第9話 雑用
一時はどうなるかと思った、騎士団女子風呂侵入事件。
その結末は紆余曲折ありながらも、雑用二週間に落ち着いた。
ふう、と安堵と倦怠を含めた息をつく。
全く、二週間も拘束されることになってしまった。
これでは当分、家に戻ることはできないだろう。
まあ、俺が家にいなくともあの家族は問題なく回るだろうが。
ともかく、雑用処分といえばこの辺りじゃ軽犯罪に対しては珍しくない処分だ。
俺が犯した罪に比べれば……まあ随分と軽くしてくれたものだと思う。
——しかし。
俺は鍋がぐつぐつと煮えるのを眺める。
後ろから二人の視線に見つめられたながら。
「……そろそろ目を向けるの、やめてもらえないか?」
そんな言葉など聞こえていないかのように、老爺——ルネと、付き人のクロムはじっと俺に目を向ける。
本当に、料理ができるというのが物珍しいらしい。
「——雑用って言っても、何をやればいいんだ?」
罰を命じられた俺は、まず爺さんにそう尋ねた。
「部屋の掃除を始め、図書室の整理、あとは細々した指示に従ってもらう」
「なんだ、それだけでいいのか?」
騎士団の雑用と言っても、名折れのようだ。
真の雑用とは何かを知っている俺はそう思った。
「それだけ、か? これでも結構大変だと思うのじゃが……」
だから、不思議そうに首を傾げている老爺を前に、俺は妙案を思いついた。
「じゃあ、加えて飯を作ってやるよ。ただし、条件つきだ」
こうして、俺は鍋の前に立つこととなった。
才能を見つけられなかった俺を前に、父さんは使用人がやるようなあらゆることを押し付けた。
何年厨房に立っていると思っているんだ。もう他人の助けがなくても、一級の品を作り上げることが俺にはできる。
根菜を刻み、肉を熱の籠ったスープの中で煮やす。
火加減、熱の通りかた、山菜の萎れがここで最も重要なポイントだ。
脇ではこねた小麦を炉の中へ。
しばらくすればパンが完成する。
フルーツは等分に切り込んだら皿へ、その隣には野菜を添える。
やがて時間を見計らって、すべての工程は終了する。
「——完成だ」
「おおっ!!」
食卓にいろとりどりの料理が並ぶ。
それを目に、二人は目を輝かせた。
「それじゃあ、条件は飲んでもらうってことで——」
「うまい! これは、うまいぞ!」
「隊長、このパンも絶品です! 都心の店が出しているものと比べても遜色がない……!」
この二人は話を聞いているのだろうか。
すっかり品に夢中で、話が通じなそうだ。じとっとした目で見守ることしかできない。
ともかく、出した条件は明確。
俺に対する説明義務を免除してもらうことと、俺の存在を秘匿してもらうということだ。
この状況、実に面倒臭い。
俺は騎士団に何も悪意はないのに、なし崩し的に忍び込む形となってしまった。これをいくら説明したところで、納得はしてもらえないだろう。
そこを無理やり納得してもらうための条件だ。
実際、騎士団に今のところ実害が出ているわけではない……という訳でもないでもないが、と風呂での一件は目を瞑ることとする。
それにプラスして、俺の存在は隠してもらう。
もしどこかからか俺が騎士団に侵入したということが漏れたとして、それが兄に伝わったら——
身の毛もよ立つような未来が待っているということは言うまでもない。
そう言うわけで、なんとしてでもこの条件は飲んでもらうのかなかった。
「どうした、レンジ。お前も食え!」
「あ、ああ」
やけに馴れ馴れしく声をかけてくる。
相当機嫌がいいらしい。
「騎士団の飯は、いつもこんなんじゃないのか?」
「ああ、こんなだぞ。他の隊はな」
「……ここは?」
「基本的に飯は支給されない。だからいつも携帯食料じゃな」
そんなに他の隊との扱いの差があるのか。
通りで、うまそうに食うものだ。
彼らからすれば、久しぶりにまともな食料にありつけたのだろう。
=====
魔術の真髄は、知恵と知識にある。
ここ十年で突然発見されてから、研究を重ねられてきた「魔術」
ぽっと出の奇術と揶揄されるそれに、なぜ魅せられる人間がいるのか。
人類魔術の開祖、ルネ・クロード・クレマンはこう答える。
その難解さに、価値を見出すのだと。
教壇から見渡す景色は、いつもと変わり映えしない。
ルネは黒板を背に、学徒たちへ視線を向けた。
「今日は、難題を一つ出す。それを十日間以内に解くことを課題とする」
学徒たちはザワザワと話し声を大きくした。
なぜなら、こんなことを
ルネは錫杖を一振りした。
すると、瞬く間に黒板に白線が浮かび上がってくる。
白線はやがて幾何学的な紋章を作り出して、円形に広がった。
しかし、学徒の彼らからして、それは直感的に不自然さを醸し出していた。
なぜなら、その紋章は各部分が欠落、または間違っていたからだ。
「これは世界でも特に難解と言われる魔術式の一つ、『姿隠し』の術式じゃ」
ルネは堂々と言い放った。
「しかし、ここにあるのは五年前の術式。つまり研究途中のものだ」
説明を聞いてもなお、私語は強まるばかりだった。
「先生、質問を宜しいでしょうか?」
「構わん」
手を挙げた生徒に対して、頷く。
「先生は五年前のものと言っていますが、つまりは五年分の研究を十日間の内にしろ、と言うことですか?」
「その通りだ」
「まさか」「できるわけがない」
そんな声が室内に広がる。
「鎮まれ」
一声あげると、話し声は段々と薄れてついに沈黙が訪れた。
「この術式は、お前たちが持っている知識のみで証明することができる」
ルネは堂々と言い放った。
学徒たちが持っている知識。
つまり、ルネがこれまでに生徒たちへ教えてきた魔術の技術と知識だ。
「ワシが教えてきた知識。その全てをまとめ上げ、知恵へと昇華するのじゃ。そうすれば、世界有数の何術式といえど、必ず解き明かすことができる」
どれほど難しい難問にも、必ず答えが存在する。
それこそが魔術の本質であり、その事実が何よりも己を魅了するのだ。
「今日は以上とする。各自、期限までに考えてくるように」
そうして、ルネは教壇を降りた。
=====
雑用生活四日目。
今日は図書室の掃除だ。
図書室には本がいっぱいあって、とりわけ学生が沢山いた。
「失礼するよ」
ささっと学生の横を縫って、箒を机の下に潜らせる。
埃が舞ったので、口元を押さえながら箒の先で床を擦った。
「ああ、お前が例の雑用か」
例の雑用って……。
何やら変な通り名で名が売れているらしい。
俺は学生に尋ねた。
「何をしてるんだ?」
「研究だよ。先生が突然、ありえない無理難題を押し付けてきたんだ」
あの爺さん、ここでは先生とか呼ばれているらしい。
意外と地位が高いのか。
「普段は楽なのか?」
「楽ってこともないが……これほどじゃないよ。全くあの爺さん、何を考えてるんだか……」
学生は頭を抑えて、唸った。
机に広げられた書物を、側から覗き込んでみる。
複雑そうな紋章が目についた。
「何を覗き見してるんだ。一眼見たって、お前には理解できないよ」
「あんたは?」
「当然、俺も理解できてない」
学生は得意げに言った。
笑ってやればいいのだろうか。
仕方がないのでその場を大人しく離れる。
しかし、俺の頭の中には、あの難解な紋章がやけに鮮明に残っていた。
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