨拶をしてくる人も少なくない。

 俺は咄嗟に振り返りながら、挨拶を返そうとした。


 返せなかった。


 普通に、彼女を前にして平気でいられるわけがなかった。


「ちょっと、話そうよ」


 目隠しに、赤い髪。間違うはずもない、圧倒的な存在感。

 俺の覗きの巻き込まれたその人だった。


「……空中を三回転しながら鼻水を撒き散らしてもいいですか?」


「え? ……良い、よ?」


 よし。

 俺は屈んで勢いをつけながら、空中を飛んだ。


 肩から地面に衝突した。

 すごく痛い。


 いや、こんなことをしている場合ではないのだ。


「ねえ、私のこと、覚えてる?」


 彼女は自分を指さしながら聞いてきた。

 

「はい、覚えています。その節は大変申し訳ありませんでした」


 後に聞いた情報で判明した彼女の素性。

 ——若くして騎士団の副隊長に任命された、稀代の闘気の鬼才。ライラ・フレリア、いや、フレリア様。


 当然、一般人にはその肌は愚か、姿を一目見ることすら許されない重役だ。

 

 俺は地面に膝をついて平謝りした。


「気にしないで、目でものを見るって、きっと楽しいことだと思うから」


 本気なのか皮肉なのかよくわからない返事が返ってきた。

 とりあえず首を傾げるのもそこそこに、質問をする。


「ところで、本日はどう言った御用で?」


「君と、話をしてみたいと思ったの」


「な、なんの話でしょうか?」


 まさか、俺の死刑が持ち上がったとか?

 

 斬首刑か、絞首刑か、選ぶがいい。的なノリで?

 ……あり得る。


「何って、共通の話だよ」


「共通の、話……?」


 予想外の言葉が飛んできた。


「話をする時って、共通の話題から入るでしょう?」


「たとえば?」


「趣味とか?」


 なぜ自分から言っておいて疑問形なのだろうか。


 目隠しの奥で、どんな表情を浮かべているかわからないから、余計どういう対応をしたらいいかと思考が右往左往してしまう。


「しかし、あなたと俺で、果たして共通の話題なんてあるでしょうか?」


「——君、持ってないでしょ」


 ゾッとした。

 根拠はない。何を言っているのか、意味もわからない。


 しかし、何か核心的なものを見透かされたようなきがして、鳥肌が立つのを抑えられなかった。


 目隠しの先から、自分へと視線が向けられるのが伝わってきた。


「は、はあ、持っていないとは、一体……」


だよ。私には感覚でわかるの。自分と同じで、大切な何かを持っていない人のこと」


 彼女は目隠しで隠された自分の瞳のあたりを指さした。

 

「闘気なら、持っていますが……?」


 あれ? と疑問符が浮かべられた。


「それはおかしいよ。私にはわかるもん」


 なんだ、その一点ばりは。

 俺は証拠と言わんばかりに闘気を練った。


「どうですか? ちゃんと闘気、出てるでしょう?」


「……本当だ」


 彼女はさも心の底から驚愕した様子で、おお、と声を上げた。

 それから、一歩ずつ、こちらに向かって近づいてくる。


 一歩、また一歩と距離が縮まる。


 不意に、彼女は手を前に突き出して、俺の腹に触れた。


「ヒェ!?」


 思わず声が漏れる。


「おかしいな、本当に闘気が出てるね」


 同意を求められても……。


 息がかかってしまいそうな距離まで詰め寄られる。


「君、本当に不思議だよ。まるで、無いはずのものが、最初っから有るみたい」

 

 囁くようにそう言って、彼女は唇に指を当てた。


 その時、塀の向こう側から声が聞こえてきた。

 

「——ライラ! もう行くよ!」


「……呼ばれてるみたいですね」


 声のする方に視線を向けてから言うと、残念そうにため息を吐いた。


「そうだね、もう行かなくちゃ」


 ようやく距離が離れて、彼女は踵を返した。


「次会ったときは、私のことはライラって呼んで。また一緒に、話そうね」


 そう言い残すと、目が隠れているという様相を感じさせないほど明確な足取りで遠くへ言ってしまった。


 うん、もう会わないように次から気をつけよう。


 =====


 ルネは考えていた。


 数日前のこと、重力加重装置の中に囚われていた少年のことだ。


 一箇所に闘気を集中させるという行為は、並大抵の胆力でできるようなことではない。

 いや、そもそもあれは、胆力がどうこうで済む話なのだろうか。


 ルネは研究者であった。

 未知は既知に変えなければならない。どこかそんな強迫観念があった。


 カンと音がした。

 木材が打ち付けられる音だ。


 近くから聞こえる。

 自然と足先がそこに向いた。


「雑用——」


 ルネはそこにいた彼に声をかけようとして、立ち止まった。

 それは、レンジがあまりにも真剣な表情で木材に向き合っていたからだ。


「よし、薪割り準備完了……」


 薪に手を当てて、目を閉じる。

 たちまちレンジの集中力は極限にまで達した。


「まさか、闘気の修行でも始めるというのか……」


 ルネは唖然とした。

 親に出来損ないと蔑まれて、それでも努力を続けているというのか。


 しかしその瞬間、さらなる驚愕が脳内を埋め尽くした。


 ——魔力が、動いた。

 確かに、微かに魔力が蠢いたのだ。


 魔術師として、予感がした。

 魔力はあの少年の元へ動いていると。


「——始めよう」


 開眼したレンジは、一息に内側に溜めた力を放った。

 ルネは思った。


 ——魔術が起きる。


「お前、魔力が扱えるのか……!」


 思わず駆け寄る。

 でも、魔術は成されなかった。


「うわあ!? 爺さん!?」


 レンジはひっくり返るように突然の来訪者に驚いた。


「お前、魔力は、魔力はどうした……」


「魔力? 爺さん、一体何言ってんだ?」


 困惑の表情を浮かべる。

 それもそのはずだ。レンジは魔力のまの字すら知らないのだから。


「今、確かに魔力が揺らいだ。それも、お前の方に向かって……」


「無茶苦茶なこと言うなよ。俺が使ってるのは闘気だ」


 証拠に、レンジの手の先には闘気の余韻が残っていた。

 それを確認して、ルネもやはりそれが闘気であることを認めた。


 しかし、残るのは不可解な疑問だ。

 なぜ、魔力を取り込んで、出てきたのが闘気なのか。


 いや、魔力を取り込んで、出てきたのが闘気?


 その時、ルネは一つの可能性に思い至った。


「お前、腹を見せろ!」


「は?」


 突然の要求に疑問符が浮かぶ。

 しかしルネはそんなこと関係ないとばかりにレンジの腹部に手を当てた。


「グアああ!! なんで今日はこんな人に腹を触られなきゃなんないんだよ!」


「——無い」


 老爺は呆然とつぶやいた。

 無いのだ。あるはずのものが。


「無い? 何が無いってんだよ?」


「闘気器官じゃ。人間が闘気を練る上で、必須となる臓器」


 それが、レンジの腹にはなかった。

 初めから、欠如していたのだ。


 これなら、出来損ないと言われるのも仕方がない。

 いや、それどころか現代においての欠陥と言ってもいいくらいだ。普通の家庭に生まれれば、奴隷として売り飛ばされるレベルである。


 それでいて、なぜ闘気を練ることができるのか?


「爺さん、頭でも狂ったのか? 俺は闘気を練れるぜ? 見ての通りだ」


「ああ、見ている。間違いなくな。それが何よりも不思議で不可解だと言っているんじゃ」


 そして、さっきまでの現象と合わせて考えたとき、一つの仮説が生まれる。


「お前は、魔力を闘気に変換している」


「……え?」


 レンジが小さい頃から扱っていた闘気。

 いや、闘気だと思い込んで扱っていたもの。


 それが、魔力だった。


 この少年は、知らずの内に魔力を認識し、使っていたのだ。


 ——何という才覚だ。


 ルネは戦慄した。

 人から教えられもせずに、知識を外から得もせずに、未知を完全に使いこなしていたのだ。


 百年、いや、一千年に一度の天才とも言っていい。


「通りで、三日間疲弊もせずに闘気を集中させていたわけだ……。お前は疲弊することのない臓器を無限に使い続けることができるのだから」


 魔力とは、自然から湧き出たエネルギー源だ。

 体の内側から作り出す闘気エネルギーとは違い、取り込み続ければ無限に続く。


 しかし、取り込むためにもそれを変換するためにも、魔力というのは扱いがとにかく難しい。


 一体、魔力を取り込んでそれを闘気へ変換するために、どれほどの魔力認知能力が要求されるというのだ。


 それはもはや、ルネにすら計り知れるものではなかった。


「……いいや。今日はもうやめだ。爺さんも落ち着こうぜ」


 レンジは薪を放って息をついた。

 老爺も含めて、落ち着くべきだと思ったのだ。


「今日の夕飯は魚にしようかな。爺さんも楽しみにしててくれよ」


 そういいのこして、レンジは立ち上がった。


 ルネはそれを引き止めようとして、ためらった。


 彼が魔術の道に進めば、革命が起こるかもしれない。

 しかし、そこにはもう一つ大きな壁がある。


 それは術式を理解する知恵と知識だ。

 

 魔力は魔術として使った時、真に効果を発揮する。

 わざわざ闘気に変換しているようでは、非効率極まりない。いくらそれを極めたところで、凡才に届くかどうかが関の山。


 ならばやはり、魔術を理解するほかない。

 だが、それを理解するには、あまりにも魔術は難解で、複雑だ。


 彼がその複雑さを拒否するというのなら、一千年に一度の才覚もドブに捨てるほかない。


 老爺は彼の背を前に、歯噛みした。

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