第7話 裁判

 裁判。

 それは罪の疑いのある被告人に対し執り行われる、真偽の裁定。


 これにより被告は有罪か無罪か、あるいはどれほどの罰を課せられるか決められる。


 そう、俺のことだ。


「ユリウス様! このガキ、絶対に許してはなりません!」


 桃色の髪の女が、一際大物そうな男に向かって話しかける。

 いや、話しかけるというより叫びかけるとでも言った方が正しいかもしれない。


 俺は裁判にかけられていた。

 大広間、正面には一際身なりの豪華な男がいて、横には被害者の面々が俺に熱い視線を注いでいる。


 ユリウスと呼ばれた男は、眉を下げて頭を振った。

 

「アリア、まずは落ち着け。詳しい話を聞かない限りには、俺もどうすることもできん」


「落ち着いてられません! コイツ、浴場で欲情してたんですよ!」


 嘘だろ。俺、そんな洒落みたいな罪状で裁かれるの?


 騎士に抑えつけられ、膝をつく俺は絶望した。


「フム、君が彼女たちの風呂場に立ち入ったというのは本当か?」


「ほ、本当です」


 騎士の凄みに、怯みながら答える。


「いや、それ以前に、どうやってここに入ってきた?」


「……」


 言えない。

 まがりなりにも、兄が世話になる師匠。

 その職場で身内が忍び込んで問題を起こしたと知ったら、兄さんはどうするだろうか。


 間違いなく、俺の首を飛ばす。


 このことは、墓場まで持っていかなければならないのだ。


「黙秘、か……仕方ない、適当なところに放っておこう」


「なっ!? ユリウス様、そんな甘くて良いのですか! ライラの身を汚した人間ですよ! 極刑です、極刑!」


 桃色髪は、腕を大きく振り上げながら訴えると、隣を指した。


 そこには赤色の髪のその人がいた。

 そう、俺の真正面に居た第一被害者の彼女だ。


 今は何故か、巻かれた布のせいで瞳が見えない。

 それでも、風格から絶対的な可憐さを感じた。


「ライラ! ライラは良いの?」


「私は……別に。彼も、悪意がありそうじゃなかったし……」


 天使だ。

 天から舞い降りた、慈悲と慈愛の御使いだ。


 思わず涙がちょちょぎれる。


「し、正気じゃない……! 王国騎士団一番隊副隊長、齢十九にしての鬼才、人間国宝よ!」


 おそらく、この場で一番正しいのは桃色髪の奴だ。

 他がおかしいのだ。普通、極刑にされたっておかしくないくらいのことを俺はしている。


 ユリウスは徐に口を開いた。


「ライラも許すと言っているんだ、多めに見てはくれないか。相手は子供じゃないか」


「子供がなんですか……もしかしたら敵国のスパイかもしれませんよ!」


「女風呂を覗くために騎士団に潜入するスパイがいるなら、是非ともお目にかかってみたいものだな」


 それは確かに。


 それからしばらくして、俺の処遇は決まった。


「——この少年はひとまず禁固刑としておく。処遇は魔術師の奴らに任せておこう」


「承知しました、隊長」


 俺を拘束していた騎士たちは、敬礼をすると俺の腕を引っ張り上げた。


「奴らは確か人体実験の材料を欲しがっていたみたいだし、のならそれもまた一興だろう」


「……え?」


 今、何かとても物騒なことを言わなかったか?

 

 人体実験の材料?

 もしかして、臓器を取られたり、皮膚を剥がされたり、機械人間にされちゃったり?


 瞬間、ユリウスの瞳の奥に冷徹な光がゆらめいた。


 ——ああ、分かった。

 こいつ、見た目からは想像できないくらい、中身がヤバい類の奴だ。


 優しげな言葉遣いも、態度も、全ては中身を隠すためのカモフラージュ。


 のならそれもまた一興だろう、だって?

 普通に零興だろ、零興。


 そんな心中も虚しく、屈強な騎士たちに俺は連行されていく。



「——グエっ!」


 床に放り投げられた。


 起きあがろうとして、それができないことに気づく。


「なんだぁ、これ?」


「重力増強装置が稼働している訓練部屋だ。常人では起き上がることもできない」


 せいぜいそこで待っていることだな。

 そう言って騎士たちは去っていった。


「……これは、拙いことになったなあ……」


 床に張り付きながら、俺は虚しく呟いた。


 =====


「全く、魔王軍の対処、魔物の討伐、勇者候補の育成、課題は無限にあるというのに、どうして面倒ごとが次から次へと……」


 ユリウスはため息を吐いた。


「まあいい。面倒ごとは魔術師の奴らに投げれば済むことだ」


 王国騎士団七番隊。

 通称『魔術師隊』。


 ある日突如、軍部の管理を任されているセイル王子によって建ち上げられた新部隊。


 魔術使いを名乗る奇人たちの参入を、当時の人々が猛烈に批判したかと言えば、そうではない。


 何故なら、騎士団は深刻な人員不足に陥っているからだ。

 正直なところ、猫の手でも借りたいほどである。


 今では『魔術師隊』は立派な雑用。

 騎士団内の面倒ごとを端から端まで片付けてくれる。


「さて、そろそろ時間だ。未来の勇者の出迎えをするとしよう」


 ユリウスは立ち上がった。

 いずれ勇者となる——いや、この手で勇者とする戦士、ライガー・ベリオスを迎えるために。


 =====


 私は、何をしてるんだろう。


 始まってしまった武闘会。

 戦う剣士たちを遠目に、そう思った。


 本当は、レンジの奴を応援してやるために来た。

 彼が来ないんだったら、別に見る価値のないものだった。


 でも——


「エリス嬢。もしあなたの気が許すのなら、どうか俺の試合を見に来てほしい」


 気づけば私は試合の観戦席にいた。


 視線が、無意識の内に彼のことを追う。


 鍛え上げられた体躯。

 爽やかに舞い上がる金色の頭髪。

 敵を見据える紅色の瞳。

 

 レンジとは比べ物にならないほど、気高く、美しかった。


「勝者、ライガー・ベリオス!」


 決着の宣言が成された。


 全戦全勝だ。

 相手はなすすべもなく、鮮やかなライガーの剣術を前に跪かされた。


「あ……」


「エリス嬢……?」


 ハッと我に返る。

 呆けたいたらしい。目の前に来ていた彼に気づかなかった。


「す、素晴らしかったです、ライガー様」


「そうか、それは良かった……」


 気まずい間が生まれる。


 でも、それはどこか心地よくて、嫌いじゃない沈黙だった。


「エリス嬢。俺はこれから、王都に行って修行を積んでくる」


「はい、それはもちろん、存じています」


「だから、しばらくここには来れない」


 ライガー様は柳眉を下げて、残念そうに目を伏せた。


「——行く前に、伝えておきたいことがあったんだ。だから、今日は誘った」


「伝えたいこと、ですか……?」


 彼はまっすぐに私を見つめると、言った。


「いつか俺が修行を終えて強くなった時、俺は魔王を倒す旅に出るだろう。——その時、ついて来てほしい」


 想定外の言葉だった。


 私は口元を押さえて、必死に動揺を隠す他ない。


「かつて勇者が聖女と旅をしたように、俺と一緒に、旅をしてくれないだろうか」


「それは……」


 差し伸べられた手を掴みかけた時、脳裏によぎったのはレンジのことだった。


「……それは、できません。私は、レンジと一生を添い遂げる約束を交わしていますから」


 ずっと、レンジのことを引っ張ってきた。


 訓練をサボった時も、実戦訓練が怖いと怖気付いた時も、必ず手を引いて立ち上がらせてきた。


 それはいつの日か、彼が一人前になって、人の前に立てるような人間にするため。

 そのためにずっと、私は待ってきた。


 これからもそのつもりだ。


 ——でも。


「それでも俺は、君と旅をしたいんだ、エリス」


 手と手が触れた。


 私は一瞬何をされたのか分からなかった。

 そして次の瞬間、手を引かれたのだと気づいた。


 ずっと、レンジを引っ張って来た。

 クレメール家の秀才として、あらゆる場面で常にトップに立ってきた。


 そんな私が、人生で初めて手を引かれた。


「——もう、レンジのことを待つ必要はない。あいつは逃げたんだから」


 レンジが逃げ出した。

 そう言われた時、私はその言葉を容易には信用できなかった。


 でも、そんなことはもうどうでも良くなっていた。


 逃げもせず、それどころか私の手を引いてくれるその存在を前にして、きっともう心を惹かれていた。


「っ、それでも、私は待ちます。彼が帰ってくるまで……!」


 すんでのところで手を振り解いた。

 しかし相手はまるで動揺するそぶりも見せずに、「そうか」と受け入れた。


「なら、待つといい。俺がここに戻ってくるまで、ちゃんと考えてほしい」


 そう言って、彼は背を向けた。


 やがて姿が消えるのを待って、私はその場に座り込んだ。


 手で顔を隠す。

 きっと、頬が赤くなっている気がしたから。


「どうしよう。私、ドキドキしてる……」


 揺れ動く感情に心地よさを覚えながら、今日一番に重い息を吐いた。

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