第6話 かくして彼は王都へ向かう

「王都行き最終線、間も無く出発します——」


 汽笛の音が鳴った。


 使用人のウェイルスはいそいそともう一人の使用人、ラルフに話しかけた。


「まずいぜ、ラルフ。急がないと」


 余裕があると思って道草を食っていたら、駅に着くのがギリギリになってしまった。


 これではライガー様に不便をかけるだけでなく、ハルト様から懲戒処分されかねない。


「早く荷物を乗せるぞ」


 掛け声を合わせて、トランクを持ち上げる。


「なあ、ウェイルス。この荷物、なんか重くないか?」


「重いだぁ? こんなにでっかい荷物なんだから、中身も重いに決まってるだろ」


「そうか……そう言われてみりゃそうだな」


 腕をフルフルと震わせながら、二人は列車に貨物を運び込む。


「なあ、ウェイルス。でもこの荷物、なんか音がしないか?」


「音がする? 気のせいだろ」


「そうか……そう言われてみりゃそうかもな」


 実のところ、ラルフはかなり耳が効く。

 カサコソと箱の中で鳴った音も、決して幻聴ではなかった。


 しかし彼の難点を挙げるとすれば、あまりにも他人の言葉に流されやすいところだった。

 

 荷物を全て移動し終えると、ちょうど列車が出発する時刻になった。


 ゆっくりと車輪が回り始めて、列車が線路の上を進む。

 こうして、王都行きの便は発進した。


 =====


 日が登った。

 間も無く武闘会が始まる。


 エリスは大樹の下で佇み、待ち人を探していた。


 ——誰かきた。


 人影が遠くに見える。

 ちょっと期待して、背伸びなんてしてみて、白髪の少年の姿を目で探る。


「まあ、居るわけないか……」


 半ば諦めのようなため息を吐く。


 待ち合わせの時間はとっくの前に過ぎた。

 もう大会の開始時刻まで数分を切った。今来たところで、間に合いはしないだろう。


 信じたくはない。

 だけど、事実として、彼はここにいない。

 

 彼は今日、ついに試練から逃げたのだ。


「期待してた私がバカだったのかな……」


 座り込んで、大樹の根元に背を預ける。


 五年間、ずっと諦めない姿を隣で見ていたからか、こうなることを想像すらしていなかった。


 でも、きっと長い間蓄積してきたものが、限界に達したのだろう。

 そうに違いない。普通そうなるものなのだ。


「もう、待てそうにないよ、レンジ……」


「——おや? そこにいるのはエリス嬢じゃないか」


 聞き覚えのある声に、俯けていた顔を上げるとそこには金髪の美青年が居た。


「ライガー様……」


「いつも愚弟が世話になっている。今日も見た目麗しいよ、エリス嬢」


 ライガーは跪いて、エリスと視線を合わせた。


「ライガー様は……武闘会へ急がなくて良いのですか?」


「俺は初戦を免除されているんだ。だから今暫く、君の側にいられるよ」


 ちょうど道中で君を見つけられて幸運だ。

 そんな調子の良いことを言って、ライガーが優しい声色で囁いた。


「——君は、レンジを待っているんだね?」


「はい、そうです……」


「でも、レンジはもう来ないよ。あいつは、逃げたんだ」


「やっぱり、そうだったんですね。通りで、待ってても来ないと思いました」


 確信的なライガーの言葉に、エリスは肩を落とした。


「いいや、少し勘違いをしているかもしれない」


「勘違い、ですか……?」


 エリスが疑問の表情を浮かべるのに対して、ライガーは力無く頭を振った。


「本当に、逃げ出したんだよ、あいつは」


「それは、一体どういう……」


「あいつは——家を出たんだ」


 =====


 ガタンゴトンと、一定のリズムで揺れが伝わってくる。

 車輪の擦れる音が耳に心地よい。


 ——うん、これ、列車だね。


 俺はトランクの中でモゾモゾと動きながら確信した。


 そういえば武闘会が今日だったか。

 でも、どうせ全敗だし、誰も俺になんて興味ないだろうし。


 エリスもそろそろ見飽きてきた頃だろう。

 まあ、出れるものなら出たかったけど。


 今の俺はそれどころではないのだ。


 どうするか、これ……。


 考えたって何も思い浮かばない。

 だって、本当にどうしようもないんだから。


「でも見方を変えれば、これって無賃乗車みたいなものだよな……」


 本気でしょうもないことを呟いてしまう。

 そのくらいには退屈で、八方塞がりなのだ。


「もう退屈すぎて、眠くなってきたよ……」


 あくびをする。

 途端に瞼が重くなってくる。


 父さんにこのことがバレたらどうしよう……。


 考えるが、それが杞憂であることに俺は気づいた。


 そうか、父さんはもう俺を諦めたんだったな。

 一人前になった時、付けるようにプレゼントされた指輪を取り上げられたということは、そういうことなのだ。


 どこか未練のようなものを覚えると同時に、開放感のような感覚が身を包む。


 ずっと父に縛られてきた。

 そこから自由になれたのなら、それはそれで良いのかもしれない。


 俺は眠気に身を任せて、目を閉じた。



 ——暫く時間が経ったと思う。


 目がさめると、列車とは違う揺れを感じた。

 どうやら運ばれているようだ。


 トランクの隙間から外側を除くと、白い回廊が続いているのが見える。


 壁には剣と拳が描かれたエンブレムが吊るされている。

 王国騎士団の紋章だ。


 とんでもないところに侵入してしまった。

 今更だが、かなり不安になってきた。

 

 やがて部屋にたどり着くと、地面に下ろされる感覚がした。


「——よし、これで荷物は全部だな」


 外から話しているのが聞こえる。


 施錠に手がかかった。

 カチッ、と音が鳴って錠が解かれる。


 このまま蓋が開けば、俺の姿が日の元に晒されるのは日を見るより明らか。

 見つかったら、タダじゃ済まされないだろう。


 ——不法侵入者、貨物に紛れ騎士団内部へ。正義への反逆か。


 翌日の新聞で、こんな見出しで載りたくなんかない。


 バクバクと心臓の鼓動が鳴る。

 いざとなったら、強行突破で——


「おいラルフ、荷解きよりもまずユリウス殿に挨拶をするのが先だろう」


「ああ、そう言われたらそうだな」


 開きかけた蓋が閉じる。

 間も無く二人の足音は遠ざかっていった。


 フウ、と一息ついて、俺は起き上がった。


 久しぶりの外の世界だ。


 痛む体を労るのもそこそこに、トランクから出てその場に座り込む。


「さて、どうする……」


 シュタッと素早く部屋の窓に手をかける。


 鍵はかかっていない。

 ここから外に出られそうだ。


 ——騎士団は厳粛で厳正なり。

 これは誰もが知る王国の常識。


 清く神聖な騎士の地を汚すことは、何人にも許されていない。


「やるしかない、みたいだな」

 

 この瞬間、俺に一つの使命が課せられた。


 俺に与えられた使命。

 ——それは、、ここを出ていくこと。


 俺は何がなんでも、この使命を果たさなければならない。


 =====


 ——無理だ。


 俺は確信した。

 消えかかった夕日が、虚しく俺のことを照らす。

 

 広すぎるよ、ここ。


 どうしてこんなに広いんだ。

 ……いや、それは騎士団が権威を持っているからか。


 どこかで聞いたことがある。他国に自国の偉大さを見せるため、無駄に豪勢な建物を建てることがあるのだとか。

 きっとそれと同じ原理に違いない。


 ともかく出口が見つからない。

 だから帰宅できない。


「もう、いっそのこと自首しようかな……」


 その方が楽な気がしてきた。

 

「これで、最後にしよう」


 そびえ立つ木を前に、俺は決心した。

 もしこの木に登って出口が見つからなかったら、思い切って自首しよう。


 覚悟を胸に、木の股に手をかけた。


 

 ——広がる風景に、唖然とした。

 どこか、感動すら覚えた気がする。


 枝先に手をついて、俺は涙を一滴流した。


 流れるお湯。

 立ち上がる湯気。

 そして、身を清める乙女。

 

 これは、風呂だ。

 それも、女子風呂。


 露天で、さも開放的な空間が目の前にあった。


 一日の訓練を終え、汗を流す彼女らは、一流の絵画にでも描かれるかのように美しく、しとやかであった。


 出口は見つからなかった。

 代わりに、桃源郷を見つけた。


 どうやら俺は、大いなる運命にでも導かれていたみたいだ。


「自首する前に、もうちょっとだけ見てても、バチは当たらないよな……」


 その時、羽音が耳元を掠めた。


「なんだ、鳥か……?」


 視線を動かして、そいつを視界に収める。


 鳥にしては……少し不恰好かもしれない。

 カクカクとした体躯で木の枝に留まるその姿は、実に奇妙で不気味という言葉が似合った。


「お前……ブッサいなぁ」

 

『——不審者、ハッケン』


「……え?」


 俺は動揺した。

 動揺して、体勢を崩した。


 鳥が、しゃべった。

 そんな珍妙な事実に、天と地がひっくり返るかのようだった。


 いや、実際にひっくり返った。

 俺は落ちた。掴んでいた木の先から。


 地面へ——天国へ真っ逆さまだ。


 ザッパアン。

 そして、カポーン。


 俺は見事なまでの着水を披露した。


 一瞬にして視線が集まるのを感じた。


「あ……」


 蒼い瞳と、目が合った。

 背中まで伸びた赤色がかった髪。汚れひとつない真っ白な肌。


 彼女は呆気に取られた様子で、俺を見る。


「ど、どうも。良い湯ですね……」


 ——白髪の不審者、騎士団の女子風呂に。死刑宣告まで秒読みか。


 翌日の新聞の見出しは、これで決定だ。

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